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三千世界への旅 魔術/創造/変革69 異なる文明の遭遇


征服の理性と非理性


ここからは、理性と非理性がどんなふうにはたらくのかについて、これまでと少し違う角度から考えてみたいと思います。

別の価値観の中にいる人たち、勢力が出会い、関わるとき、どんなことが起き、それぞれの人たちの意識がどうはたらくのかといったことです。

これまでは先進国とそれ以外の地域の国々が、それぞれの価値観の中に閉じこもった状態にありながら、一応共通のルールである、近代ヨーロッパ由来の科学的・理性的・合理的な考え方や仕組みに基づいて、ビジネスや政治のゲームをプレイしていることについて見てきました。

そこでは、共通のルールを採用していながら、それぞれが自分たちの利害のために、この科学的・理性的・合理的な考え方や仕組みを都合よく解釈し、必ずしも理性的とは言えないやり方で活用していること、そのためそれぞれが科学的・理性的・合理的なルールを建前としながら、自分たちの立場から勝手な解釈をして、自分たちは理性的で、敵対する国や企業は非理性的で邪悪だと考えていることが見えてきました。


異なる文明の出会い


ここから考えてみたいのは、歴史の過程でこれら先進国とそれ以外の地域の勢力はどんなふうに出会ったのか、そして先進国は彼らの考え方や仕組みをどのように伝えていったのか、それ以外の地域の勢力はどんなふうにそれを受け入れていったのか、彼らのそれまでの考え方や仕組みはどう変わったのかといったことです。

ヨーロッパの価値観や仕組みは、侵略・征服・支配によって強制的に移植された地域もありますし、征服を免れた地域・国々では、それなりの交流を通じて、導入されていきました。それをひとつひとつ辿っていくと、近代の世界史全体を見ていかなければなりませんが、僕が知りたいのは、異なる文明・価値観が出会うとき、それぞれの理性的な考え方や仕組みに何が起きるのか、非理性の領域も含めてそれぞれの意識に何が起きるのかということです。


それぞれの変化、それぞれの非理性


先進国側は自分たちの考え方や仕組みを持って海外に出ていき、取引や侵略・征服を通じてそれを広めていったので、そんなに大きな変化はなかったのに対して、それを受容した地域ではかなり根本的な変化が起きました。

しかも、それまでの理性が、完全にヨーロッパ由来の理性に置き換わった訳ではなく、伝統的な理性にヨーロッパ型の理性が接木され、それまで理性的とされてきたことが非理性的と考えられるようになったり、ある部分は伝統的な理性による考え方や仕組みが残って二重構造が生まれたり、地域や国によって様々なことが起きました。

ヨーロッパ由来の考え方を建前とし、伝統的な考え方を本音として持ち続けるというのは、どんな地域・国にもそれなりにあることですが、本音の部分がどれくらい理性的か、どれくらい非理性的な作用をするのかといったことも、国や地域によってまちまちです。

それら非理性的な反応によって、いろんな地域にいろんな独裁的支配や反乱・紛争が生まれました。

ヨーロッパの先進国も、自分たちの考え方や仕組みを世界中に普及させたんだから、自分たちは一貫して理性的であると主張するわけにはいきません。彼らの非理性的な侵略・征服・支配もまた、世界の様々な軋轢や抗争を生んできたからです。

しかも、彼らは自分たちの非理性をあまり理解していないフシがあります。これまで見てきたように、自分たちは理性的であって、非理性的ではないという彼らの思い込みもまた、近代の様々な軋轢や抗争の原因になってきました。

これから見ていきたいのは、単に近代ヨーロッパ由来の考え方や仕組みが、それ以外の地域にどう伝わったかだけではなく、そこで理性と非理性に関するどんな思い込み、思い違いが、先進国とそれ以外の地域の勢力の間に生まれたかです。


メキシコ征服


まず取り上げたいのは、スペイン人によるメキシコ征服です。

エルナン・コルテス率いるスペインの遠征隊は1519年から1520年にかけて、金を求めてメキシコに遠征し、ユカタン半島のマヤ人や、中央高原のアステカと戦ったり交渉したりしながら、先住民を征服しました。

スペインの遠征隊は兵士が500人、水夫100人ほどだったのに対し、先住民側は万単位の軍勢をぶつけてきましたが、それでも彼らが勝つことができたのは、ひとつには銃や鉄製の武器を持っていたことがあります。これに対して先住民の主要な武器は石器でした。

メキシコにはアステカより前に巨大ピラミッドを築いた文明があったし、アステカ人も今のメキシコシティあたりにあった広大な湖に、壮麗な神殿や宮殿のある水上都市を築いていましたから、優れた技術は持っていたとも言えますが、古代エジプトやメソポタミアにはあった金属器も、丸太を転がして重いものを運ぶコロも持っていませんでした。

しかし、スペイン人がメキシコを征服できた最大の理由は、そうしたハード面の差ではなくソフト面、物事のとらえかたや考え方の違いによるものだったと言われています。


「他者」を認識できるかどうか


その違いとは、簡単に言うと、ヨーロッパ人であるスペイン人が、この世に自分たちと全く価値観の異なる他者が存在することを知っていたのに対して、まだ古代の信仰の世界に生きていたメキシコの先住民は、彼らが信仰する神々を信仰しない他者が存在することなど思いもよらなかったということです。

スペイン人はキリスト教徒で、自分たちの神を信仰していましたが、ヨーロッパの外に自分たちと価値観の異なる色々な民族がいることを知っていました。

それは、彼らが属するヨーロッパ・地中海沿岸で、古代から様々な価値観を持つ民族・国家による戦争や征服・支配が繰り返されてきたからですし、宗教的にも古代の多神教から一神教であるキリスト教への移行を経験したり、同じ一神教でもユダヤ教徒やイスラム教徒と対立したり戦ったりしてきたからです。

特にスペインは古代末期から中世にかけて、イスラム帝国の侵略を受けて国土の多くを奪われ、何百年もかけて徐々に国土を奪還したという歴史がありました。イスラム勢力がスペインから完全に撤退したのは1492年ですから、コロンブスがアメリカ大陸の西インド諸島に到達した年、メキシコ遠征の30年ほど前のことです。

遠征隊長コルテスは何も恐れない勇気と大胆さや、スペインの政界で磨いた権謀術数のほか、ヨーロッパの学術語だったラテン語ができたとのことなので、当時としてはけっこう高度な知性を身につけた人だったようです。


『メキシコの夢』『メキシコ征服記』


このあたりの経緯について僕はかなり前に、フランスの作家ル・クレジオの『メキシコの夢』(望月芳郎訳 新潮社)を読んで知りました。この本に紹介されていたベルナール・ディーアス・デル・カスティーリョの『メキシコ征服記』(小林一宏訳 岩波書店 大航海時代叢書エクストラ・シリーズ)も買いましたが、こちらは3巻からなるものすごい大作なので第1巻だけしか読んでいません。デル・カスティーリョはコルテスの遠征に参加した人なので、他の資料より内容が正確なだけでなく、体験した人でなければ語れない迫力があるので、また改めてじっくり読んでみたいと考えています。


幻想的な古代型宗教の世界


スペイン人が、異文化の人種と渡り合うことにかけては、百戦錬磨だったのに対して、メキシコの先住民は色々な地域に異なる部族がいて、戦ったり征服したりはあったものの、基本的に同じような神々を信仰し、同じような価値観・世界観の中で生きていました。

ル・クレジオによると、スペイン人がストレートに先住民から黄金を獲得することをめざし、抵抗する軍勢と戦ったのに対して、先住民側の頂点に立つアステカの王モクテスマの関心は、もっぱら呪術師を通じて神々と交信し、天によって定められた自分たちの運命を知ることだったと言います。

このあたりのことをル・クレジオは「スペイン人が到来したときインディオの世界に宿っていたのは夢であり、呪術であった」と書いています。


自虐的信仰


アステカにとって不運だったのは、メキシコ先住民に古くから、テウルという白くて大きな神々がやってきて、彼らの過ちを咎め、滅ぼすという言い伝えがあったことでした。彼らは天の機嫌を取るため、毎日生贄の首を刎ねて、流れる血を捧げることに熱中していました。

自分たちが滅びるかもしれないという不安はどんどん募っていくにつれて、首を刎ねられる生贄の数も多くなっていったと言います。

そしてスペイン人が先住民と遭遇してまず黄金を要求したことも、先住民たちにとってみれば、彼らがテウルつまり神々であることを証明しているように思われました。先住民たちにとって黄金は神々が求めるものだからです。

スペイン人が先住民と最初に接触したとき、アステカ帝国側が知ろうとしたのは彼らが神々テウルなのかということでした。言葉が違うわけですから、どれだけ正確にコミュニケーションが取れたのか疑問ですが、スペイン人は早い段階で先住民たちが自分たちを神々ではないかと考えていることを察知してしまいます。

スペイン人にとって幸運だったのは、最初にアステカ帝国の衛星国のひとつと戦って勝利を収めたとき、敗れた先住民側が差し出した贈り物の中に、高貴な女性がいたことでした。彼女はコルテスの愛人となり、彼に言葉や先住民の価値観、慣習などを教えたと言います。アステカ帝国との交渉では通訳を務め、コルテスに様々な助言もしました。

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