こんにちは、小野えあです
1型糖尿病と共に生きる糖尿病内科医です。
以前から何度か「スティグマ」「偏見」について書いているのですが、時間が経って読み返してみたら言いたいことが少し変わってたので、書き直すことにしました。
最初に、それぞれを簡単に説明する図を置いておきます。
最初に聞きます。
「あなたは偏見をもっていますか?」
「スティグマ」とは
スティグマという単語、耳慣れない方も多いと思いますし、間違った認識をしている方もいます。
スティグマを日本語訳すると、
特定の属性に対して刻まれる「負の烙印」
今回は特定の属性=糖尿病として、「糖尿病スティグマ」についてお話します。
まず「糖尿病スティグマ」の定義から。
糖尿病に対する社会からの差別と偏見が、糖尿病患者に社会的・経済的不利益を与え、糖尿病がある人々の社会的地位と自尊感情を著しく損なっている。
これを「糖尿病スティグマ」と呼ぶ。
不利益の具体的な例を挙げると
・生命保険に加入できない、保険料が高い
・住宅ローンを組めない
・病気について伝えなかったバイト先にだけ受かった
・病気と知られたら仕事をクビになってしまう
・病気を理由に社会参加(遊びや食事会など)を控えている
・病気だと認めたくないので通院していない
などなど
これでは「ふつう」に生きることすらままなりません。
2型糖尿病であれば大抵の場合、治療を受けなくてもすぐには困りません。
診断を受けると様々な不利益を被るのなら見て見ぬふりしたくなります。
2型糖尿病は、痛くも痒くもなくてももちろん放置すべきではありません。
放置することで様々な合併症が起こりますし、症状を自覚してから焦っても、そこから糖尿病の合併症を消すことはできません。
早期発見・早期治療がとても大事です。
スティグマは、患者さんが適切な治療を受けるチャンスを奪います。
また治療を続けるやる気を削いだり、病気と共にある人生を嫌にさせたりします。
合併症が進行すれば、かかる医療費もかさみます。
個人の負担も増えますし、現在日本では糖尿病に関連した治療のために年間1兆円以上が使われています。
これを聞いて「糖尿病なんて自分が悪くてなる病気なのにそんなにお金をかけるなんて許せない」と思う人もいるかもしれません。
そういう人がいる世の中で、「私糖尿病なんです」って伝えるハードルはとても高いし、仮にそういう発言をしている人が糖尿病になってしまったら・・・
診断を受け入れてくれるわけないですよね。
糖尿病という診断は患者さんの生活を変えるものですが、それに伴う(他人から、そして自分からの)偏見は往々にして、患者さんがそれまで生きてきた「ふつう」を否定します。
例えばAさんの場合。
Aさんは2型糖尿病になって1年、食事・運動療法に加え内服治療を開始しています。
今回は、HbA1cが2ヶ月で0.5%上昇しました。理由を問われたAさんはしばらく考えた後、
「HbA1cが上がったのは、新作のお菓子を食べたからかも」
と答えました。
上昇の本当の原因はわかりません。毎日お菓子を食べていたなら原因になるでしょうが、1度や2度食べたくらいじゃ普通、HbA1cは上がりません。
大抵の人は、お気に入りの食べ物を見つけたら嬉しいと思います。
でも糖尿病があると、こういう普通の生活の一部がすごくダメで、だらしないもののように感じてしまったり、
友人や家族から「糖尿病なのにそんなの食べていいの?」
医療従事者から「糖尿病の自覚をもって行動してください」
なんて言われたり。
数値が悪くなれば「あれがよくなかった、これがよくなかった」と自分の生活の中に犯人探しをし、「糖尿病があるからあれができない、これができない」「糖尿病なのにこんなことをしているなんてみっともない」
という感覚を持つことになるとしたらそれはとてもしんどいでしょう。
患者さんの治療機会を邪魔し、生きにくくさせ、最終的には社会全体に不利益をもたらす「スティグマ」
なぜ生まれてしまうのでしょうか?
その根本には偏見があります。
「パターン化」の功罪
あなたが思う「典型的な糖尿病患者」像を教えてください。
この質問に答える時、かつて受けた生活習慣病についての授業やテレビ番組、ネットで調べた情報、あるいはあなたの周りの糖尿病や生活習慣病の患者さんのことを思い浮かべると思います。
インターネットで「糖尿病 イラスト」と検索すると、「美味しそうに食べながら死神に話しかけられる、肥満中年男性」の画像が出てきました。
社会に認識されてきた「糖尿病患者の典型像」はたぶん、そんな感じなんだと思います。
ちなみに実際は当てはまらない方がほとんどです。
糖尿病が生活習慣と関わりの深い病気であることは事実です。
食べ過ぎや肥満、運動不足などは2型糖尿病発症の危険因子になります。
だから生活習慣に問題がありそうな肥満中年男性が「糖尿病患者の典型像」とされてきました。
そういった教育のお陰かはわかりませんが、1988年から2002年にかけ明らかに増加していた糖尿病患者さんの数は、近年横ばいになっています。
「不摂生な生活をして生活習慣病を発症する」
というパターンを教育することで、そういった生活を避ける人を増やすという作戦は成功したのかもしれません、
ところがその弊害として、「糖尿病になるのは生活習慣が悪いせいだ」「だらしないから糖尿病になる」というような、
あたかも全糖尿病患者さんたちが、「糖尿病患者の典型像」に当てはまるというような偏見が生まれてしまったのです。
糖尿病にさせないため、「糖尿病患者」をパターン化した教育が糖尿病への偏見を助長し、結果として糖尿病の治療を困難にさせている。
これが現状です。
あなたは「偏見」を持っていますか?
ここで最初の問いかけに戻ります。
施されてきた教育、積み重ねてきた経験、得てきた情報に基づいて、あなたには色々な知識があると思います。
他者について考える時、知識に基づいて、その相手を何某かの「パターン」に当てはめて考えることになるでしょう。
いついかなる時も、それを当てはめる時には偏見を伴います。
まったく偏見を持たずに、誰も傷つけずにいられる人なんていません。
できるのは、自分が持つ数々のパターンに基づいて判断し生きていく中で、そのパターンが偏っていたり誤っていたりすることはいくらでもあるということを知っておくこと。
「自分は偏見を持っている」を知っておくことだと私は考えます。
もうひとつ質問させてください。
「もしあなた自身が糖尿病と診断されたらどう思いますか?
診断されたとして、思い当たる節はありますか?」
この質問は、あなたの認識・パターン化を経た主観の「糖尿病」、つまりあなたの偏見に基づいた「糖尿病」について語らせる質問です。
もし「甘いもの好きじゃないのに?!」みたいなことを思ったとすれば、わかりやすく偏見に基づく意見ですが、仕方のないことなのかもしれません。
でも社会的スティグマ解消のためにはひとりひとりがその偏見を正してくれるよう働きかける必要があります。
いいですか、普通の生活をしていても、糖尿病になる人はなるんですよ。
すべての偏見を捨てるのは、無理です。
人間が知識をもって生きる以上、解釈に伴う偏見が生まれるのは必至・・・
だから大切なのは、
「自分は偏見を持っている」
という自覚です。
自分の認識を疑おう。偏見によって傷を与えている可能性に思い当たろう。
無自覚の偏見を払拭する術はないですが、偏見に気づければひとまず、無意識に傷つけることは避けられるようになりますし、
「いかなるものに対しても自分は偏見を持っているかもしれない」という認識でいれば、偏見に気づけるようになるはずなので。
まとめ 〜医師国家試験に寄せて〜
第118回医師国家試験 118C-27で、「スティグマ」というキーワードが(多分)初めて出ました。
いやほんともうすごい話ですよね!私が受験した頃にはこんな言葉、聞いたこともなかったのに。
この問題、いいですよね。なにがいいって、「ある疾患」って言ってる。
糖尿病かもしれないし、統合失調症かもしれないし認知症かもしれないし、精神疾患全般であったりとか、ハンセン病とかコロナとか、なんにでもあてはまる一般論として語られている。
何においても偏見を持つ人はいますから。ひとつに持っていなくても、他の何かには持っているでしょうし。
選択肢もいいと思う。
正答含め、以下グレー枠で解説します。
是非、
「人間は偏見をもつ生き物である」
というパターン化をして、自分は偏見を持っているんだって自分に刻みつけてくださいな、偏見持ちって烙印(スティグマ)を。
糖尿病に限った話じゃなく、みんな偏見持ちだし、私だってそう。
他者を不用意に傷つけないように、偏見を振るって要らないスティグマ与える前に偏見を自覚して飲み込めるようになりたいですし、そういう人が増えるといいな。
最後まで読んでくれて本当にありがとうございました。えあでした。