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「どんな私であってもいい」っていちばん許してあげられてなかったのは私自身だった。
ようこそ、私のブログへ。
そして、おかえりなさい。
自爆系恋愛の救世主
心理カウンセラー 豊田 梨乃 です。
ただいま
CBCの5DAYSチャレンジ中。
講義を受けて
早速のアウトプットです。
(鉄は熱いうちに打て!方式)
自分を出すことが恥ずかしい。
私はずっと
「恥ずかしい」
が付き纏っています。
なぜなら
ありのままを出した時に
拒否された経験があるからです。
百戦錬磨になれなかったから。
完璧じゃないって知ったから。
それから
自分を出すことが怖いです。
受け入れられなかった時、
孤独になるって知っているから。
いじめにもあったし、
信じていた友人に裏切られたこともあります。
もしもまた、
自分を丸出しにしたら
世界に自分たった1人になるかもしれないって
そう、感じるんです。
「昔に受けた傷がまた
疼き出すのが嫌だ。」
だから、
自分の全てを見てもらうなんて
できるはずないって
どこかでずっと
疑ってるから
「自分を曝け出すこと」ができないんです。
それでいい
でも、
「私の全てを見せて
受け入れられないなら
それで
終わるなら
それでいいじゃん。」
って思えるようにもなってきました。
だって
「その人は
受け入れられないんだもの。」
ただ、それだけ。
受け入れられないアナタに
責任を問うても仕方ないですし、
意味がないです。
だって
「私自身が私の全てを受け入れてあげるから」
それでいい。
そういうことなんだろうなって。
たった1人になることなんてない、
「わたしが最後までそばにいる。」
だから世界にたった1人なんてあるわけない。
もちろん
アナタがそばにいてくれたら嬉しい、
でも
私を受け入れられないなら
それは仕方のないことです。
自分を恥ずかしいと思うことなかれ。
受け入れてもらえなかったとしても
「どうぞ、
お引き取りなすって。」
ってな感じの
マインドでいたいです。
忘れないでいたいのは
「世界に私は1人。
誰にも真似できない。
唯一無二。」
ということ。
そして、
そんな唯一無二の人の比較なんてできやしないです、
だって、
ドッペルゲンガーなんていないもん。
そんなことしても
意味ないですからね。
「どんな私であってもいい」
っていちばん許してあげられてなかったのは
私自身だったんですよね。
私はわたしでいい。
まずは
わたしをもっとしっかり愛していこう。
目の前の人と
愛で繋がるために。
では、今日はこのへんで、
またお会いできるのを楽しみにしてます!
ごきげんよう♪