三千世界への旅 魔術/創造/変革33 近代の魔術11 資本主義の魔術
新しい支配
近代の雇用が、古代の奴隷制度や中世の奉公人・徒弟制度など、昔の雇用と異なるのは、被雇用者が自分、あるいは自分の価値、能力の一部を、商品として雇用者に売るという点です。
雇用者は彼を古代の奴隷所有者や中世の領主のように支配できるわけではありません。彼はあくまで納得した上で雇用され、割り振られた仕事をするわけです。仕事は楽ではないかもしれませんが、そこには何の違法性もないし、非道徳性もないはずです。
しかし、仕事の現場で彼が経験するのは、こうした支配するとか支配されるとか、合法とか違法とか、倫理的とか非倫理的といったこととは別の束縛です。
近代の産業は効率を追求します。どんな生産設備をどう配置して、材料や部品をどう流し、作業員にどんな作業をさせるのが最も効率的かを突き詰めることで、作業内容が決まります。
作業は職人の手作業に比べてはるかに細分化され、ひとつひとつの作業にかかる時間が設定されます。生産設備は機械化・自動化されていて、材料や部品、加工途中の製品がどんどん流れてきますから、作業員はそれに合わせて動くしかありません。
そこで作業員は自分が人間ではなく一種の機械であることを発見します。そこに製品を作る職人のやりがいみたいなものはありません。機械的な作業は苦痛ですが、彼は従業員としてそれを受け入れているわけですから、この仕組み自体に異を唱えることはできません。
給料が安いというのも同じです。仕事内容と同様、給与も、当時は製造設備のように、事業の仕組みにかかるコストの一部として、雇い主・企業側が決めるもので、従業員に拒否したり、賃上げを要求する権利はありませんでした。
従業員は中世の奉公人でもないし、古代の奴隷でもないわけですから、文句があるなら、辞めて自分を解放すればいいわけです。
ただし、産業革命期の産業の現場はどこも似たり寄ったりでしたから、こうした機械の一部としての作業やコストとしての給料から逃れることはできません。
そこで彼は雇用されること、自分を商品として雇用主に売ることの不都合を自覚するかもしれませんが、雇用主がやっているのは合法的な事業ですから、不当だと告発することはできません。
産業労働者として生きていくかぎり、彼は経済の合理性や機械の効率を受け入れて、自分をコントロールしていくしかありません。
人が自分を制御する支配形態
もちろん経済合理性や機械的な効率に従って生きているのは労働者だけではありません。資本家や事業家も、関わる領域が大きいだけで、経済と科学の原理が支配する世界に生きていました。むしろ率先してそうした原理に従うことで、資産運用や事業の成功者になることができたと言えるかもしれません。
以前、政治と哲学について考えたとき、近代の支配が生政治、人間が自分たちを率先して管理する、バイオポリティカルなものになったという考え方を紹介しました。これは主に20世紀フランスの思想家ミシェル・フーコーが提唱したものです。
古代や中世の支配が、宗教や武力ベースだったのに対し、近代は科学や経済の原理によって人や組織が動く時代になったおかげで、武力や宗教による支配は弱まり、代わりに人が理性で自分を制御するようになりました。
それはそれでいいことなのかもしれませんが、これまで見てきたように、人や組織や国家が平等ではなく、より強い者が富や政治力、科学技術などによって弱い者を、合法的に合理的な手段で支配し、利益を収奪するという状況はなくなっていません。むしろ人は支配を自発的に受け入れ、理性で自分をコントロールすることを自分に課すようになっています。
近代魔術の核心
この支配の仕組みの大転換を成し遂げた、合法的で合理的な仕組みこそ、近代の魔術と言えるものでした。
それが魔術的だったのは、誰もがその仕組みに参加しながら、誰もそこに支配が隠れていること、それが合法的・合理的に他人や他の組織を支配するだけでなく、自分たちも支配する仕組みであることに気づかなかったからです。
人がそれに気づくようになったのは、19世紀後半あたりから20世紀にかけて、資本主義の仕組みに対する科学的な分析や批判が出てきたり、文化人類学とか精神分析学といった人間の精神構造を新しい観点から見る学問が、思想や哲学に影響を与えるようになってからです。
僕がこんなふうに18世紀から19世紀にかけて生まれた近代という時代や資本主義の支配構造について、ある程度客観的に語ることができるのも、当時はなかった色々な考え方を学ぶことができたからであって、当時の人たちはその支配の不思議な力を意識することはなかったのです。
魔術を暴く弁証法の光
哲学的な言い方をすれば、世界を変えるような新しい仕組みは、弁証法的に考え、批判することによってしか見えてこないということになるかもしれません。人体の患部がX線やMRIで見えてくるようなものです。
変化の只中にいた人たちにはそれが見えないので、魔法にかかったようにその仕組みに呑み込まれ、生きるために、あるいはやりたいことをやるために、当時のゲームのルールで戦うしかありませんでした。
世界が今も変わり続けているとしたら、我々も自分たちがそれと知らずにとらえられている魔術に呑み込まれ、とりあえず今共有されているゲームのルールで戦っていると言えるかもしれません。
人類がこの先も存続していくとしたら、21世紀の我々を支配している隠れた仕組みが今世紀後半とか22世紀にはある程度解明されるかもしれませんが、それまでは不思議なカラクリに気づくことなく、魔法にかけられたまま生きていくことになるでしょう。
その時代に科学的・理性的・合理的と信じられている仕組みの魔術は、さらに世界が変化することで初めて意識されるような種類のカラクリなのです。