三千世界への旅/アメリカ28 ボブ・ディランと反抗の時代1
ゴダールとディラン
何ヶ月か前、フランスの映画監督ジャン=リュック・ゴダールが死んだとき、誰だったか有名なアーティストか評論家みたいな人が、「ゴダールは反抗のスタイルを生み出した。映画におけるボブ・ディランのような存在だった」といった意味のことを言っていたのを思い出します。
たしかに、ゴダールはそれまでの映画の手法にこだわらない身軽な表現で反抗的な行動を描き、それまでの価値観や美意識から大胆に抜け出す体験をさせてくれました。ただ革新的な作品を作っただけでなく、一時期はフランスの商業映画産業から離れ、新左翼の政治思想と価値観を実践するために小集団で非営利的な映画づくりをしていました。
しかし、80年代に入ると商業映画に復帰し、相変わらず思想を自由に語る独特のスタイルではありましたが、観ていてワクワクする映画を作り続けました。彼が与えてくれるワクワク感も、僕にとって自由に生きるための励ましのようなものでした。
社会的・政治的な反抗と芸術・娯楽は彼の中で両立するものだったんじゃないかという気がします。
ボブ・ディランの変質
ボブ・ディランはデビュー当初は社会的・政治的な反抗の歌を歌うフォーク・シンガーと見られていましたが、だんだんポップな曲調の歌が増えてきて、ビルボードのヒットチャートで1位を取ったりするようになり、それまでのファンから裏切り者呼ばわりされました。
マーチン・スコセッシ監督のドキュメンタリー映画『ノー・ディレクション・ホーム』は、ボブ・ディランがニューヨークにやってきて、フォーク歌手としてカリスマ的な人気を博し、やがてエレキギターや電子オルガンやドラムを加えたバンドでポップス的、ロック的な曲を演奏して、ファンやマスコミから攻撃されるようなっていく過程を、当時の映像と、2000年代初めのディラン本人や当時の関係者たちへのインタビューで綴った作品です。
その中に、メディアの記者から「自分の曲は好きですか?」と質問されて、ディランが「失礼だな!ビートルズにもそういう質問をするのか?」と声を荒げる場面が出てきます。
反抗と娯楽
たぶんそれまで彼が歌っていた社会派の反戦フォークソングが正義のために戦う音楽なのに対して、『ミスター・タンブリンマン』などのヒット曲を出してからの彼は、商業主義的なポップスに転向したということで、そういう歌を自分で恥ずかしいとは思わないのか?という批判・皮肉を込めた質問だったんでしょう。
続けてディランは「みんな何らかの楽しみを求めてコンサートに来るわけだろう」と言っています。ここで「楽しみ」と訳した言葉は、実際の会話では「エンターテインメント」です。
しかし、これは社会派から商業主義のポップスに転向したことを正当化して言ってわけではありません。別のインタビューで「もうプロテスト・ソングは歌わないんですか?」と訊かれて、ディランは「プロテスト・ソングしか歌わないんだ。俺の歌は全部プロテストソングなんだ」と答えています。
批判にうんざりして、質問をはぐらかしているようにも聞こえますが、今この映画を観ると、ディランが考えている反抗と、世の中が考えている反抗には、一見紛らわしいけれども本質的な違いがあって、それがこうしたインタビューのやりとりに表れているように見えます。
この映画のインタビューでディラン本人も「同じところに留まっていてはいけない。絶えず変わり続けていないとだめになってしまう」といった意味のことを言っていますから、彼は変化してはいたでしょう。しかし、その彼にとっての変化とは、マスコミやファンが彼に見ていた変質とは全く別のものでした。
その違いは何でしょうか?
誤解される芸術
問題は多くの人がディランの歌を愛していると同時に、彼が何者で何を歌おうとしているのかを理解していなかったことから生まれていました。映画『ノー・ディレクション・ホーム』、特にその後半は、こうしたディランとまわりの人々、世の中との食い違いがいたるところに出てきます。
この映画全体が、そうした食い違いからディランと60年代という時代を再検証した作品になっていると言ってもいいでしょう。
後半の最初の方では、彼の初期のヒット曲『風に吹かれて』が、フォーク・グループのピーター・ポール&マリーのいかにもフォークソング調のカバーバージョンで流れます。
当時、キング牧師をリーダーとする黒人差別撤廃運動、いわゆる公民権運動が全国に広がっていて、1963年夏には首都ワシントンで数十万人規模の大集会が開かれ、若手歌手の代表として歌うディランの姿が続けて出てきます。彼の横でハモっているのは、当時一緒にコンサート活動をしていた反戦フォークの女神ジョーン・バエズです。
この頃のディランは、間違いなく60年代前半に盛り上がった公民権運動やベトナム反戦運動の中にいました。
しかし、彼の歌が反戦歌、社会派の体制批判の歌としてくくれるようなものだったのかというと、大いに疑問があります。当時の歌の歌詞を今読んでみると、あの時代の流行だった政治的・社会的な主張におさまらない、文学的な作品だということがわかります。
だから最近になってノーベル文学賞を受賞したと言えるのかもしれませんが、このノーベル賞もディラン本人にとっては、何だか居心地の悪いものだったでしょう。ノーベル文学賞の選考には、別の意味での政治的・社会的バイアス、進歩的・自由主義的・民主的・啓蒙主義的な価値観が絡んでいるように感じられるからです。
自由と反抗の意味
『ノー・ディレクション・ホーム』には、ワシントン大行進で『When The Ship Comes In』(船が入ってくるとき)という曲を歌うディランが出てきます。「私には夢がある」で始まるキング牧師の有名な演説と交互に出てくるので、とても感動的な場面です。
曲はYouTubeで聴くことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=5c9_XkYYjTU
この曲の歌詞を文章的に要約するとこんな感じになります。
風が止んで、ハリケーンがやってこようとしている海辺で、やがて海は割れ、船はぶつかり、浜辺の砂は沸き立ち、潮は音をたて、風は唸るだろう。魚たちは笑い、コースを外れ、カモメは微笑み、砂の上の岩は誇らしげに立ち上がるだろう。そのとき船が入ってくる。
船員たちの言葉は混乱し、お互い何を言ってるか分からなくなり、水路を見失って座礁し、夜の海に沈んでいく。歌が聴こえ、メインの帆が上がり、ボートは海岸線を漂い、太陽がデッキの船員たち全員の顔を照らす。砂はお前たちが足をつけるように、金のカーペットを広げる。そして船の賢者が、世界中が見ているともう一度思い出させる。
船員たちは起き上がり、半分眠ったままベッドを出るが、まだ夢を見ている気分で、自分を突いたり捻ったりして、これが夢じゃないことを知る。彼らは手を挙げて言う。
「おっしゃることには何でも従います。しかし、土下座して祈りながら、支配者たちの行いがすべて神の書に記されていると大声で叫ぶでしょう。そして、ファラオの軍勢が海で溺れ、ゴリアテが倒されたように、彼らも打ち負かされるでしょう」
プロテスト・ソング
元々曲に乗って歌われる歌詞ですから、節ごとに韻を踏んでいたり、The hour that ship comes in(船が入ってくるとき)という言葉が繰り返されたりして、曲として盛り上がるわけですが、それを歌詞のかたちで日本語訳しようとしても、かえって盛り上がりが伝わりにくい気がするので、こんな感じの要約文にしてみました。
「船の賢者が、世界中が見ていることを、もう一度思い出させる」とか、「ファラオの軍勢が海で溺れ、ゴリアテが倒されたように、彼らも打ち負かされるでしょう」といった言葉は意味深で、この歌が政治的な抗議、社会的な反抗の歌だということを物語っているようにも思えます。
当時のプロテストソングも、直接的に「人種差別反対」とか「ベトナム戦争反対」といった言葉は使わず、象徴的な詩で表現していますから、ディランのこの歌も、ワシントン大行進の集会で歌われたことで、プロテストソングだと受け取られたでしょう。
そもそも公民権運動の集会に呼ばれて歌っている時点で、彼自身そういう意図を世の中に伝えようとしていたはずです。
映画『ノー・ディレクション・ホーム』の中でも、2000年代初頭のディランは「今でも(キング牧師を)尊敬している」と言っていますから、彼はずっと人種差別に反対だったのでしょう。
ただ、彼はジョーン・バエズのように継続的に政治デモに参加したり、反体制派への支持を表明したりといったことはしませんでした。『ノー・ディレクション・ホーム』にも、60年代のインタビューで「今日の反戦集会に参加するか」と訊かれて、「今夜は予定があるんだ」みたいなことを笑いながら言っているシーンが出てきます。
文字数が多くなってきたので、この続きは次回に書きます。