不在の証明
存在することを証明するのは、簡単とは限りませんが単純です。
「ここにある」それが動かぬ証拠。
それを突き付けられれば「そんなものはいない」という主張はいとも簡単に否定されてしまいます。
不在の証明は存在によって簡単に覆されてしまうから、「いないこと」の証明はとても難しいのです。
あれやこれや理論を組み立ててありえないという証拠を積み重ねて、ありえるかもしれない可能性を高いものから低いものまでひとつひとつ潰して、それらしいと結論づけて証明とするものの、それだって本当に不在の証明になっているのかどうか?
例えば、生命が生まれる確率って10^39個の恒星につき生命発生1回くらいだそうです。
全然イメージつきませんが、
1/10000000000000000000000000000000000000くらいってことかな?ゼロの数間違ってるかもだけど。
まあ、限りなくゼロに近くったって地球に生命は生まれたわけじゃないですか。
そう考えてみると、「絶対ない」なんて言えなくなりません?
でも人間は怖がりなもんで、
「絶対に副作用が出ないんじゃなきゃ薬飲みたくない」とか
「そんなの絶対新しい薬のせいでしょ」とか言います。
これに対し、「絶対ない」なんて言えるわけないんです。
必要性を説明した上で
「このお薬で副作用が出ることはほとんどありません」「その症状は薬とは無関係だと思います」
って言っても、
「絶対じゃないってことですよね」
って言って受け入れてくれない患者さんも、少なからず居ます。
インターネットでもよくみますね。「絶対大丈夫なわけじゃないだろ!!!!!」みたいな。
そう、実際、絶対大丈夫なわけないんですわ。
誠実な人ほど、その「絶対ではない」ことを誠実に受け止めています。仮にそれが自分が不利になるものであろうと。
だから軽率なことは言わない。
「絶対大丈夫!」とか言ってる人の方が大抵の場合やばい。大抵の場合。
なおさくらちゃんの「絶対、大丈夫だよ。」は許されます。自分を鼓舞するためのおまじないの言葉なので。
逆に。だ。
「大丈夫なわけない、絶対それのせいだ!」ってさしたる根拠もなく言ってる人いますよね。
そういう主張をするなら大丈夫じゃなかった実例とその確率を持ってきてほしいです。そんでもってそれが本当にそれのせいだっていう証明も。
先述の通り、「ないことの証明」は非常に難しい。逆に「あることの証明」は簡単です。
あると主張するならないことの証明を求めるより先にまずあることを証明しろと思います。
そしてそれが仮にあったとして、全例にあてはめるべきものなのか?まで吟味してほしい。
ま、証明しろって喚きたてるほうが楽だからそういうこと言うんでしょうけどね!
ツチノコと一緒ですよ。居ないって言いきれないから、生きて連れてこいって話。数学の世界でもなきゃ、机上でないことの証明なんてできませんもん。
だからといってないだろうって言っちゃいけないわけじゃないけれど。不在の証明を求めるのはナンセンスだってことを言いたかったのです。
本当は別にもっと書きたいテーマがあったんですが、今回はこれで。
どうも、えあでした。
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