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娘として母親との関係を清算しきれていなかったことを思い知った話


noteを始めて以来、アダルトチルドレンとして母親との関係を記事に書いてきました。


自分としては、母親に対するネガティブな気持ちを整理することができたと思っていたのですが、

そもそも、母親との関係が清算されていれば、とっくに自立して家を出ているはずなわけで、

自分の中の認識の甘さを、またしても思い知らされることとなりました。



まず、今回記事を書くにあたって、きっかけとなった出来事をご紹介します。

それは、母を助手席に乗せて運転していたときのこと。

私は車の運転が苦手なのですが、ある道を右折しようとした際、まっすぐ進んだ方が近道だと何気なく母に言われました。

たしかに近道ではあるのですが、細くなっていてすれ違うことが難しい箇所があったため、通る予定はありませんでした。

ただ、その時の私は母の助言に従い、そのまままっすぐ進むことにしました。

が、案の定対向車とすれ違う時に十分な車幅が確保できず、車体を擦ってしまったんですね。

もう10年以上乗っている車で買い替えを検討していたのもあって、私はこれくらいいいだろうと気にしなかったのですが、

母はパニックになり、言い争いになってしまいました。

そこで私が、「は?お母さんがまっすぐ行けって言ったのが悪いんでしょ?」と猛烈にキレ出したため、逆に冷静になった母が私をなだめる事態へと発展しました。


なぜ、私はここまで怒りの感情がわきあがってきたのか。

なぜ、素直に謝ることができなかったのか。


そこで私は、

これまでずっと、自分の人生という名の運転席にいながら、助手席にいる母親の顔色をうかがってきたのではないか。

はたから見たら、私が運転しているように見えていても、

実際には、どこに行くのか、どの道を曲がるのか、すべて母親の機嫌を損ねないような道を選択してきたのではないか。

“自分の感覚よりも、結局は母の言うことが正しい”と、その権限を母親に明け渡してきたのではないか。

ということに、気がつきました。


自分としては、すべて自分の選択だと思ってきました。

ただ、心のどこかでずっと

母を悲しませないように
母を不安にさせないように
母に注意されないように
母に小言を言われないように

と、どこか母の気持ちを軸にして物事をとらえてきたところがありました。



私たち家族は、13年前に姉を自死で亡くしました。

両親は離婚していて、父親は家を出ていました。

引き取った姉の子たちを育てるので毎日があわただしく、気がつけば成人した姪っ子たちは家を出て行き、

母との関係を清算しきれない状態のまま、今現在まできてしまいました。

そんな中で今回の出来事が起き、母親の呪縛から完全に逃れられていないことを思い知らされました。


たしかに、姉を亡くしたことにより、

私がしっかりしなければ
私が両親を慰めなければ

といった思いを無自覚に抱え、それがかえって自立を阻んて来たように思います。

ただ何が自立を阻んでいるかと言うと、根本的な原因は親の態度そのものではなく、

私の中にある、呪縛から抜け出せないと思っている思考そのものなのです。


何か行動しようとするにも、未だに母親にどう思われるだろうかと、知らず知らずのうちに“答え合わせ”のようなことをしてしまう。

いつだって答えは自分の中にあるのに、もっと言えば、自分で答えを決めていいのに、

いつもどこか外側にある答えに照らし合わせ、自己価値を判断してしまう。

そこで、少しでも母親にとって想定外の行動を取ると罪悪感が生まれ、

自分は親にとって悪い子どもなのではないか
自分は親を不幸にする存在なのではないか

と、無意識に自分を責めてしまう。

しかしそれは、親の姿そのものではなく、私自身が身を守るために遠い昔に取り込んだ“母親像”にすぎないのです。

つまり、それがもう自分にとって必要のないただの“幻”だということに気づければ、手放していくことができるのに、

私はその権利を、ずっと放棄してきました。


私はずっと、これまで内なる自分の声を無視してきました。

ー家を出たい。

ー自由になりたい。

ー家族に縛られたくない。

そのどれも、叶えてあげることができませんでした。

なぜかと言うと、そのどれもが、自分が大切にしてきたものを壊すような気がしていたからです。

ただ私は、最近になって、その感覚が間違っていたことに気づきました。


人は自分の幸せを他人にゆだねることはできません。

自分で自分を幸せにしていくしかないんです。

自分で自分を幸せにしていいんです。

『私はもう大丈夫』と、親に堂々と宣言していいのです。

“子どもであること”に、いつまでもとどまり続けなくていいのです。

親から、親であることのアイデンティティを取り上げていいのです。

たとえ親の期待を裏切ることになったとしても、自分は自分として純粋に自分の望みを叶えていっていいのです。

(もっと言うと、実は親自身もそこまで親というアイデンティティに固執していなかったりします)


今までさんざんエラそうなことを記事に書いてきましたが、私は今回のことで、根本的に自立できていなかったことを痛感させられました。

ただ、今回のことがきっかけで、長年できていなかった親との関係を清算するフェーズに入ったと感じます。

何より、自分の人生に対してちゃんと本気を出してこれなかったんだなということに、私はたどりつきました。


本当は第2チャクラと母親の関係を記事にしようと思ったのですが、

次回、親との関係を清算するため、また、姉の死に対する供養のためにも、

改めて“性”をテーマに、第2チャクラと母親の関係性を書きたいと思います。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました💐


(すべての女性に読んでほしい。いや、母親との関係に悩みを持つ人すべてに読んでほしい超超良書です↑)



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