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わたしはたわし

「かつてのわたし」は私の事をとても嫌いでした。

はやく死にたいとか消えたいとか、どうして私は私なんだろうみたいなことばかり考えていました。
ちなみにそこに糖尿病は関係ありません。
ただ理由もなく漠然と、自分が嫌いだった。
それはまあ、強いていうなら自分の価値をすり減らしていく家庭環境によったのかもしれませんが、本筋と関係ないので今回は語らんどきます。

さて。敢えて「かつての」という枕詞をつけました。
実は今私、昔みたいに自分のこと嫌いじゃないです。なんなら割と好きです。
今の自分が今までの人生において最高で、かわいくて、ハッピーだと思ってます。

まあそれでも時々、どうしようもなく苦しくなったり死にたくなることはありますけど。

別に何かが劇的に変わったわけではないです。
ただちょっと、思考回路は変わりました。


私の新しい思想というやつは、極めてエゴイスティックです。
他人は置いておいて、自分のことしか考えていません。

端的に言えば、私にとって私は
「思想や嗜好を概ねすべて理解できる唯一の存在」
であり、かつ
「修飾されない評価を得られる唯一の存在」
であると考えています。

何言ってるかわかんないですよね。解説していきましょう。


まずは自分をふたつに分けます。

① なにかをするわたし
② 評価するわたし

わたし①がなにかしたとして、なにを意図してどのようにやったのか、わたし②は余すところなく知っています。
実は隠れて努力してて、とか本当は浅ましい心で、とか隠しようもないのです。

こんな風に思考回路もすべてみえる状態で、わたし②として敢えて自分を、できるだけ客観的にみてみます。
あくまで自分を好きになりたいというのであれば、ここでの評価は激烈に甘く、優しく、でも納得できるものがよいです。

いいことは褒める、
だめなところは受け入れる、

この精神が大事です。
今日も運動した、ちゃんと続けてる、えらい。
今日はサボっちゃった、でも昨日まではやってたし、明日またやればいいよ。
そんな風に考えます。

逆にその「評価に至る思考回路」は、わたし①にとって理解できるものだし、そこに要らない気遣いや嫌味は存在しません。
だからわたし①はその褒めや受け入れを、素直に受け入れてよいのです。

行動と評価を自己完結させる、とでも言えばよいでしょうか。

行動する、それを褒めたり受け入れたりする、その評価を受け止めてまた行動するみたいな。
いずれのパターンにおいてもあくまで自分を「理解のできる他人」として扱っています。

まあでも、褒めるとか受け入れるとか結構難しいですよね。
その辺は練習です。なにかいいことをしたら、誰も褒めてくれなくても自分は自分を褒めるとか。
なにか失敗して怒られたら、次はこうすればいいじゃん、おつかれって受け止めるとか。
自己評価であっても、他人から言われて嬉しい言葉を自分に投げかけてみるの悪くないと私は思うのです。

そこに他者からの評価は介在しません。
ほら、なんてエゴイスティック。

もちろん社会生活を送る上では他者から受けた評価に真剣に向き合う必要があることもあります。
批判的な評価を受けるのはしんどいです。
その全てに盲目的に付き従う必要はないですが、よくないなと自分でも納得したことは積極的に修正した方がいいでしょう。
そこは無理なく、できるペースで、やれることから。

しかどうせできません。

あと、世の中にはそれなりに「幸せそうなやつを嫌な気持ちにさせたいだけ」の人々がいるので、そういうやつらの意見に囚われたら損です。
あー、この人批判したいだけなんだなって思ったらミュートしちゃいましょう、自衛自衛。
そういう人たちの特徴かな、と思うこととして「こちらの言い分を聞かないか、聞いたふりをして全く意見を変えない」「行動ではなく人格を否定する」があります。
正しいこと言ってることもありますけど、仮に正しかったとしてもそんなやなやつと長く付き合い続ける必要はないと思うな。
付き合わざるをえない場合は、聞き流しちゃいましょう。自衛自衛。


あと、上述の自己完結思考をそのまま、自分の中にしまい込んでしまってはもったいないです。

人は褒められたい生き物ですから、自分を褒める方法を習得すれば他人を褒めることにも繋がるはず。
そして上手に他者を褒めたり受け入れたりできるようになれば、より自分のことを褒めたり受け入れたりしやすくなる。
よい循環ですね。

逆に自分のやらかしを許して、同じように他人のそれを受け入れて、より自分を許容できるようになることもあるでしょう。
自分にも他人にも優しくして悪いことなんてそうそうないし、それをされて喜んでくれる他人が周囲に残るのはお互いのためにもなると思いませんか?

そして相手に褒められたら、とりあえず受け入れちゃいましょう。
お世辞かも?
そうね、でも、自分が素直に褒めたことを勝手にお世辞だと思われたら腹立ちません?
逆にそんな嫌味ったらしいお世辞、人に言うことあります?(そういうのが好きな性格悪いひとも居るんでしょうが)
そもそも実際に褒めてくれる相手でも、嫌味褒めするやつが相手でも素直に喜んどくのがよい対応だと思いませんか?
笑いたいやつには笑わせとけばいいんですよ。聞こえもしないそいつの笑い声が、あなたの価値を揺るがすことはないんだから。

だからとりあえず褒められたら、感謝とハッピーを伝えておけばいいんです。ありがとう嬉しい!って。

そして是非、嬉しい褒められ方は覚えておきましょう。
思い出したら嬉しいですし、自分や他人に還元していけますから。

こうやって自分を好きになる工夫をすればしただけ、自分を褒めたり甘やかしたりするのが得意になります。
合う/合わないはあると思いますけど、少なくとも私はこんな思考で生きていて、今んとこいい感じです。
誰もが他人の評価だけに縛られず、自分が自分をこんな風に愛してあげられたら、世界は平和になる気がするんですけど。


他人はどこまで行っても他人だから。それぞれの思考や嗜好があるから。
理解できない、思い通りにならない他人に縛られず、エゴイスティックに生きるの、どうでしょう?

……ちなみに。この思考に至るにあたって、精神科通院が非常に助けになったであろうことは追記しておかなきゃダメですね。


そんなn=1の思考をお伝えしたところで今回のお話はここまで。
ややネタ切れ気味になってきましたが、思いついたらまた来月。
次のお話ができる頃合いまでは、こちらのnoteは無料公開しておきます。

それではどうも、えあでした。

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