見出し画像

祈りは通じるのか…

自身も含めてだが、人は都合が悪くなると神頼みをする。
信仰心があってもなくても。

特に信仰心がある訳ではないが、何かに縋っていないと生きた心地がしないのも事実。
それは例えば物や家族だったりと、目の前にある信じられるものなのだろう。
こういった事柄は人によっては大きく異なるだろう。
何故ならば、信じる対象が違うのだから。

常々自身に言い聞かせている点は、むやみに政治と宗教を語らない事だ。
その理由は単純に面倒な事ではなく、あらゆる国が存在し、あらゆる言語が存在する様に、価値観もまた多様化し、それぞれのあるべき地に根付いているからだ。

で、今回は邦題「アンジェラの灰」を紹介したい。
この作品は原作がある。
しかし残念ながら原作を読まずに映画から入った。
監督はアラン・パーカーらしく、人間の良い面と汚い面を上手く捉えている。

画像1

タイトルの「アンジェラ」は主人公でありながら物語の中心人物は長男のフランクが語る。
舞台は1930年台の世界大恐慌。
ニューヨークで暮らしていた妻、アンジェラ演じるエミリー・ワトソンと、夫マラキ演じるロバート・カーライルが五人目にして初めての娘が生まれる所から物語が進む。
しかし、この家族に不幸が訪れる。
生まれて間もない娘は病気により天に召される。
この表現を敢えて使ったのは、この物語は宗教(主にカトリックとプロテスタント)が核心であると共に、人道的な立場とは?といった問いを観客に投げ掛ける。

話しを戻し、アンジェラとマラキと四人の息子たちはアンジェラの故郷であるアイルランドへ移住する。
しかし、次に夫婦に襲いかかる試練は四人の息子のうちの双子を病気で失う事だ。

当時のアイルランドの空模様とは関係ないだろうが、風景はどんよりとした灰色が画面一帯を支配する。
それらを象徴するかの如く、家族の間に大きな溝が入る。
先ず父親のマラキは自尊心が強いのだが、それ故に頭を下げる事が出来ずに就職先に就けない状態が続く。
就職先が見つかったと思えば、長続きせずに酒浸りになり家族を支えるどころか、現実逃避した挙句、家族から信用をなくす始末。

その後、マラキはイギリスのロンドンに出稼ぎに行くのだが、仕送りもなく一旦は帰ってくるも、また出稼ぎに向かい一生帰らない存在となる。

それでも生きていく上で家族を養わなくてはならない母アンジェラは、高利貸しの女性から借金をする。
長男のフランクは母親の姿を見て学校に通いながら炭鉱の仕事に就く。
過酷な環境でフランクは耐えたが、目が見えなくなるほどの結膜炎となり仕事をやめる事となる。

成長を繰り返すフランクはシェイクスピアの文学に没頭し、物書きのノウハウを身に着ける。
次第にフランクの夢はアメリカへの移住を目標に自律する。

後に学校を辞めたフランクは郵便配達員となる。
仕事中に同僚から結核を患う女性の邸宅に行けばチップがもらえると知る。
実際、チップ以上に肉体関係を共にする仲となる。
ある日、いつもその女性が迎えてくれるはずが母親が対応した。
訊くといつもの女性が入院し、通日後に帰らぬ存在となる。

この様になったのは自分のせいだと責めるフランクは教会で懺悔をする。
だが、その後も何度か懺悔を繰り返すも心模様は一向に晴れない。

物語が進むにつれてフランクはアメリカ行きの貯金を貯める。
夢の為にフランクは仕事に勤しむ。
その矢先にフランクにとってチャンスが舞い降りる。
何故かというと、高利貸しの女性から催促する文章を作って送って欲しいと頼まれる。
女性が提示した賃金も良かったのでフランクは迷わずに引き受ける。

それから、16歳が過ぎたフランクは、儀式的に親戚からパブで酒をもらう。
恐らく日本とは違い成人は20歳ではないのだろう。
従って16歳から成人なのかは別として、たった一杯の酒でフランクは泥酔してしまう。
その姿を見た母は姿を消した夫を思い出す。
まるで目の前に映る姿は父親そのものだと息子を罵る。
酔った状態の息子は反抗しつつも母親に対して手を上げる。
その瞬間、母と息子に不協和音が鳴り響く。
次の日、息子は前日の行いを改めるかの如く教会に出向き再び懺悔を繰り返す。

更にフランクを待ち受けた事実が、高利貸しの女性から頼まれた買い物品を届けようと部屋に入るが、その女性は亡くなっていた。
フランクはすぐに徴収した金と帳簿を手に取り高利貸しの家から出る。

フランクの夢は叶う瞬間だ。
アメリカ行きの船のチケットを購入し、家族から見送られる。
出発する前夜、この日は日食だった。
誰もが経験のない出来事を目の当たりにしようと周囲の人々は外に出る。
実際に映る月夜を、暗黒が奪う光景を悪とも、良い出来事の前兆だとそれぞれが口にする。
フランクには希望だけ支えでしかなかった為、次の日を待ち遠しく感じていた事だろう。

画像2

祈りとは…
形式か儀式でしかないのかは定かではない。
ただ言える事は、信じている方向に進むしかないのだろうと思うのみ。

灰となるか塵と化すかは神や運命が決める事ではない。
間違いなく自身だ。
だからこそ生き甲斐に直結するのかもね♪

きゃっ☆

いいなと思ったら応援しよう!