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三千世界への旅 魔術/創造/変革19 キリスト教の「魔術」2


人を愛すること、人を救うこと


イエスの処刑後、キリスト教団は各地に広がりながら教会組織を形成し、上から信徒の考えや行動を監視・規制するようになって行きましたが、元々キリスト教が誕生したときの行動指針は、そうした固定的な組織による管理されるものではなく、当時ユダヤ教が陥っていた形骸化した仕組みから脱却し、シンプルに、内発的に人が人として人を愛するということでした。

イエスという教祖は、こうした当時としては革命的な考え方、生き方をどうやって生み出したのでしょうか?

当時世俗化するユダヤ教主流派に反対して、辺境の地に籠もり、禁欲的に生きるエッセネ派という集団がありました。荒野で修行した若い頃のイエスがエッセネ派に属していたという説を唱える人もいます。

しかし、特に両者に接点があったという確証はないようです。

さらに、イエスとエッセネ派の行動には大きな違いがあります。

エッセネ派が辺境の地にこもって世俗との関係を断つことで、正しく生きようとしたのに対し、イエスは積極的に都市や町、村を巡って教えを説いています。世捨て人になって、自分たちだけ正しく生きればいいのではなく、他の人たちを悔い改めさせて救うことに活動の主眼を置いているのが、エッセネ派と決定的に異なる点です。


ユダヤ教の外に出るという解放


イエスの先輩にあたる改革者には洗礼者ヨハネという人物がいます。やはり「神の国は近づいた、悔い改めよ」といったことを説き、悔い改めた人の頭に水をかける洗礼を、神の代理として行っていました。

イエスはヨハネに洗礼を受けているので、彼の思想は洗礼者ヨハネの影響を色濃く受けていると考えられます。最初のイエスの弟子もヨハネの洗礼を受けた人たちだったと言われています。

しかし、イエスは洗礼者ヨハネと行動を共にせず、使徒たちと新しい教団を形成し、様々な都市や町を渡り歩いて教えを説く活動を行っています。

イエスがめざしたのはユダヤ人とユダヤ教の改革ではなく、個々人を単位とする人間の新しい生き方の実践であり、そのための互助組織の形成でした。それは新しい宗教の創設にほかなりません。ユダヤ社会とユダヤ教の指導者たちが彼を民族の反逆者、犯罪者として告発し、捕らえて処刑したのは、その意味で理にかなっています。


キリスト教団の成長


後世の人がキリスト教を知るのは、使徒たちとその後継者たちを通じてなので、イエスが本当に処刑されたのか、そもそもイエスのような指導者が本当に実在したのかなど、史実としての経緯には色々疑問が湧きますが、少なくとも彼らの新しい生き方・考え方が、イスラエルの地を出て今の中東から地中海沿岸のギリシャ、エジプト、イタリア半島などローマ帝国領の地域に広がっていったことは歴史的な事実です。

ユダヤ教はユダヤ人の離散によってヨーロッパ各地に広がりましたが、それはユダヤ教徒・ユダヤ教会の閉じた組織によるもので、新しい土地で新しい信徒を獲得しながら発展したりはしませんでした。むしろユダヤ人は移動し、いたるところで迫害されることで、自分たちを閉ざし、信仰を強固にしていきました。

これに対してキリスト教はあらゆる土地で新しい信徒を獲得し、組織を拡大していきました。迫害にも遭っていますが、二百数十年のうちにローマ帝国の主要地域を網羅し、帝国から唯一の公式宗教の認定を受けるまでになりました。

コンスタンティヌス帝が帝国を東西に分割したとき、後にローマカトリック教会となる西ローマ帝国のキリスト教団は、社会の統治を皇帝から委託されています。つまり西ローマ帝国のキリスト教会は帝国を乗っ取り、帝国そのものになったわけです。

一体何がキリスト教をそこまで強力にしたのでしょう?

一番の疑問は当時のキリスト教に、ローマ帝国の市民を改宗させるような、どんな魅力があったのかということです。


キリスト教成功の謎


これについては、『キリスト教とローマ帝国』(ロドニー・スターク著 穐田信子訳)をはじめ、初期のキリスト教団に関する本をあれこれ読んでみましたが、表面的な布教の手法や伝播の過程の数値的データが出てくるだけで、ローマ人の心の中にどんなことが起きたのかについては語られていませんでした。



そういうことを語ると、カトリック教会がヨーロッパで権力となってからの、キリスト教内部の価値観で語られてしまい、歴史的な検討・分析にならないということなのかもしれません。

19世紀のポーランドの作家ヘンリク・シェンキェヴィチの小説『クォ・ヴァティス』は、ローマ帝国で迫害されるキリスト教徒たちと、ローマ市民の心の動きを描いています。


しかしこれはあくまで近代ヨーロッパのキリスト教徒の価値観から当時のドラマを時代劇として描いたもので、実際のローマ人の心の中、彼らが最初キリスト教と信徒たちをどう見ていて、それがどのように変わり、改宗していくことになったのかはわかりません。

4世紀初めのディオクレティアヌス帝による迫害のあと、後継者であるコンスタンティヌス帝によるキリスト教公認、国教化がやってきます。

歴史的な資料には、それまでの迫害の時代に、キリスト教に改宗したローマ人がローマの宗教儀礼に参加するのを拒否して問題になったり、キリスト教徒の軍人がキリストの教えに背くからという理由で軍務を拒否したり、貴族の妻や娘がキリスト教に改宗したりといった、キリスト教徒たちが起こしたもめごとやスキャンダルが断片的に記録されているようです。

こうした記録から、迫害の時代にもキリスト教が密かに、しかし着実に信徒を増やしていたことがわかるのですが、やはり彼らの心の中で何が起きていたのかはわかりません。

キリスト教が国教化されると、アウグスティヌスのような神学者が本を書いていますが、そこで語られているのは、すでに後世の人々が知っているキリスト教の思想であって、古代ローマ的な価値観からどのようにキリスト教的価値観への転換が起きたのかはわかりません。


キリスト教のコア思想


しかし、古代の初期キリスト教から現在まで続いている、キリスト教の基本コンセプトというものは存在するように思えます。後世に付け加えられたものをそぎ落とした基本的なキリスト教の考え方、行動のコアみたいなものです。

この基本的なキリスト教のコンセプトを、私たちが知っている古代ローマの多神教の世界、価値観の中に置いてみれば、それなりにローマ人の中に何が起きたのかを想像することはできるかもしれません。
そこでキリスト教の基本的な考え方をメモ的に書き出してみました。

滅亡のときは近い (末法思想)
個々人の責任 (神と民族の契約を重視しない ユダヤ民族やら国家やらはどうでもいい)
個々人が悔い改めて (悔い改め)
あの世で(天国で)生まれ変わらなければならない (救済)そのためには他人を(敵を含めたすべての人を)愛するべきである (愛)


人類の罪の贖い


もしかしたら現代のキリスト教徒は、僕が挙げた基本コンセプトの中に、一番重要なものが欠けているというかもしれません。それは「人類は罪を犯している、イエスは人類すべての罪を背負って十字架にかけられた、イエスは神である等々」です。

僕がこの部分を基本コンセプトから外したのは、キリスト教徒でない僕から見ると、この部分はキリスト教がそれまでの古代宗教を超える宗教になった理由として、それほど重要ではないと思われるからです。

もちろんキリスト教徒にとって、イエスが神と一体で、人類の罪を背負って十字架にかけられたというのは、信仰の核心となる部分でしょう。

生身の人間であるイエスを直接知っている使徒たちも、ただ彼の説いたことを伝えるだけでなく、彼が実は神であり、人類の犯した罪を引き受けて処刑されたからこそ、その教えを受け入れて悔い改めることで、誰もが天国に行けるということが重要だと信じていたのかもしれません。

そして、古代の多くの人々は、このストーリーに心を揺さぶられて改宗したのかもしれません。

しかし、それでもこのストーリーは一種の神話であり、それを信じる人にしか効力を持たない、閉ざされたプログラムです。言い換えると、それは閉ざされているという意味で他の古代宗教と同じであり、オープンな世界宗教としての新しさの邪魔になるパーツでしかありません。

古代の信徒獲得にとって、この神話がどれほど効力を発揮したとしても、このパーツを取り外して見た方が、キリスト教の新しさ、普遍性がはっきりすると僕は思うのです。

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