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雨環し「ショートホラー」
山奥の集落では、年に一度「雨還し(あまがえし)」と呼ばれる奇妙な儀式が行われる。
梅雨が明ける頃、村人たちは夜更けに静かに外へ出て、そっと雨を迎え入れる。
「この雨は、昔ここで死んだ者たちが還るものなんじゃよ」
そう語るのは、集落に住む老人だった。村人たちは古くから、この雨に触れてはいけないとされていた。雨粒は、亡き者たちの名残。もしそれに触れれば、彼らは二度と帰ることができなくなるという。
ある日、旅の薬師がこの村を訪れた。彼は湿った空気を好み、薬草を求めていた。そして、ちょうど雨還しの夜に、その奇妙な雨を目の当たりにした。
その雨は、まるで生きているように降り、地面に落ちると静かに蒸発して消えた。手を伸ばせば掴めそうなのに、村人たちは誰一人として触れようとしない。
「なんとも不思議な雨だな」
薬師はそっと掌を差し出した。すると、一滴の雨が肌に落ちた瞬間——耳元で誰かの囁く声が聞こえた。
「——たすけて」
その声に驚いた彼は、周囲を見渡した。しかし、そこにはただ、雨に濡れた静かな村の風景があるだけだった。
夜が明け、雨は止んだ。だが、村人たちは不安げに彼を見つめていた。
「……見えてしまったのか」
そう呟いた老人が、ゆっくりと語り始めた。
「この雨は、もともと生きていた者たちのものじゃ。遠い昔、ここで起こった災いで亡くなった者たちが、こうして雨に姿を変えて帰ってくる。だが、その声を聞いた者は……やがて、雨の一部になってしまう」
薬師は、その言葉を鼻で笑いながら村を去った。しかし、それから彼はどこにも姿を現さなくなった。
翌年の雨還しの夜、村人たちはふと気がついた。降りしきる雨粒のひとつひとつが、まるで人の形をしているように見えた。
その中に、旅の薬師の顔があった——静かに、何かを伝えようとしているように。