マニアック植物観察の意義 後半
つづき。
自分が無限の美しい存在であることをイメージできるかという話をした。
自分が光り輝く天使とかイエスキリストみたいな感じは全く想像できないし、そうなりたいというモチベーションも湧かないが、星々が輝く宇宙や、美しい花々や緑輝く地球の自然界であれば、「それも自分だ」と言いたい気がする、ということを書いた。
でも、今世、生まれた時からそう思っていたかというと、そうでもない。宇宙は好きだったけど、地球を好きになるのはだいぶ後になってからだった。
特にシュタイナーの自然観を知ってから、宇宙の星々は地上の植物とつながっていることが腑に落ちた。
瞑想の中で高次の意識に触れるほどに、自分自身は美しい光の存在であることを理解できるという。そのためには、瞑想を日常的に実践する必要がある。義務ではなくやらずにはいられないぐらいじゃないと。
一方で、植物や自然界をよく見るということは、如何に見過ごしていることがあったかに気づく。そしてそこにある美しさや光を感じることができる。
その光や美は、自分そのものであるということに、自然のエッセンスを見る目を養うことを通して気づいていく。
自然界にある癒しの力とはそういうものではないかと思う。
自分の中に一度、そういう感覚をつくることができたら、自然界の力をかりて自分を癒し統合できる力となる。