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植物観察と人間の意識進化
ぼーっとしている時に、急にハッと気づくことがあります。
というか、たぶん、いつも頭の片隅にあるから、あるタイミングで脳がキャッチするのだと思うけど。
植物観察面白いなと思うんだけど、人によっては「で?」ってなる人もいると思うので、「で?」っていうのを考えていました。
私はもともとアロマセラピストだから、植物が持っている力が形態や振る舞いを観察することで理解できるということに魅力を感じているというのが入り口です。
しかし、やってみると、そうそう簡単に本質にはたどり着けません。でも、今たどり着いたところに何か必要なものがあることには違いないと思います。
でも、それで終わりではない。人間も死ぬまで肉体は衰えたとしても精神は成長し続ける可能性があります。
つまり、植物を観察して、そのエッセンスにたどり着いたと思っても、いずれそれは古いものになっていく可能性があるということ。
で、その果てしないことをなんでやっているのかというと、
・植物や自然界の語る言語を人間界に伝えたい(伝える前に理解したい)
・人間の意識の成長はどうやって起きるのか?そして、どうしたらその人が自分の道を見つけて歩んでいけるのか?
(現実を考えれば、それらが達成されていくと、地球と人間界の調和につながるのではないかと思っている)
という私の中にある二つの問いと(目指したいところ)が、植物観察するでえられることに繋がっているので、一石二鳥「感」が私の中にあるんだな、ということに今さら気づいたのでした。
気づいてみれば、そうじゃん、という話なのですが。
単なる植物観察ではなく、ゲーテの自然界の捉え方、そして、それに深い洞察を加えたシュタイナーがいてできた、自然認識の方法。
シュタイナーの霊的観点を除いたとしても、ゲーテが行ったものごとの認識方法は、ヨーガスートラで言われているプロセスと同じだと思う今日この頃。
結局、人間の能力を広げていくための教育プロセスのひとつにできるということだなと。
その辺を言語化し形に構築していくのは、あまり性急にせず、これからの研究課題としたいところ。