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三千世界への旅/アメリカ6

アメリカン・ネーションズ 始まりの歴史3


地主の子弟たちの植民地「タイドウォーター」


最悪のスタート

アメリカにはボストンに入植した清教徒や、フィラデルフィアに入植したクエーカー教徒よりも早く、植民地を開拓した勢力がいました。

それが今のバージニア州のチェサピーク湾あたりに入植したイギリス地主階級の息子たちです。昔の地主階級は、長男がすべての土地を相続するので、地元にいても土地を相続できない次男坊以下の息子たちは、父親や兄に財政的な支援を受けながら、新大陸で運命を切り開こうとしたとのこと。

彼らが最初にやってきたのは1607年ですから、ヤンキーダムやニューアムステルダム、ミッドランドのスタートよりも前です。人数は104人。清教徒やクエーカーなどが家族でやってきたのと違い、独身男たちの集団だったと言います。

一応、バージニアカンパニーという開拓会社の話に乗せられて、労働経験のない世間知らずの資産家のぼんぼんたちが、冒険心に浮かれてやってきたという感じだったため、最初の9カ月で生き残ったのはわずか38人。

農地に不向きな湿地帯を開墾しようとしてろくな作物もできず、栄養不良や慣れない肉体労働で体は消耗し、不健康な湿地帯で病気になる人たちもいて、結局多くが飢えと過労のために死んでいくことになりました。翌年にも220人がやってきましたが、やはりまともな農地開拓はできず、60人しか生き残ることができませんでした。

先住民とのゲリラ戦

そもそも彼らはヤンキーダムやミッドランドの入植者たちのように農地開拓が目的で来たのではなく、スペイン人がメキシコのアステカ帝国やペルーのインカ帝国を征服したような感じで先住民を征服し、新大陸の貴族になろうという夢を抱いていたとのこと。

しかし、この土地の先住民は自然の中で分散的に暮らしていて、人口は2400人くらい。アステカやインカのように都市型の文明を築いていなかったため、戦闘はゲリラ戦になり、先住民に有利に推移しました。

もう少し長期的に見ても、1607年から1624年の間にイギリスから7200人がやってきて、そのうち1200人しか生き残らなかったと言います。

農業の急成長

しかし、二つの出来事がこの地域の開拓を劇的に変化させることになります。

ひとつは、先住民の女性ポカホンタス(ディズニーのアニメ映画になった人です)と結婚したジョン・ロルフという人物が、先住民が育てていたタバコの苗を手に入れて育てることに成功したことです。タバコはイギリスに向けて販売されるようになり、植民地の産業として発展していきました。

もうひとつは、1640年代にイギリスで清教徒による市民革命が起きて王政が一時的に打倒され、地主階級の多くがアメリカへ渡ってきたことです。これによってバージニア植民地の人口が急激に増えました。タイドウォーターのバージニアは、1669年には人口が4万人に達し、タバコを主体とする農業が急速に広がっていきました。

地主階級は宗教的には英国国教会つまり、イギリスのカトリック教会が政治的な都合でローマカトリックから分離した宗派で、基本的には組織も教義もカトリックと同じです。この点でも、新教系のヤンキーダムやミッドランドとはカルチャーが違います。

使用人と奴隷

最初のうち彼らが経営する農園の労働力は、イギリスの大都市で仕事にありつけない貧民を安く雇うことでまかなわれました。アフリカからもオランダ経由で働き手を買っていましたが、働き手としての白人と黒人には差別はなかったようです。

ちなみにウッダードは彼らのことをサーバント(奉公人/使用人)と表現していて、スレイヴ(奴隷)とは呼んでいません。黒人の中にも1650年代になるとアフリカ系のサーバント数名と250エーカーの土地を所有する農園主が出てきたとのことです。

ただ、ウッダードは「サーバントを所有する」という言い方をしていますから、サーバント(奉公人・使用人)はスレイヴ(奴隷)ではないにしても、主人と雇用契約を結んで雇われているだけの使用人ではないようです。

19世紀に奴隷解放をめぐって南北戦争が起きたとき、バージニア州は南北カロライナやジョージア州と共に奴隷州として南軍に加わっています。南北カロライナやジョージアのようにアフリカ人を動物のように酷使したり虐待したりしなかったとしても、「所有」できるサーバントは自由人ではないでしょう。

古代ローマには奴隷が解放されて商人になって成功することが珍しくなかったようですが、バージニアのサーバントはそういうタイプの「奴隷」だったと言えるのかもしれません。

タバコ産業の限界

このバージニア植民地のネーションを、ウッダードは「タイドウォーター」と呼んでいます。文字通りの意味は潮の水ですが、この場合は、潮水の満ち引きがある海岸の低湿地帯の意味でしょうか。

ヤンキーダムやミッドランドが西の地域に大きく広がっていったのに対して、タイドウォーターはその名の通り、東海岸からあまり大きく広がりませんでした。

バージニアのタバコ栽培はアメリカ植民地で最初に開花した輸出産業になりましたが、南北カロライナやジョージアでアフリカ系の奴隷を大量に酷使して莫大な富を築いた綿花栽培のように、ボロ儲けできる巨大産業ではなかったからかもしれません。

建国の父たち


それでもタバコ産業は大きな農園を経営する豊かな農園主層を生み出しました。初代アメリカ合衆国大統領ジョージ・ワシントン、第三代トマス・ジェファーソン、第四代ジェームズ・マディソンは、そうした豊かな農園で生まれた子弟です。ジェファーソンやマディソンが教育を受ける年齢に達した頃には、彼らが高等教育を受けるための大学もバージニアに設立されていました。

面白いのは、彼らが奴隷を数百人規模で所有する農園の相続者で、自分で働かなくてもいい貴族的な立場にあったおかげで、高度な教育を受け、啓蒙思想に共感し、イギリスからの独立運動に身を投じることができたことです。

しかし、タバコ農園はそんなに儲かるものではなかったので、彼らが独立前後に政治家として忙しく働いているあいだ、彼らの莫大な活動費や貴族的な暮らしを支える生活費は、農園を抵当とした借金でまかなっていました。19世紀に彼らが亡くなると、農園の多くは金融業者の手に渡ったと言います。

タイドウォーターは、アメリカが古い時代の土地を基盤とした産業から、商工業主体の新しい産業へと軸足を移し、近代国家として成長していくための、過渡期を支えたネーションなのかもしれません。

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