見出し画像

【外出】カープ観戦|巨人優勝の日に父のわがままから気づかされること

セリーグ巨人優勝おめでとうございます!

私はカープファン
9月28日この辺りでカープ優勝の瞬間に遭遇できるかも!?と思い4枚チケットを購入した。予定では私の父母と私たち夫婦4人で行く予定だったが、母は骨折で入院中。3人で優勝の観戦することになった。

父は92歳だが、足腰は弱っているものの頭はしっかりしており、車の運転もできるくらい(正直もうそろそろ引退してほしいが)若い頃は、自分が一番、自慢したい、かまわれたい、、、まさに私の「苦手なタイプ」だった。年齢を重ねるにつれて少しは丸くなったが、それでも本質は抜けない。

ただ母の入院を機に素直になってきたな、と思う場面が増えた。今まで家事は全て母任せ。母への感謝と親戚、地域の人や友人からの支援に心からありがたいと思う表れだと思っている。

そう思っていたのに、父のわがままが炸裂し始めた。

通常ならカープ負け試合なら、混雑する前8回裏の攻撃が終わる頃に球場を後にする。この日は完全に負けが決まっただろうと思われる7回表に「カープが勝っても負けても寄り道をして帰らんか。街の雰囲気を味わってみたい」と言い出した。YESしかない。

盛り上がりにかける巨人の阿部監督の胴上げを見終わってから、球場を出発
(やはり地元開催のゲームで優勝がBest)

阿部監督の胴上げ

「カープロードを歩いて広島駅まで行こう」
広島駅まで800m
レンガの壁面には歴代戦績や監督・コーチ・選手の名前が刻まれた銅板が飾られており、懐かしい選手の名前や銅板に父が解説を加える。広島駅に向かう人の波に押されながらも、懐かしそうに銅板に刻まれている選手の名前を読みあげる父。

「広島駅まで着いたらコーヒーでも飲んで帰ろう」
広島駅は2025年春、新しく生まれ変わる。現在工事中で、美しい外観ではない。それでも父は「オープンしたら工事中の建物は見れんからな」と言って新しい建物の一部が顔覗かせるビルに目を丸くして見入っている。

広島駅の構内についた時間は22時半。
飲食店に明かりはついているものの「営業終了」の看板。終電が間近になると、当然お客も少なくなるので店じまいとなる。
最初は元気に歩いていた父も、杖はあれども約1kmの距離はキツイ。駅中のスペースでひと休み。その間に、空いているコーヒー店はないか探しにいったがどこも営業終了。さすがに父も、そこからは少し足をのばして店をさがそうとは言わず、諦めて帰宅することにした。

そんなわがままも許せるようになった。
父と歩くカープロード
父と見る工事中の広島駅
開店しているコーヒーショップ探し
もう二度とないかもしれない
父が今日「したい」と思ったことを叶えてあげることができるのは、私しかいない。それと同時に父とのこの瞬間は二度と訪れない
例え来年、父と一緒にカープ観戦に来れたとして、カープロードを歩いたとしても、完成した広島駅を見れたとしても、それは全く別の思い出となる。

「同じ川にもう一度入ることはできない」

古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトス

どんなに同じ川に見えても、その水は常に流れており、同じ場所で同じ水に接することはできない。時間や状況、人の心など、すべてが常に変化している。 見た目は同じかもしれないが、少しの時間が経過しただけでも、その環境や自分自身は変わっている。

私たちが過ごしている毎日は同じことの繰り返しのように見えて、毎日ちがっている。今日と昨日、何が違ったか、、、今日の自分を振り返るそんな時間を持ちたい。父のわがままに付き合って、今この瞬間をを大切にしようと、さらに思えるようになった気がする。






この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?