見出し画像

エイリアン同士

 待ち合わせは梅田でいいよね。

 梅田といっても広いけど分かる? という川中くんの言葉に、「うん、今一番の顧客が大阪の会社だから、大体分かるよ」と返した。高校卒業までは方向音痴で、Googleマップを見ていても目が混乱する私だったけど、大学で独り暮らしを始めてから鍛えられ、道に迷わなくなった。大阪は社会人になってから知った街だけれど、今はどんな街でも闊歩してみせる自信がある。

 今回川中くんと大阪で落ち合うことになったのは偶然だった。彼からメアドの変更連絡が来たのが、大阪出張一週間前だったのだ。大学卒業以来、Facebookで近況を知る以外に連絡を取っていなかった。研究室での懐かしい話題に花が咲いた私たちが、せっかくだから飲もうかという約束を結ぶことになったのはごく自然な流れだった。

 四年ぶりに会う川中くんはスーツがしっくり馴染んだサラリーマンになっていた。仕事帰りということもあり、脂が浮いて白く光る額や頬は、充実した仕事をし、職場で頼もしさが出てきた証拠であるように感じた。大学の研究室で粘っていた時は、今より若い分もっとてらてらだったのだと思うが、今の方が「脂が乗っている」と感じるのは何故だろう。私は自分の肌もまた脂が浮き上がっているのを知覚して、一方的に分析しようとしているのが恥ずかしくなった。

 彼の出身は大阪より少し西の方だったはずだ。しかし同じ研究室になった時、すでに彼の言葉にはほとんどそれらしい訛りがなかった。今日も、梅田のとある鉄道の改札前で落ち合い、ポツポツと話をしながら和風居酒屋のカウンターに並んで座った時まで、彼の言葉には関西のかの字も感じられなかったので少し意外に思った。

「関西弁うつらないんだ?」

「部署に関西出身の人があまり居ないからかもしれない。営業さんとか事務の人はやっぱりこてこての関西弁だけど」

「私はお客さんがネイティブだから、つい言いそうになっちゃうんだよね。抑えるのが大変」

 絶対にわか関西弁だから、お客さんにからかわれそうで。私の言葉に川中くんは頷きながらビールを喉に流し、何か発見したかのように声のトーンをあげた。

「でも、今日は加藤に会ってるからもあると思うよ」

「ああそうだね。タイムスリップした感じになるよね」

 確かに、普段の私は今みたいな喋り方はしない。これは明らかに大学時代のノリだ。なんなら研究室で徹夜した日の変なテンションに近い。私は自分がキャラを演じているような気分になったが、今更テンションを抑えることも出来なかった。

 私たちは焼き鳥やだし巻き卵、軟骨の唐揚げなんかを食べながら、同じ研究室だった仲間の近況やお互いの仕事について話した。コンプライアンスにうるさい昨今なので細部までは話せないが、同じ業界でも得意分野や領域が違う会社の今を知るのは刺激的だった。彼が会社の組織運営の矛盾や非合理性について、諧謔味のある表現で批判しているのも面白かった。この語り口は飲み会の時に皆にもてはやされ、批判の末端にいるはずの指導教官ですらにやにやしていた。私は笑い上戸であることも手伝って、研究室に居た二つ上の女性と、お腹が痛くなるくらい笑い転げたものだった。彼にこういう側面があったことを私はすっかり忘れていた。端正な言葉と見映えのいいところだけ切り取られた写真たちが、私にとっての今の彼だったから。私たちはふっと会話の間が空いたときに、すぐにどちらからともなく沈黙を埋める作業をした。すかさず飲み物を注文するとか、業界ではお決まりの、笑い話レベルの軽い悩みを話すとか。恋愛の話を話題に出さないようにするためだということに私は気付いていた。

 私は最終の新幹線で東京に戻ることになっていた。金曜日なんだからどこかに泊まって、明日は観光していけばいいのになんてことを彼は言わない。それならもう一軒くらい行けるねという話になり、会計を済ませて店を出た。お酒と過剰な暖房で火照った頬が外気に触れて一気に固くなっていく。ぶるりと体を震わせて首をすくめると、空に赤く光る輪が見えた。

「川中くんはあの観覧車乗ったことある?」

「うん。たしか大阪来てすぐの頃に同期と乗ったな」

「そうなんだ、気になってたんだけど、いつもは上司と一緒に東京にトンボ帰りだから」

「ビルの上に立ってるから案外迫力だよ。」と川中くんは言い、少し間を空けて「まだ時間あるよね、乗ってみる?」と聞いてきた。

 乗車待ちの列がカップルばかりだと気付いて、はじめて観覧車はそういう場所だったことを思い出した。全くそのつもりはなかったので、今更恥ずかしくなった。川中くんは前の店で途中まで聞いた、頼りになるけど性格に難がある上司の話をしていた。私たちの間にはきっかり30センチの距離があった。

 ゴンドラの個室は思ったより広かった。向かい合って座ると、なんで自分がこんなところに彼と二人で居るのか心底意味がわからないなと思った。私の口から漏れでた笑いに川中くんは少しムッとした。

「ごめん、なんか急におかしくなっちゃって」

「なんだそれ。でもまあ確かに意味がわかんないよね。あの研究室仲間で乗るもんじゃないっていうか。カップルばっかりでビビったし」

「そうそう。自分が言い出しっぺだから余計しまったと思って。川中くん高いところは平気なんだよね?」

「そこまで得意じゃないけど、これくらいなら大丈夫」

 ゴンドラは最高地点に到達していた。観覧車に乗るときいつもそうするように、進行方向のゴンドラを見やった。余程のことがない限り落ちることはない筈なのに、縦横斜めに組まれた骨組みがゆっくりと動いているのを見下ろすと、鉄骨の隙間にすうっと墜ちていきそうだと思う。何本もの鉄骨が徐々に小さく細く見えるのも、たまらなく背筋がぞくっとするがやめられない。ただ夜なので、ビルの壁や地面を歩く人の姿は日中よりもぼんやりと闇に溶けていて、その分だけいくらか怖さが軽減されていた。

 今の生活は決して悪くない。常にやることに追われていて、したい勉強が十分できない。先輩や同僚との兼ね合いや社内ルールのせいで、思う通りにいかないこともある。それでも仕事自体は満足している。人が多くて窮屈だけど、日本で一番刺激的で混沌としている東京に住めているのも、地元に戻るより余程いい。なのになんで、こういう気持ちになるんだろう。よりによってこんな時に。

「これから私、どこに行くんだろう」

 大学に居た頃、あるいは地元で高校生をしていた頃、28歳の私が仕事帰りに大阪で観覧車に乗っているなんて想像もしていなかった。大学に残って研究を続ける選択肢もあったし、最初は別の大学の別の学部を受験するつもりだった。すぐそばにいるはずの川中くんとの距離が、とてもとても遠く感じた。

「これからも大阪に来ることあるんだよね?また会おうよ」

 この「また」は多分ないことがよく分かった。万一あったとしても年単位で先のことだ。でも、私は彼がギリギリのところまで歩み寄ってくれたことが良く分かった。

「うん。ありがと」

 これは多分恋ではない。でも踏み込み過ぎると、友達でも居られなくなる。私は「いい串揚げの店探しといて」なんていう余計な一言を付け加えないようにするので精一杯だった。

サポートいただけたら飛んで喜びます。本を買ったり講習に参加したりするのに使わせて頂きます。