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パターン化と偏見、それからスティグマ(2)

こんにちは、小野えあです
1型糖尿病と共に生きる糖尿病内科医です。

以前から何度か「スティグマ」「偏見」について書いているのですが、時間が経って読み返してみたら言いたいことが少し変わってたので、書き直すことにしました。

最初に、それぞれを簡単に説明する図を置いておきます。

上記について詳しく解説していきます。

※ 全員に読んでほしい部分は地の文で書きますが、興味や時間のある方が読んでくれればいい部分はグレーの背景をつけておくので、そこは読み飛ばしていただいて構いません(読んでくれた方が嬉しいけれど)


最初に聞きます。

「あなたは偏見をもっていますか?」




「スティグマ」とは

スティグマという単語、耳慣れない方も多いと思いますし、間違った認識をしている方もいます。

スティグマを日本語訳すると、
特定の属性に対して刻まれる「負の烙印」

今回は特定の属性=糖尿病として、「糖尿病スティグマ」についてお話します。


まず「糖尿病スティグマ」の定義から。

糖尿病に対する社会からの差別と偏見が、糖尿病患者に社会的・経済的不利益を与え、糖尿病がある人々の社会的地位と自尊感情を著しく損なっている。
これを「糖尿病スティグマ」と呼ぶ。

不利益の具体的な例を挙げると
・生命保険に加入できない、保険料が高い
・住宅ローンを組めない
・病気について伝えなかったバイト先にだけ受かった
・病気と知られたら仕事をクビになってしまう
・病気を理由に社会参加(遊びや食事会など)を控えている
・病気だと認めたくないので通院していない
などなど

これでは「ふつう」に生きることすらままなりません。

〜糖尿病患者が社会から受ける偏見・不利益についての調査〜

日本糖尿病協会による市民を対象にしたアンケートによれば、「糖尿病のある人は食べ過ぎの人が多いと思う 62%」「糖尿病のある人は長生きできないと思う 55%」など、「糖尿病」は一般社会からマイナスイメージを受けていることが示されています。
私自身も生命保険には加入できていませんし、海外旅行の際も人より高い保険料を支払う必要があります。
また1型糖尿病患者254人のうち、男性15.9%、女性11.6%が糖尿病を理由に採用を拒否されたことがある、という報告があります。
https://mhlw-grants.niph.go.jp/system/files/2015/153031/201508012B_upload/201508012B0010.pdf

糖尿病があると生きにくい社会であるのは間違いないです。

なお寿命については2013-2018年における平均死亡時年齢は非糖尿病患者81.9歳、糖尿病患者79.3歳とほとんど差がなかったと報告されています。
「糖尿病があると長生きできない」は誤った認識であると言えるでしょう。
(Nishioka Y, et al. J Diabetes Investig 2022 Apr 8. doi:10.1111/jdi. 13802)

2型糖尿病であれば大抵の場合、治療を受けなくてもすぐには困りません。
診断を受けると様々な不利益を被るのなら見て見ぬふりしたくなります。

実際、血糖値が高く「受診してください」と指示された患者さんのうち35%しか受診していなかった、という報告があります。
https://dm-rg.net/news/f5df5ec0-2279-42b4-a533-99cfc65f3ce7

2型糖尿病は、痛くも痒くもなくてももちろん放置すべきではありません。
放置することで様々な合併症が起こりますし、症状を自覚してから焦っても、そこから糖尿病の合併症を消すことはできません。
早期発見・早期治療がとても大事です。

スティグマは、患者さんが適切な治療を受けるチャンスを奪います。
また治療を続けるやる気を削いだり、病気と共にある人生を嫌にさせたりします。

合併症が進行すれば、かかる医療費もかさみます。
個人の負担も増えますし、現在日本では糖尿病に関連した治療のために年間1兆円以上が使われています。


これを聞いて「糖尿病なんて自分が悪くてなる病気なのにそんなにお金をかけるなんて許せない」と思う人もいるかもしれません。
そういう人がいる世の中で、「私糖尿病なんです」って伝えるハードルはとても高いし、仮にそういう発言をしている人が糖尿病になってしまったら・・・

診断を受け入れてくれるわけないですよね。


糖尿病スティグマは社会全体に不利益をもたらす

〜「糖尿病を認めないけど何かはしたい」気持ちにつけこむ人がいる〜

スティグマの弊害と言えると思いますが、
「『糖尿病』の診断を受け入れたくない」
という気持ちを食い物にしている業界があります。
例えばAmazonで「糖尿病 治る」「糖尿病 自力」と調べると、食べなきゃ治るとか自力で治そう、みたいな書籍がわんさか出てきます。
「糖尿病 薬」で調べてみると、処方薬よりもお金がかかる、聞いたこともない薬が出てきます。

この手の商売は目につく限り、根拠に乏しいです。
絶対に全く効かないとは言えませんが、病院にはもっと安価で効果的な、正しい方法があります。

ちょっと面倒くさいけど、むやみにお金を使うよりも時間を作って病院に来た方がいいです。
絶対、そちらの方がコスパもタイパもいいので。

教科書的な「糖尿病スティグマ」のまとめです、下記で詳しく解説します。

〜「糖尿病スティグマ」について、更に詳しい解説〜

糖尿病スティグマは、大きく
社会的スティグマ」「乖離的スティグマ」「自己スティグマ
の3つに分けられます。
社会的スティグマは社会から、乖離的スティグマは医療従事者から、自己スティグマは患者自身から、患者さんへのスティグマです。

社会的スティグマ」は『糖尿病があると普通に生きられない』社会を作ります。
保険や住宅ローン、就職の障壁になるものや、周囲が偏見による言動をすることで患者さんは社会から疎外されます。
糖尿病の呼称変更『ダイアベティス』が話題になりましたが、これは社会的スティグマ解消に向けた取り組みで、社会における糖尿病のイメージチェンジを図ったものです。
教育現場への指導は変わりつつあるようですが、既に教育を受け終わってる人に介入するには、ひとりひとりの糖尿病への認識を改めてもらうきっかけを作るべきですから。

乖離的スティグマ」は主に病院で(自分よりも詳しいと思われる)医療従事者から与えられるものです。
専門家から、患者さんが病気と向き合わざるをえない状況で与えられるスティグマは、また違った意味合いをもって患者さんを深く傷つけます。

医療従事者は様々な糖尿病患者さんと関わる機会があります。
とても模範的な、医療従事者の理想通りに治療に向き合える患者さんもいれば、全くいうことを聞かない、時に医療従事者を害するような患者さんもいます。
目の前の患者さんについて医療従事者が、理想の患者さんと異なる部分を責め立てたり、できないだろうと決めつけたり(「なんで注射できないんですか」「どうせ運動なんてできないでしょう」など)。
自称専門家がインターネットで悪口を書くのも、一部これにあたると思います。
このとき生まれるのが、乖離的スティグマです。

呼称変更は社会的スティグマとともに乖離的スティグマ対策とも言えますし、医療現場においては「糖尿病にまつわることばを見直そう」というキャンペーンが行われています。
これまで使われてきたけれど、実は糖尿病に対するイメージを悪くするような言葉の使い方を改めようという取り組みです。

社会的スティグマ、乖離的スティグマを受けると、患者さん自身が糖尿病やそれをもつ自分に対する悪いイメージを持つようになります。
糖尿病って嫌だな、私がだらしなかったせいかな、恥ずかしいな、どうせ早く死ぬんだろうな、私がダメ人間だからなど・・・
こういった自己嫌悪や、自己肯定感の低下が「自己スティグマ」です。
自分自身からは逃れられないので、自己スティグマによっていつどこにいても責められているような感覚をもち、「糖尿病のせいでなにもできない」「自分は糖尿病なのにこんなことをしてしまった」といったような思考をもつことになります。

自己スティグマを解消するのは難しく、社会的・乖離的スティグマの解消によってなくなっていくことを期待するしかないところも、自己スティグマの厄介なところです。

糖尿病という診断は患者さんの生活を変えるものですが、それに伴う(他人から、そして自分からの)偏見は往々にして、患者さんがそれまで生きてきた「ふつう」を否定します。

例えばAさんの場合。
Aさんは2型糖尿病になって1年、食事・運動療法に加え内服治療を開始しています。
今回は、HbA1cが2ヶ月で0.5%上昇しました。理由を問われたAさんはしばらく考えた後、
「HbA1cが上がったのは、新作のお菓子を食べたからかも」
と答えました。

上昇の本当の原因はわかりません。毎日お菓子を食べていたなら原因になるでしょうが、1度や2度食べたくらいじゃ普通、HbA1cは上がりません。

大抵の人は、お気に入りの食べ物を見つけたら嬉しいと思います。
でも糖尿病があると、こういう普通の生活の一部がすごくダメで、だらしないもののように感じてしまったり、
友人や家族から「糖尿病なのにそんなの食べていいの?」
医療従事者から「糖尿病の自覚をもって行動してください」
なんて言われたり。

数値が悪くなれば「あれがよくなかった、これがよくなかった」と自分の生活の中に犯人探しをし、「糖尿病があるからあれができない、これができない」「糖尿病なのにこんなことをしているなんてみっともない」
という感覚を持つことになるとしたらそれはとてもしんどいでしょう。

〜上の話をもう少し掘り下げます〜

2型糖尿病を発症して入院した患者さんに「糖尿病になる原因は何でしょうか?」と聞いてみると、ほとんどの方が
「食べ過ぎたから」「不摂生だから」「運動不足だから」
など、自分の行動を責める答えをくれます。
思い当たることがあるのでしょう。

でも詳しく聞いてみると、「そりゃ糖尿病にもなりますよ」って言いたくなるようなとんでもない生活をしている患者さんなんてごくごく一部です。

例えば、「運動不足で糖尿病になったんだと思う」患者さんがいたとします。
確かに運動不足は2型糖尿病発症の危険因子ですが、日本人の3人に1人は運動不足とされています。逆にしっかり運動してても、体質によっては発症することがあります。

あるいは「毎日チョコレートを食べているのがよくない」という患者さんもいますが、そりゃ毎日大袋チョコレートを食べ切る食生活をしていたら食べ過ぎだけど、1粒2粒のチョコレートをくらい、糖尿病があってもなくても食べている人、いくらでもいるでしょう。
本当にそれだけを原因として2型糖尿病を発症するとしたら、チョコレートなんて売っちゃダメじゃないですか?
あるいは、ファストフード店なんて全部閉店すべきじゃないですか?ジュースなんてものこの世にあってはいけなくないですか?
でもこれらは、私たちの生活に馴染んでいますよね。

こんなふうに、普通に考えれば「ふつう」の範疇の生活をしていたって2型糖尿病を発症する患者さんがたくさんいます。
でも糖尿病を発症した途端、これまで普通に過ごしてきた生活の中に原因を探してしまう。
結れまでの普通を否定しなければいけなくなり、自分に過度な制限をかけてしまい、糖尿病の治療を続けることがしんどくなってしまう。
「ふつう」に生きられなくなってしまう。

これも、患者さんの治療の阻害因子になりますし、生活の質を落とす原因になります。

患者さんの治療機会を邪魔し、生きにくくさせ、最終的には社会全体に不利益をもたらす「スティグマ」

なぜ生まれてしまうのでしょうか?


その根本には偏見があります。


「パターン化」の功罪


あなたが思う「典型的な糖尿病患者」像を教えてください。


この質問に答える時、かつて受けた生活習慣病についての授業やテレビ番組、ネットで調べた情報、あるいはあなたの周りの糖尿病や生活習慣病の患者さんのことを思い浮かべると思います。

私は中学で「糖尿病は生活習慣病。食べすぎや運動不足でなる病気です。糖尿病にならないようにだらしない生活をやめましょう」と習いました。
医学部で使っていた教参考書には、2型糖尿病患者さんの典型例として中年で肥満で、だらしなさそうなおじさんのイラストが添えられていました。
外来では、食べることが大好きで運動が嫌いで好き勝手やって悪びれない、なかなか治療がうまくいかない糖尿病の患者さんも診療しています。

偏見に繋がる教育や経験について

インターネットで「糖尿病 イラスト」と検索すると、「美味しそうに食べながら死神に話しかけられる、肥満中年男性」の画像が出てきました。
社会に認識されてきた「糖尿病患者の典型像」はたぶん、そんな感じなんだと思います。

ちなみに実際は当てはまらない方がほとんどです。

糖尿病が生活習慣と関わりの深い病気であることは事実です。
食べ過ぎや肥満、運動不足などは2型糖尿病発症の危険因子になります。

だから生活習慣に問題がありそうな肥満中年男性が「糖尿病患者の典型像」とされてきました。


そういった教育のお陰かはわかりませんが、1988年から2002年にかけ明らかに増加していた糖尿病患者さんの数は、近年横ばいになっています。
「不摂生な生活をして生活習慣病を発症する」
というパターンを教育することで、そういった生活を避ける人を増やすという作戦は成功したのかもしれません、

ところがその弊害として、「糖尿病になるのは生活習慣が悪いせいだ」「だらしないから糖尿病になる」というような、
あたかも全糖尿病患者さんたちが、「糖尿病患者の典型像」に当てはまるというような偏見が生まれてしまったのです。

〜なぜパターン化するのか?〜

「パターン化」は生きていくために必要です。
知識、経験をもとにパターン化して判断の助けにすることで、人間は危機を回避したり、安全に生きていきやすくなっています。

例えば赤ちゃんが親になつくのは、「この人は自分を守ってくれる」と勝手に決めつけているからでしょうし

例えば「数年間連絡をとっていなかった友人からの突然の誘い」は危険な匂いがしますね。
でも例外もたくさんあります。ただこういう認識によって避けられるトラブルもたくさんある。


「食べ過ぎ運動不足不摂生は糖尿病になるからやめた方がいい」というのは事実で、そういった生活は皆避けるべきです。
でも実際「糖尿病患者が全員食べ過ぎ運動不足不摂生」なんてことは決してなくて、これは誤ったパターン化です。
そう決めつけていた方が、よい生活を目指すのには有利なのかもしれないけど・・・

○○は××だ、という決めつけ(パターン化)は必要だけれど、偏見を生む。
それを理解した上で、様々な知識を蓄えていってほしいです。

糖尿病にさせないため、「糖尿病患者」をパターン化した教育が糖尿病への偏見を助長し、結果として糖尿病の治療を困難にさせている。

これが現状です。

あなたは「偏見」を持っていますか?


ここで最初の問いかけに戻ります。

施されてきた教育、積み重ねてきた経験、得てきた情報に基づいて、あなたには色々な知識があると思います。
他者について考える時、知識に基づいて、その相手を何某かの「パターン」に当てはめて考えることになるでしょう。

いついかなる時も、それを当てはめる時には偏見を伴います。

まったく偏見を持たずに、誰も傷つけずにいられる人なんていません。
できるのは、自分が持つ数々のパターンに基づいて判断し生きていく中で、そのパターンが偏っていたり誤っていたりすることはいくらでもあるということを知っておくこと。

「自分は偏見を持っている」を知っておくことだと私は考えます。

〜コロナ禍と偏見〜

『保健医療に関する社会的スティグマとは、ある特定の特徴をもつ個人や集団を、ある特定の病気 と誤って関連付けることを指します。 感染症流行時には、特定の人々が疾患と直感的に結びつけられることによって、レッテルを張られ、固定観念を持たれ、差別を受け、阻害され、その社会的地位が損なわれることになります。』

これはCOVID-19に対するstigmaにつき、WHOより出された「COVID-19 に関する社会的スティグマの防止と対応のガイド」から引用したものです。
世界的に大問題になっていたんですよ。

「マスクをしていなかったり、人が密集した場所に行ったりするとコロナにかかりやすい」という学び、パターンから、
「マスクをしよう」「人が集まるところに行くのはやめよう」というのは正しい判断ですが、
「コロナにかかる人は(マスクをしなかったり、行くべきではないところに行く)自分勝手なやつだ」という偏見を持ち、決めつける人が、ずいぶんたくさんいました。

コロナにかかったことを知られると不利益になるので、ある人は陽性を隠し、ある人は虚偽の行動歴を述べる。感染者は治療から遠ざけられ、感染経路は不明瞭となり、新たな感染者が生まれてしまう。

パターン化→偏見→スティグマが社会の不利益になっていた実例ですね。


もうひとつ質問させてください。

「もしあなた自身が糖尿病と診断されたらどう思いますか?
 診断されたとして、思い当たる節はありますか?」

この質問は、あなたの認識・パターン化を経た主観の「糖尿病」、つまりあなたの偏見に基づいた「糖尿病」について語らせる質問です。

もし「甘いもの好きじゃないのに?!」みたいなことを思ったとすれば、わかりやすく偏見に基づく意見ですが、仕方のないことなのかもしれません。

でも社会的スティグマ解消のためにはひとりひとりがその偏見を正してくれるよう働きかける必要があります。
いいですか、普通の生活をしていても、糖尿病になる人はなるんですよ。


すべての偏見を捨てるのは、無理です。

人間が知識をもって生きる以上、解釈に伴う偏見が生まれるのは必至・・・
だから大切なのは、

「自分は偏見を持っている」

という自覚です。

自分の認識を疑おう。偏見によって傷を与えている可能性に思い当たろう。

無自覚の偏見を払拭する術はないですが、偏見に気づければひとまず、無意識に傷つけることは避けられるようになりますし、
「いかなるものに対しても自分は偏見を持っているかもしれない」という認識でいれば、偏見に気づけるようになるはずなので。


take home message…

まとめ 〜医師国家試験に寄せて〜


第118回医師国家試験 118C-27で、「スティグマ」というキーワードが(多分)初めて出ました。

いやほんともうすごい話ですよね!私が受験した頃にはこんな言葉、聞いたこともなかったのに。

この問題、いいですよね。なにがいいって、「ある疾患」って言ってる。
糖尿病かもしれないし、統合失調症かもしれないし認知症かもしれないし、精神疾患全般であったりとか、ハンセン病とかコロナとか、なんにでもあてはまる一般論として語られている。
何においても偏見を持つ人はいますから。ひとつに持っていなくても、他の何かには持っているでしょうし。

選択肢もいいと思う。

正答含め、以下グレー枠で解説します。

〜118C-27 回答解説〜

一般常識で回答できると思いますが、正解はcです。
患者さん個人を社会通念(教育や情報)に従って類型化(パターン化)すると偏見・スティグマが生まれる・・・まさに今回のお話。
そして個人的に重要だと思うのは「d. 自分が持っているかもしれない偏見に注意を向ける」ってやつです。持っているかも、じゃない。
みんな持ってます。

その他の選択肢については
a. 患者さんの話を聞いて、その人個人をみることも
b. 疾患に対する最新の知見を調べて、現在の自分の認識が正しいのか知ることも
e. スティグマを排除し患者の社会参加を促していくことも

それぞれ正しいですね。

是非、
「人間は偏見をもつ生き物である」
というパターン化をして、自分は偏見を持っているんだって自分に刻みつけてくださいな、偏見持ちって烙印(スティグマ)を。

糖尿病に限った話じゃなく、みんな偏見持ちだし、私だってそう。
他者を不用意に傷つけないように、偏見を振るって要らないスティグマ与える前に偏見を自覚して飲み込めるようになりたいですし、そういう人が増えるといいな。


最後まで読んでくれて本当にありがとうございました。えあでした。

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