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ヒューマン小説「砂時計の記憶」
東京の喧騒から離れた海辺の町。そこにある古い時計店の2階に、砂時計職人の佐藤陽一は住んでいた。70歳を過ぎた今も、繊細な手仕事を続ける陽一の元には、時々珍しい依頼が舞い込む。
ある日、30代半ばの女性が店を訪れた。
「砂時計を作っていただけますか?」
陽一は頷いた。「もちろんです。どんなものをお探しで?」
「実は...」女性は躊躇いがちに言葉を紡いだ。「亡くなった母の遺灰を入れたいんです」
陽一は驚いたが、冷静さを保った。「なるほど。大切なものですね」
彼女の名は村井美樹。母との複雑な関係を語り始めた。
幼い頃から厳しかった母。美樹は反発し、18で家を出た。それ以来、ほとんど連絡を取らずにいた。そんな母が突然他界し、美樹は後悔と罪悪感に苛まれていた。
「最後に会ったとき、もっと話せばよかった...」美樹の声は震えていた。
陽一は静かに聞いていた。「砂時計は、過去と未来をつなぐものです」と、やがて口を開いた。「あなたと母さんの時間も、きっとつながっている」
その言葉に、美樹の目に涙が浮かんだ。
制作が始まり、美樹は時々店を訪れた。そのたびに、母との思い出を語った。良いことも悪いことも、すべてを。陽一は黙って聞きながら、丁寧に砂時計を作り上げていった。
完成した砂時計は、シンプルながら美しいものだった。中には母の遺灰と、美樹の思い出の品々が封入されていた。
「砂が落ちるたび、母との時間が流れていくんです」美樹は感慨深げに言った。
その時、店の扉が開いた。驚いたことに、入ってきたのは陽一の息子・健太だった。10年以上も音信不通だった息子が、突然現れたのだ。
「父さん...」健太は言葉につまった。
陽一は息子を見つめ、そっと微笑んだ。「よく来たな」
美樹は二人の様子を見て、自分と母の関係を重ね合わせた。
「お父さん」美樹は陽一に向かって言った。「息子さんとゆっくり話してください。私はまた来ます」
陽一は感謝の眼差しを向けた。「ありがとう。そうさせてもらいます」
美樹は新しい砂時計を抱え、店を後にした。海からの風が髪をなびかせる。彼女は深呼吸をし、母への思いを新たにした。
そして陽一は、長い年月を経て再会した息子と向き合った。二人の会話が始まり、新たな時を刻み始めるのだった。
砂時計の中の砂は、静かに、しかし確実に流れ続ける。過去と現在、そして未来へと、人々の思いをつなぎながら。