脱力系スピノチスト宣言
私はお寺にも神社にも行かない無宗教無信仰ですが、いちおう家には神棚があり、浄土真宗の門徒ということになっています。しかし、どちらにも自ら手を挙げて入信した覚えはありません。
私が学生時代から20年くらいいろいろ学んで結果自分で選んだ宗教は「スピノチスト」、それも「脱力系スピノチスト」です。
もちろんそんな言葉はこの世にありません。私が勝手に作って勝手に信じている信仰です。
本稿では、脱力系スピノチストとその素晴らしさについて記載していきます。
1.スピノザという哲学者
「スピノチスト」とは、「スピノザの思想を信奉する人」のことです。この言葉は実際にあります。
スピノザ、フルネームでバールーフ・デ・スピノザは17世紀オランダの哲学者です。デカルトよりも後で、ニーチェよりも前の人だとくらいに思っておいてください。
ちなみにデカルトは「神は理性的思考によってその存在を証明できる存在」であると説き、ニーチェは「神は死んだ。我々が神を殺したのだ」と記しました。スピノザは、自然科学の発展の中で、ギリギリまで神の存在を信じようとした哲学者、と言えるでしょう。
2.『幾何学的秩序に従って論証されたエチカ(倫理学)』という書物
スピノザの思想を理解する上で最重要な書物が「エチカ」です。
直訳すると「倫理学」ですが、副題に「幾何学的秩序によって論証された」と付くのが特徴で、スピノザは倫理とか道徳とか神とか正義とかいう概念の定義について、数学的・論理学的な証明方法を用いて論証していきます。
素人解説でざっくりと概説すると、スピノザは最初の定理として「唯一絶対で全知全能・完全無欠の神がいる」と定義します。この時代では「神はいないかも」などと考えたとしたら即座に社会的に抹殺されますから、この定義は必要です。
スピノザはそこから次々と神の属性(性質)について論考していきます。
・神は完全なのだから、形や色や匂い、性格、容姿などの特性はない。そういったものが特定され得るとすれば、完全とは言えないからである(人格神の否定)。
・神は完全なのだから、「神であるところ」と「神でないところ」に分けられない。境界はなく、大きさは無限、この世のすべてを包括する。神がこの世の全体に広がっている、といっても良い。
・つまり、この世界に神でない部分はない。
・神は全知全能なのだから、何かの刺激に対して次の行動をするとき、0.01秒でも迷ったり考え込んだりしない。タイムラグがあったら、全知全能とは言えないからである。
・神はこの世の全ての出来事に対して即座に結果を与える。神によらない結果はない。
・つまり、神は思考しない。インプットに対するアウトプットが事前に決まっている。
・以上からスピノザは、神とは、自然そのもの、自然の法則そのものだと考える。
ちゃんとしたスピノチストの方が読んだらはしょりすぎの解説ですが、こんな感じでスピノザの思想は「神すなわち自然」とか「汎神論的唯物論」と呼ばれることとなります。(※ここでいう自然は大自然とか自然環境とかのことだけではなく、自然科学の実体と法則全体を指します)。
3.「神すなわち自然」の中での人間
上述の通り神は自然全体であり、自然の法則全体です。
そして、人間は自然の一部ですから、当然人間も神全体の一部、自然全体の一部である、ということになります。
多くの宗教では「精神の自由」や「魂の解放」を主題としますが、スピノチストの考えでは、人間の思考も行動も神により完全に支配され、事前に決定されていることになります(運命決定論)。
道徳や倫理なども、実は自然の法則によって支配されており、完全に自由になることはできないということです。
人の精神の自由とは、「神すなわち自然」の中での自由なのです。
人間は自然の中で自由な存在であると同時に、自然による必然性に縛られた存在でもあります。
だからこそスピノザは、感情や欲望ではなく理性に基づいて判断し、冷静かつ客観的に行動することが重要であると考えます。
自然の法則に身を委ね、全ての結論を受け入れるストイックな落ち着きと自然への理解によってのみ、自然の一部である自分としての精神の自由が得られるからです。
しかし、そこまで徹底してストイックに落ち着いて行動するのは正直しんどいです。しんどいのは嫌です。しんどさもしんどく感じている私も神の属性の発現なので、そんなことを愚痴る人はスピノチストとは呼べないわけですが、こっちは心の平安を手にしたいので苦痛は嫌です。わがままです。それすらも神の属性なのですが。
そこで、脱力系スピノチストという分派が私の脳内に誕生しました。
4.「脱力系スピノチスト」の実践
以下に、私が勝手に考えた「脱力系スピノチスト7箇条」を列挙します。勝手に考えた行動指針なので、自己矛盾していようが重複していようが全然スピノチストじゃなかろうが知ったこっちゃありません。
・神すなわち自然は唯一の実体であり、すべては自然の必然的な法則に従っているので、人は人生の出来事や周囲の人々に抗うのではなく、自然なままに受け入れるのがよい。
・人間には自由意志などはなく、全て神=自然の法則に規定されている。自分で頑張って切り開いたと思っている運命も、事前に神によって規定された必然の結果でしかないのである。身の周りに起こった出来事を自分でどうにかしよう、コントロールしようとするのではなく、自然の流れに身を委ねる。そして結果を素直に受け入れるべきである。
・すべての出来事は必然であり、善悪の区別はないので、人生の苦難も何か意味があるんじゃないかと受け入れ、でもそれ以上掘り下げず、楽観的に過ごす。
・どうせ結果は決まっているし、頑張れる量も怠ける量も決まっているのだから、反省や後悔はあまり意味がない。やり直せたとしても同じだけ頑張って同じだけ怠けて同じ結果になるのが自然の法則なのである。だから、結果よりもプロセス(人生)を楽むことを優先する。結果に執着せず、自分が楽しめることを見つけて、それを続ける。
・他人も神すなわち自然の一部なので尊重し、コミュニケーションを大切にし、プロセスを楽しむことにするが、しょせん他人も自然の一部であり、こちらの期待通りには振る舞うはずがないので、過度に期待しない。
・他者と自分を比較しない。ありのままの自分を受け入れ、自分を肯定し、自分のペースで生きる。周囲の期待や評価に惑わされない。競争や成功、名誉よりも、心の平和を追求する。
・自分の置かれた状況や考え、感情を客観的に捉え、自嘲的・自虐的なユーモアを持って、より神に近い視点から物事を俯瞰しようと努める。そして客観的に面白がる。
スピノザの思想は当時でも異端とされ、教会からも学界からも疎遠となり、書物も禁書とされ、エチカも出版できぬままにスピノザは44才で生涯を閉じています。遺骨も墓も残っていません。
脱力系スピノチストを突き詰めると、さらに先鋭的な最期が待っているかもしれませんが、それも自然の法則です。楽に生きましょう。
第2回脱力系スピノチストエッセイ『自己複製子は永遠の夢を見る ~スピノザとダーウィニズム』はこちら