三千世界への旅 縄文3 土器の造形美・情念・生命力
西東京市郷土資料室の縄文土器
【西東京市郷土資料室に電話したところ、営利目的でなければ、ブログなどに写真を載せてもOKとのことだったので、この資料室で撮った写真を掲載させていただきます】
下野谷遺跡のボードには、ここで発掘された縄文土器が、田無の西東京市郷土資料室に展示されているという案内が出ていました。スマホで調べてみると、自転車で30分くらいの距離です。
しかし、その日は自転車で行ったので、疲労と帰りの時間のことを考えると、無理は禁物と判断し、あきらめて帰りました。自転車で遠出するのは久しぶりでしたし、市街地のサイクリングは暗くなると事故が起きやすいので。
縄文土器を見に田無へ
ということで、数日後の平日に、今度は電車で田無まで行ってきました。
西東京市郷土資料室は、西武新宿線田無駅から徒歩30分弱。今は使われていない学校の、校舎の2階にありました。
かつての教室が展示室になっていて、最初の二つが主に縄文時代、そのほか中世や江戸時代、明治から昭和にかけての、地域や生活の様子がわかる展示室が続いていました。
関東の縄文土器たち
展示されている縄文土器は20点ほど。縄文中期の関東独特のデザインとのことで、同じ縄文中期でも、有名な新潟の火焔土器のような派手さはないけど、また違った造形美があって、見ていて飽きません。
関東の縄文中期の土器には、勝坂式と加曽利式というのがあって、勝坂式が時期的に早く、加曽利式は中期後半とのこと。
デザインにも違いがあるみたいですが、ここに展示されてる土器を見る限りでは、勝坂式の方が骨太で大胆な感じがするものの、違いはよくわかりません。
「縄文土器」のそもそもの意味は、焼く前の柔らかい土に、縄を転がして模様をつけた土器ということなんでしょうが、縄文中期の土器は縄目模様ではない模様や、土を大胆に盛り上げてつけた装飾が特徴的です。
見ようによっては、現代の抽象彫刻のようにも見えるし、精霊とかお化けの顔みたいに見えるものもあります。ピカソなど20世紀の芸術家が影響を受けた、アフリカの宗教儀礼に使われるお面を思わせると言ってもいいかもしれません。
岡本太郎は縄文時代の土器や土偶のパワーみたいなものを絶賛していましたが、彼も現代のアーティストとして、繊細な日本美術や工芸品とは全くちがう情念とか生命力を、縄文時代に感じた人でした。