
囁く井戸「ショートほらー」
僕たちの町には古い井戸があった。町の外れの神社の境内にあり、誰も近づかない場所だった。その井戸には不気味な噂がある。
「井戸に耳を近づけると、囁き声が聞こえる。そして、その声に答えると、願いが叶う。でも――」
そこで噂は途切れる。誰もその先を語らないし、語れる人もいないのだろう。僕は興味本位でその井戸に行くことを決めた。
ある曇った日の夕方、僕は一人で神社へ向かった。神社は人気がなく、風で木々がざわめく音だけが響いていた。井戸は古びた石で囲われ、苔がびっしりと生えていた。その周囲には、奇妙な静けさが漂っていた。
僕は恐る恐る井戸に近づき、その暗闇を覗き込んだ。底は見えない。ただの黒い穴だ。
「本当に声なんて聞こえるのか?」
半信半疑で耳を近づけた瞬間、かすかな声が耳元で囁いた。
「願いを、言え……」
その声はどこか遠くから響いてくるようで、冷たい感触を伴っていた。僕は驚きつつも、冗談半分で言った。
「……お金持ちになりたい。」
声は静かに笑った後、こう答えた。
「代償を、払え……」
「代償って、何だよ?」
僕が尋ねると、井戸の奥から風が吹き上がり、冷たい空気が全身を包んだ。次の瞬間、僕の周囲の景色が変わっていた。
気づくと、僕は豪華な邸宅の中に立っていた。輝くシャンデリア、大理石の床、そしてテーブルの上には金銀財宝が山のように積まれていた。
「これが、願いの結果か?」
僕は歓喜に震えた。しかし、ふと気づいた。鏡に映る自分の姿がぼやけている。いや、鏡の中には僕がいなかった。
「代償は、存在。」
井戸の声が頭の中に響いた。
僕は急いで外に出ようとしたが、扉も窓も消えていた。邸宅の中には出口がなく、時間も止まったように静まり返っている。そして、徐々に気づいていった。
この豪華な部屋は、永遠に続く檻だと。願いは叶ったが、僕の存在そのものが現実から切り離されてしまったのだ。
そして、今も井戸は町の外れで囁き続けている。次の「代償」を求めて。