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癒しと学び⑦ 魂の計画

毎日こつこつ書こうと思っていましたが、ちょっと間が空いてしまいました。仕事が立て込んでしまったのと、自分の中で何か変化が起きたからと言ったらよいかもしれません。

そもそも、
癒しと学びは地続きにあり、これまでの自分の学びや経験を、もりとアートの学校で、もうちょっと形にしていきたいと思っています。でも、なぜか「どういうワークショップや講座にしようかな?」と考えると、頭痛がしてくるので、まずは、癒しと学びについての自分の中にあるものを文章化してみようと思い書きはじめました。

癒しと学び①自分らしく生きること

魂からの答え

というのが、このシリーズを書くきっかけだったのですが、途中から、自分の方向性が見え始めたというのがあります。瞑想の中で、とくに問いを立てているわけではないのですが、急に答えのようなものが降ってくるようになりました。

そのアイディアを形にしていくのにエネルギーを使っていて、この続きを書く時間がなかったというのも、ちょっと中断してしまった理由です。

自分の中にあるモノを書いて整理していくことで、自分の中にスペースが出来たり、整ったのではないかなと思います。自分の中に問いがあった時には、その答えに近づきたくて瞑想することはよくあります。すぐやってこない場合もあれば、来る場合もあれば、いろいろですが、瞑想によって得た答えには、矛盾や葛藤がなく、するっと形にしたり物事が進んだりしていきます。

それは、自分の魂が教えてくれているのだと思います。

という流れなので、自然界のお話しは後回しにして、魂について書きたいと思います。

スピはあやしい?

私は、このシリーズ①でも書いたように、癒し的なものに関わるようになったのはアロマテラピーからで、アロマセラピストでありボディワーカーとして活動をしてきました。身体を通して、見えないものを感じることはあれど、あまりスピリチュアルな世界に近づくことはしませんでした。

でも、ボディを扱っていても人間が対象であれば、ホリスティックな視点で見れば、人の肉体のみならず、エネルギーレベルのことや、意識の有様なども付いて回るわけです。エネルギーワークのワークショップを受けたりはしていましたが、ボディワークに近いものが多かったです。つまり「スピの世界はあやしい」と思っていたので、近づかないようにしていました。

近づいてみることが全くなかったわけではないのですが、「こりゃだめだ」と思うことが何度もありました。今思えば、アストラル的幻想の世界を感じてダメだったような気がします。

そんな私が、魂について学ばねば!と思ったのは、東日本大震災と原発事故の後のことです。

大きな混乱の中で、自分はここで生きようと決めました。福島から避難する人もいれば、残る人もいる。それはどっちが正解は無いので、その人が自分の意志で決めたのならば、それを勇気づけることを、セラピストとしてしたいと思いました。しかし、ふと、「自分は自分の意志できめているけれど、みんなそうなのか?自分の押し付けになってはいけない」「そもそも人間って、自分の人生を決めていくのだろう」という疑問がわいてきたときに、魂というものについて学ばないといけないと思ったのでした。

内的な抽象的な話なので、分かりにくいかもしれませんが、下記の記事にも311の時のこと、魂の学びのことを書いています。

あれほど、「スピはあやしい」と思っていたのに、いざ、学ぼうと決めたら、自分に合ったクラスがさくっと見つかりました。これまでも、だいたい、探し回らないで、これだ!と思う場所に出会うパターンで生きてきました(といってもアロマを学び始めた後からの話。それ以前は瞑想ならぬ迷走状態でした)。

しかし、その時「この際だから、怪しそうだけど気になっているものも受けてみよう!」と思って2~3個受けましたが「あぁ(;^ω^)」という感じがあり・・・。それはそれで学びがなかったわけではないのですが、来なくても良かったかなという。

「選択時の感覚の違い」がよくわかったのと、どの感覚に従って行ったらいいのかを再確認できたという、学びがありました。

誰にでも魂の計画がある

それはそうと、魂について学んで、今までの疑問なども含めて、がっつり腑に落ちることだらけでした。その中でも、「ガッテン」といっぱい推したくなったのは、「個々の魂には計画がある」ということ。

私が学んだクラスはエソテリック・ヒーリングのプラクティショナー養成なのですが、「魂の計画に基づいた」ヒーリングをするのです。なので、実際にヒーリングするのはその人の「魂」です。

ヒーラーはそのサポートをするだけ。ヒーラーの治してやろう、癒してやろう、というエゴは全く不要、そしてかえって害になるものという認識が必要。エネルギーを勝手に操作したりするのではないのです。そうとう上級なヒーラーであれば、また話は違いますし、上級なヒーラーはエゴなどないでしょうから。

スピリチュアルな世界は五感では感じられないので、安全に入っていくための黄金律があります。

ルドルフ・シュタイナーはこう言っています。

「神秘学の真理に向かって汝の認識を一歩進めようとするなら、同時に善に向け汝の性格を三歩進めねばならない」。この規律に従う人だけに、いかに記す行の実践が許される。
(以下には人間を対象とした行について述べられています)

『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』ルドルフ・シュタイナー著 高橋巌訳
(筑摩書房)

自分の感情や思考は、自分が発するエネルギーです。見えないけれども、エネルギーの界層では、実体のあるものなのです。物質レベルだけではなく、自分が発する感情や考えからも害になるものが発せられないようにすることが重要です。

魂の法則的なものは、このnoteの下記のカテゴリーに書いているので興味があったらご覧ください。


スピリチュアルな世界は学びと気づきが必要な世界

人間は「霊」「魂」「体」の存在ですが、体よりも上位の見えない世界に足を踏み入れる場合には、受け身では踏み入れることはできません。自分自身のやっていること、感じていること、考えていることに対して自覚的でない場合には、見えない世界への参入は不可能です。

そのためには、自分自身の肉体や感情、思考について学ぶ必要があるかもしれないし、自分の外の世界についても学ぶ必要があるでしょう。学ぶことと、実際に感じることを通して、私たちは自分が生きている世界は何であり、自分とは、人間とは何なのかを知ることができます。

そうやって本当の自分を探したり認識することは、前に書きましたが「自分の全体性を取り戻していく」癒しのプロセスでもあり、同時に、学びのプロセスでもあるのです。

長くなったので、今日はこの辺で。


私が学んだエソテリックヒーリングのクラスはこちら


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