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五年後、十年後の自分

 朝。そっと布団を抜け出て、コートを羽織って外に出る。東の空からほんのり光が射しているだけの世界。新聞はもう配達されているけれど。

 この時間に書いている時もあったけれど、最近は歩く時間にしている。誰もいないわけではない。車はまだ走っているし、もうスーツ姿の人がいる。歩いている間はあまり何も考えないようにしている。それでも湧いてくる言葉、街を眺めていて気付いたことを、ポケットに入ったままのメモとペンで走り書きする。

 とろとろのスクランブルエッグを作れるようになった。つい最近まで子供たちはしっかり火が通っている卵しか好まなかった。今日はそれとベーコン、レタスをマフィンに挟んで食べる。朝はコーヒー。

 子供たちを学校に送り出したら、すくなくとも昼まではパソコンに向かう。途中から耳栓をする。このパソコンはネットにつないでいない。

 昼ご飯は簡単にトマトの辛いパスタにする。タンパク質がないと馬力が効かないから、鶏の照り焼きも食べる。食べながら録ってあったクローズアップ現代+を観る。相変らずこの番組はいい刺激をくれる。雑誌のエッセイについて構想を練り、編集にメールを一件送る。その後、別の雑誌のエッセイを書き上げて原稿を送る。紅茶で少し休憩。ラジオ体操をする。

 今日は、子供の帰宅とほぼ同時に、シッター兼家政婦兼家庭教師のYさんが来てくれる。Yさんと契約しはじめた頃、気分転換になるから料理だけは自分でやると決めていたが、段々追い付かなくなってきた。毎日来てもらっている訳ではないのだからと、言い訳しながら頼むくせがまだ抜けない。Yさんは今日のおかず以外に、数品の作り置きを作っていってくれる。下の娘の習い事送迎をYさんに頼んで、その間に編集とオンライン打ち合せ、あるサイトのイベントへのネット出演をこなす。

 夕食はYさんと一緒に食べる時もあるが、Yさんは仕事を終えたらたいてい帰宅する。子供たちとリラックスして話せる貴重な時間だ。メインディッシュ、豚をしっとり柔らかく蒸し焼きしたものには、マッシュポテトと芽キャベツが添えられている。デザートはオレンジのコンポート。「うちで作る前に、センセイのところで作るんですよ、実験台にしちゃってすみません」とYさんはよく言う。実際そうなんだろうけど、それでこの料理が食べられるなら本望だと思う。添えたマリネだけは私が漬けたものだ。

 夜は基本的に読書に充てるが、興が乗ったら書くようにしている。しかし読書時間は死守したいから、夜書くのは一時間までと決めている。アイデアノートを見返して、あたためていたプロットを少し直す。今日は幼稚園のママ友だった人と、少しだけLINEと電話もする。あと、前々からの知り合いで、今書いていることに少し詳しい人とも連絡を取る。その人の知見や聡明さに頼ってはいけないと思っているから、物足りないなくらいで済ます。

 砂漠。静かな砂漠。

 作家になったら、作家仲間とわいわいやれて、抱えていた淋しさが消える……なんてことはやっぱりなかった。さして用がなくても連絡を取り合うセンセイ仲間は何人か出来たけど、東京に住んでいないから「じゃあ三十分後にお茶しよ」というわけにはいかない。それに同志とは少し遠いところでいた方がいいような気もする。

 却って小説とは縁のない知人達とのかかわりが深くなった。もしかしたら「自分のことを書かれるかも」と戦々恐々なのかもしれないけれど、変わらず付き合ってくれる人たちは本当にありがたい。

 それにしても、買い替えた執筆用チェアがとてもいい。前の椅子はすぐに腰が痛くなったから。

 仲間とのつながりを強く持てず、愛のことをまるで信じていない私が、愛の話を書くのはとんでもない詐欺行為のように思うけれど、今夜もせいぜい美しい嘘を吐こう。


  自分の企画で書いてみました。うーん、予想よりも平坦な文章になってしまった。どうせならもっとスノッブな感じにすればよかったのに。あるいは、担当の編集さんや懇意にしている作家仲間がイケメンで私に気があって、私も憎からず思っていて……と危うい感じにしたっていいのに。中途半端! いや別にしたくないから書かなくていいんだけどさ。

 ちなみにYさん的存在は今も欲しいです。なんなら自分のコピーロボットでもいい。私が分裂するんでもいいから。

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紅茶と蜂蜜
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