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人間たちと輪になって、人間らしく生きるお稽古をしている【10/3-10/10】

ひでと話をしていて、「道場」の話になった。道を歩き続けること。ひとつの場に集って、ひとつの智慧のもと、みんなで修練をしあうこと。ひらがなもファーストピースも、概念を知っただけでは何にもならない。一足飛びに完成しない。やってみて、練習を重ねる必要がある「道」だ。道場みたいだね。だから私たちの場は単発で終わることがない。この練習について私たちはプラクティスという言葉を使うけど、道場とか修練とかいう言葉を思っていると「お稽古」もぴったりじゃないか!!と興奮している。なので今日はお稽古という言葉が連呼されますよろしくどうぞ。

私たちは、大きく言うなら、古代の叡智でいうところの「神聖な人間」として生きるお稽古をしている。そしてその道は結構果てしないこともわかって歩いている。行けるところまで行きたいのだ。何かに触れたと感じた瞬間にまたひとつ大きな問いと成長のエッジを現してくれる果てしない道だけど、歩き続けると感じられることの深さが深まっていくことだけは確か。人生をかけて歩くお稽古の道。

そのお稽古をさせてくれるのは、いつも私以外の「人間」。

同じようにこの生き方の道を歩きたいと思う道場に通う人との間では、このお稽古を共にすることが最も贈り物になることを深く感じた1週間だった。

秋がきてるね

週末のファーストピースの場は、自分の平和を生きていくことを8つの方角の叡智から一緒に学ぶという意志を合意したみんなの場。その共通の意識があるから、いつも問いは「今この瞬間、私の平和を生きるとは?」というお稽古に戻ることができる。そこに立ち戻って話す限り、私たちは自分の進化に自分を捧げる時間を共にいるみんなと共有できる。それはとんでもないお互いへの贈り物になる。ちゃんとその意図があるっていうレンズで見れば、ちゃんと方角の示唆することに沿ったことが起こる。互いに起こし合う。だからみんなでお稽古が進む。スムーズじゃないことも全部がお稽古のための贈り物になる。

同じく週末のひらがなを話す会の場は、自分の全部の声を聞きとって生きて行く生き方の道を一緒に歩きましょう、お稽古しましょうと合意したみんなの場。あらゆる声を出し合って聞きとっていく。涙の声も怒りの声も逃げの声も攻撃の声も、全部をみんなで感じて出していく。そこに「全部の声をきくために私たちは共にいる」という合意がある限り、私たちはどんな声も場に捧げることができる。世間的な良い悪いじゃなくて、それが何であろうと、自分をまあるく包んで自分の生命力に触れている姿が現れるとみんなで感じあえるし、讃えあえる。もちろんこれは偉大な贈り物。

私とひでの間でも、分かち合いが深まり続けている。諦めずにハートから話そう、ハートで聴こうとすることを私たちも練習しつづけている。泣きあって怒りあって震える声を出し合って、またひとつお互いの輪郭がはっきりしていく。光がはっきりしていくよう。

きれいな秋生まれの自然の皆さんと一緒にひらがなを話す会@兵庫県川西市

私たちがつくる場は、生きることのお稽古の場だ。「私の全ての声を私が聞きとって、私が私の生命が見ている夢に向かって歩いて生きていきたいのです」という生き方をみんなでお稽古している。その生き方が現実で可能だということは、私たちの師ウインドイーグルが体現してくれている。

人と輪になってお稽古させ続けてもらえていることへの敬意というか、ありがたさが今すごく感じられている。丁寧にお礼を言いたい気持ちです。
いてくれて、一緒に歩いてくれて、今週もどうもありがとう!あなたがいるから、私たちはより深く自分を生きることができます。あなたの生きるお稽古が成就していきますように、私たちもエネルギーを送ります。

新しい1週間も、どうぞよろしくお願いします。

Earth Partner
りな

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友人ケイタが私たちをインタビューしてくれます。
本当に大切にしていることを大切にお話しします。ぜひいらしてください。

けいた作の文章が光栄すぎる・・・


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ちなみに今日は私。ここに書いたのとまた全然違うのを送りました。

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