4日目から

4日目は右の鼻から鼻水が垂れてきていて、こんなのが鼻に詰まってるならそれはしんどいだろうなと思った。ちょっとだけ猫ちゃんの呼吸が安定した時もあって、その時は心底ほっとした。
けど、喘ぐような呼吸してる時に本当に怖くなった。このまま死んじゃうんじゃないかと思って、少しだけでも寝ろと言われたのに全く眠れなかった。
猫ちゃんをずっと見てた。

5日目に入院になった。酸素室があって獣医師さんもいる病院のほうがいいだろう、と思ったけど、このまま会えなくなったらどうしよう、と考えて猫ちゃんを預けて帰ってから玄関で号泣した。
通り雨がひどくて、土砂降りになった後に快晴になった。雷が鳴ってて、猫ちゃんが怖い思いしてないといいなと思っていた。
動物病院から電話がかかってきて、組織をとるために手術をすることを提案された。
よろしくお願いします、という声が震えたし、最後には泣いてしまった。
手術の前にも手術の後にも会いにきてもらっていいとのことだったので、前にも後にも会いにいった。猫ちゃんは酸素室の中でもしんどそうで、それでも私に擦り寄ってくれた。
診察が終わってからの手術になるので、終わるのは遅くて22時ごろだと言われた。その時間に会いに行きます、と言ってずっと神様に祈っていた。
22時をすぎても連絡がなくて、22:45ごろに我慢できずに病院に行った。当たり前にしまっていて、病院の前で連絡が来るのを待った。
電話が来たのは多分23時くらいだった。今目が覚めました、という電話で、すぐに猫ちゃんに会わせてもらった。気管切開はしなくてよかったけど、喉が真っ赤に腫れ上がっていたということだった。猫ちゃんはしんどそうだったけど、相変わらず擦り寄ってくれた。
病理検査に出して、結果を待ってから病気に対応していこうということだった。
ご飯を食べてくれるかどうかが問題だと言われて、ご飯をもしも食べなかったら胃ろうをすることになるということだった。

6日目は朝から面会に行った。ご飯を食べてくれればいい、という話をもう一回されたのと、酸素室の濃度を下げていっているという話だった。お医者さんからこの子の大好物ってなに?と訊かれてちゅーるです、と答えたらそれ持ってきて食べさせてもらってもいい?と言われたのですぐに家から取ってきて、猫ちゃんの前に出した。
そしたらびっくりするくらい勢いよく食べ始めて周りの看護師さんも驚くくらいだった。その日は結局ちゅーるを6本食べてくれた。
夜に面会に行く時に、ちゅーるとペースト状のご飯を持っていった。あと、いつも食べているフードボウル。
猫ちゃんはペースト状のご飯も食べてくれて、本当にホッとした。喉が相当痛いだろうに、この子すごいね、とお医者さんに言ってもらった。
血液検査の結果はあんまり良くなく、リンパ球が増えていて怖かった。腺がんか、リンパ腫か、喉頭炎か、と改めて言われて本当に怖くなった。

7日目も朝から面会に行った。昨日と同じくフードボウルとご飯とちゅーるを持っていった。猫ちゃんはご飯もちゅーるも食べてくれたし、ゴロゴロと喉を鳴らしてすりすりと近寄ってくれた。お医者さんからは酸素室の濃度を下げていっていること、食べてくれているようでよかったということ、そして、貧血の進行が止まったことを説明された。リンパ球の数も減っていた。SAAの数値も順調に下がっていっていて、お願いだから猫ちゃんが楽になりますように、と祈っていた。

8日目の朝に面会に行くと、今日の夜に退院でいいと思うと言われた。血液検査の結果は改善が見られるし、呼吸数も安定しているとのことだった。
朝と昼に面会に行ったら、猫ちゃんは良くご飯も食べてくれて、喉も鳴らしてくれた。すりすりとしてくれて、いつも通り離れるのが名残惜しかった。
夜にお迎えに行って、家に帰った。酸素室は大きいものをレンタルしていたけど、猫ちゃんは酸素室を嫌がった。酸素室の壁に体当たりをするから、申し訳なかったけどケージを中に入れてそれに入ってもらった。猫ちゃんは10分くらいは我慢してくれたけど、ケージの隙間から足を伸ばして酸素室の壁を引っ掻いていた。
そんなに嫌なら出してあげたい、という気持ちと、猫ちゃんが苦しい思いをするのは嫌だ、という気持ちで感情がぐちゃぐちゃになった。
ありがたいことに猫ちゃんの看病という看病を8年間あまりしたことがなかったので、本当に困った。
でもずっと壁を引っ掻いているのも可哀想だし、ということで呼吸数を見ながら出してあげることにした。出しても猫ちゃんの呼吸数は30回くらいだった。30回なら様子見でもいいのか、それとも無理に入れた方がいいのか分からず、この日は眠れなかった。

9日目は診察に行った。猫ちゃんの酸素室の話をすると、呼吸数が酸素室外で1分間に45回を超えたら無理にでも中に入れてくださいと言われた。そして、安静時もしくは眠っている時以外の呼吸数はアテにならないから、必ず安静時に測ってくださいと言われた。
猫ちゃんの呼吸音はスースー言っていたけどしんどそうじゃなくて、夜はゴロゴロと喉を鳴らしてくれた。

10日目は一日家にいることができた。猫ちゃんの呼吸数は1分間に24回くらいで安定していた。ご飯も食べてくれていたので、一日猫ちゃんと穏やかに過ごせた。この日、久しぶりに掠れた声でメエと鳴いてくれて嬉しかった。

11日目は夜になって体温が高い気がして病院へ。熱は平熱だったけど、薬を飲めていないかもしれないということで注射を打ってもらった。リンパ腫か、腺がんか喉頭炎か病理検査の結果が来ないことには分からないと言われた。
やめておけばいいのに、リンパ腫、もしくは腺がんだった場合の余命を聞いた。
リンパ腫ならもって一年、腺がんなら2〜3ヶ月だろうと言われた。
本当に身体中の力が抜けていくようだった。なんだか涙も出なくて、それよりもこの瞬間を大切にしたいと思うようになった。

12日目は血液検査の日だった。夕方ごろに診察へ行った。珍しく待ちの時間があったので、何か悪いことが起こっているのではないかと思ってずっと神様に祈っていた。
この日に病理検査の結果とFIPの診断の結果が返ってきた。FIPではない、腺がんでもリンパ腫でもありません、と聞いて涙が出たけど堪えた。
猫ちゃんでは珍しい喉頭炎です、ということとステロイドが効くことがわかったので繰り返しても対処ができる、ということを告げられた。
あまりにもホッとして嬉しくて、家に帰って踊った。本当に踊った。
この日の夜からびっくりするくらい猫ちゃんは元気になってくれた。ご飯もたくさん食べるし、呼吸数も安定してる。何よりちょっと小走りで走ったり、尻尾がご機嫌な時はピンと上がるようになった。小窓から外を眺める習慣も復活してくれて、猫ちゃんが興味深そうに外を眺めるのが嬉しかった。

13日目からもお薬は続いているし、油断はできない状況が続いている。でも猫ちゃんが私の勉強のお供に来てくれたり、夜は喉を鳴らしながら寝てくれることがたまらなく嬉しい。おでことおでこをくっつけて眠れることがこんなにありがたいことだと思っていなかった。猫ちゃんが苦しくなさそうに眠る夜がこんなに尊いと思っていなかった。

猫ちゃんの今回の病気は私にもたくさんのものを与えてくれた。
まず一つは働き方について。
月に100時間近い残業をする業種で働くのはやめよう、と強く思えた。もしもこれで猫ちゃんの余命があと一年、と言われていたら、私は月100時間近い残業をしていた自分を一生許せないと思った。猫ちゃんを大切にできる環境に身を置くことが自分を大切にすることに繋がると強く感じた。
お金が少なくてもいいから、猫ちゃんと一緒にいられる職業に就こうと思った。

二つ目は覚悟について。
いつかお別れの日が来ることを意識してきたつもりだった。どんなに愛しても愛されても別れの日は避けられない。それを覚悟していたつもりだったのに、私は猫ちゃんに縋り付いて泣いてしまった。
だって先週まで走り回ってたのに、だってだってと頭の中でずっと考えていた。坂道を転げ落ちるように、という言葉があるけど、それでも足りない。崖から突き落とされたような感じだった。
ずっと大切にしているつもりだったけど、つもりだけだったことに気づいた。これまで以上に大切にしたいと思ったし、これまで以上にこれ以上できないくらい大切にすることが私の心を救うことにつながると思った。
尊い毎日を大切にしたい。

三つ目は猫ちゃんがやっぱり一番大切だということ。
普段の生活の中でちょっとだけ欲が出る。欲深い方なのであれがしたいな、これもしたいな、と思う。でもどれも猫ちゃんが健康でいてくれることより喜びを与えてくれるものではないと思った。
猫ちゃんが具合が悪くなった瞬間、全ての欲が綺麗に消えて、猫ちゃんが元気になりますように、という祈りに集約された。
欲を持つことは悪いことではないけど、優先順位を間違えないようにしたいと思った。

今回の猫ちゃんの喉頭炎は私の中で人生観が変わるくらい大きな出来事だった。
猫ちゃんを失わずに済んだことに感謝したい。

本当にありがとうございました。


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