阪田知樹 デビュー10周年記念ピアノ・リサイタル サントリーホール
今年デビュー10周年を迎えた阪田知樹さん。そのアニバーサリー・コンサートは阪田さん初のサントリーホールでのリサイタルという記念の日にもなりました。阪田さんの今シーズンのテーマは「ファンタジー(幻想)」。筆者は今年5月のエリザベート王妃国際音楽コンクールで阪田さんの素晴らしさに気づいてからほんの半年ほど、というにわかファンなのですが、偶然にもデビュー10周年の年に当たり、今回このスペシャルなリサイタルに伺うことができました。さらには祝・サントリーホールデビューでもあるとは、なんともラッキーなことです!
この記事はクラシック音楽初心者が、勉強がてらコンサートの余韻を味わう目的で残す、備忘録に近いコンサートレポートです。
だんだんその日のプログラムの内容を書き残していくという技を覚えはじめました(笑)紙は劣化してしまいますからね!
プログラム
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 Op.27-2「月光」
シューマン:幻想曲 ハ長調 Op.17
リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調 S.178 /R. 21
リスト:「リゴレット」による演奏会用 パラフレーズ S.434 / R.267
<アンコール>シューマン=リスト:献呈 S.566 / R.253
<アンコール>J.S.バッハ=阪田知樹:アダージョ BWV.564
公演日:2021年10月14日 (木)サントリーホール
リサイタルのストーリー
デビュー10周年記念公演についての阪田さんのコメントを、当日配られたプログラムから拝借して残してみます。
2011年モスクワでのリサイタルデビューからあっという間に10年が経ちましたが、これまでに様々な経験をさせていただきました。それらは素晴らしい音楽家の方々との出会いや、コンクールでの受賞など嬉しいことも、必ずしもそうでないこともありました。昨年3月からのコロナ禍によって演奏機会を完全に失ってしまった時期も(これは私に限らずですが)これまで経験したことのないような難しい時間でした。しかし、そんなときも音楽を愛する皆様からいただく応援のお言葉に力をいただき、前を向いて進んでくることができたのだと思います。私にとって初めてとなるサントリーホールでのリサイタルは、10年の節目になると同時に新たな一歩になるのではと思っています。
本日のプログラムでは、私がこれまで積極的に取り組んできた3人の作曲家による作品をお届け致します。あまりに有名であるが故、その作品の革新性が忘れられがちなベートーヴェンの月光ソナタ。シューマンの数あるピアノ作品の中でも押しも押されもせぬ傑作といえる幻想曲。そして後半に演奏するリストの2作品は、私が折に触れて演奏してきている特別な作品です。
また、リサイタルのストーリーと言えるようなものでしょうか、それぞれの作品のつながりについての解説です。
「月光」はベートーヴェンが幻想曲風ソナタと書き記し、シューマンの作品はロマン派のピアノ音楽の一大傑作でリストに献呈している。リストのロ短調ソナタはシューマンに献呈。こうしたシリアスな作品が3曲続きますので、最後は「リゴレット・パラフレーズ」で、デザートのような味わいを楽しんでいただきたいのです。
当公演に際してのこちらのスペシャル・インタビューには、シューマンの「幻想曲」がベートーヴェンへのオマージュであることが語られています。「幻想」というテーマの他に、作品が献呈されたそれぞれのベクトルがつながっている選曲が秀逸ですね!
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 Op. 27-2「月光」
まずはシューマンとリストの先輩であるベートーヴェンからスタート。
この日の阪田さんの演奏はまさしく幻想的といったような、どこかぼんやりさせられるような音で始まりました。阪田さんも解説されていたとおり、ベートーヴェンが作曲した時点では「幻想曲風ソナタ」。確か「月光」と名付けたのは出版社であり、この作品からスイスのルツェルン湖に映る月の光を連想したことから。作曲当時、ベートーヴェンはピアノの教え子である貴族のジュリエッタ・グイチャルディに想いを寄せており、その身分違いで叶わない恋の虚しさや葛藤が表れていると言われています。(ちなみに筆者がこのエピソードを学んだコンサートはこちら。ベートーヴェンの恋バナ盛りだくさんです。)
阪田さんの演奏からイメージする幻想は、ベートーヴェンがまだもう少し現実逃避をし続けていたいとでも言っているのかのようでした。第2楽章の明るいメロディではジュリエッタと甘く過ごす日々を空想する様子が、これまで筆者が出会った「月光」では聴いたことのない雰囲気。第3楽章の情熱的な部分は葛藤し、現実を突きつけられながらもまだ嘘だと思いたいような気持ちを少しだけ残しているかのように思えていました。今までは「月光」といえば抑えきれないほどの葛藤が表れて、現実に対峙する激しさが印象的でしたが、そんな作品が「幻想的」になることに驚きました。
Twitterにアップされている阪田さんのモノクロおしゃれ「月光 第1楽章」を。
そして筆者が心を持っていかれた阪田さんの第3楽章。もう冒頭から衝撃です。端から端に走っていく右手が本当に鍵盤を押しているのか疑いたくほど滑らか。どちらかというと体育会系の筆者は(笑)その手の動きを見てマラソンやハードル走などの陸上競技のことを想起して、もっとも効率的に走るためには上に飛んではいけない、なるべく浮かずにそのパワーは少しでも前へ持っていけと言われていた記憶がよみがえります。ピアニストもアスリートのように見えることがありますが、阪田さんのピアノもそうした無駄のない効率的な力の使い方を意識したりするのかと興味があります。ピアノはそういう世界ではないのかしら・・・。この日もその滑らかな美しい音に聴き入っていました。
シューマン:幻想曲 ハ長調 Op. 17
前述のスペシャル・インタビューでの阪田さんのコメントによると、ドイツ音楽の最もメインストリームともいえる作曲家がベートーヴェンとシューマン。シューマンの作品に見るベートーヴェンの存在について、このように語られています。
リストやシューマンの先輩であるベートーヴェンとのリンクは、かなり強くあると思います。シューマンの《幻想曲》は、もともとソナタとして構想されたけれど、最終的に幻想曲におちついた…幻想曲でありながらソナタ的な構築も持っています。この3つの作品は、密接に関わっているのではないかと私は考えています。
「幻想曲」の第1楽章冒頭には「・・・耳をそばだてる人に、静かな音が聴こえてくる」というシュレーゲルによる詩の一節が記されており、ベートーヴェンの歌曲「遥かな恋人に寄せる 作品98」の旋律が引用されている。第2楽章はベートーヴェンのピアノ・ソナタ第28番の第2楽章との関連が指摘されており、第3楽章は阪田さんの表現によると、《ピアノ・ソナタ第32番》のエコーが聴こえるような瞬間があるのだそうです。
阪田さんが大好きだとおっしゃるシューマンは、美しい歌曲を多く残した作曲家として知られていますね。ベートーヴェンの歌曲から影響を受けたこの作品を阪田さんが演奏すると、まるでそこに歌い手さんがいるかのような、ピアノ一台でありながら「歌」を強く意識させられました。阪田さんはピアノで歌っているのだなと思えて、またこの華やかでドラマティックなメロディが大好きなのだろうと思わせる、どこか幸せそうな阪田さんが、なんとも心地よい音を奏でていました。
ベートーヴェンの「月光」のように、ぼんやりだけでなく激しい葛藤のような部分があるこの「幻想曲」。筆者にはベートーヴェンに比べてどこかもっと現実的なものに聴こえていました。シューマンの音楽はこの作品のように美しく優しいメロディに続いて、突然激しい曲調に変わるなど、先の読めない展開がある二面的な性格があると言われているそうです。
阪田さんがおっしゃるとおり、この作品はリストに献呈されています。シューマンは同世代のリスト・ショパンなどとお互いに尊敬し切磋琢磨していたのだそうです。ちなみに今(2021年10月)盛り上がっているショパン国際ピアノコンクールですが、コンクールでも聴くショパンの「バラード第2番」はシューマンに献呈、シューマンはショパンに「クライスレリアーナ」という作品を献呈しており、3人の素敵な三角関係ができています!
リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調 S. 178 / R. 21
筆者にとって阪田さんが演奏するロ短調ソナタは、エリザベート王妃国際音楽コンクール、そしてその凱旋リサイタルで聴いてから3度目。阪田さんの演奏を初めて聴いた時、グッと引き込まれて感動したのを思い出します。
筆者がいつも胸を熱くする中盤あたりだったでしょうか。バンッ!という大きな音と共にピアノの弦が切れて飛ぶというハプニングが。切れた弦は客席側のピアノの端にぶらりとぶらさがっており、生々しいものがありました。会場がざわめく中、阪田さんは一瞬驚いた表情を見せた気はしますが、演奏は止めなかったのですよね。素晴らしいプロ意識というか、冷静な性格の方なのでしょうか、その両方かもしれませんね。落ち着いて演奏する阪田さんをハラハラしながら見ていると、しばらくして、やっぱりダメですよねと言わんばかりに欧米人風ジェスチャーで演奏ストップ ¯\( ˘–˘ )/¯(こういう 笑)。いったん舞台袖に戻り、調律師さんが現れて切れた弦を抜いてから阪田さん再登場。もう一度最初から演奏するのかと思ったら、ちょうど弦が切れたあたりからの再開でした。曲の間から会場の雰囲気を戻すなんて、難しかったのではないかと想像します。中断があってもいつものように感動を残す演奏をされた阪田さんは、さすがですね。そんな姿にどんどん沼にはまってしまいますね(笑)
それについての阪田さんのツイートを。
楽器をよく知らない筆者は、ピアノって弦ひとつなくても弾けるんだと発見しつつ、そのピアノの気持ちに共感したりなどしていました。わかります、阪田さんの素晴らしい演奏に興奮して涙腺やいろいろなものが崩壊する気持ち・・・わかります(笑)ある意味このハプニングを阪田さんと一緒に共有できたことが、ファンとして幸せでもあります。
ここでロ短調ソナタを演奏することについての阪田さんのコメントを。
このソナタは6年前ほど前から弾き始めました。僕自身の考えですが、これはリストのさまざまな作品を弾いてから取り組むべきだと思っていたのです。超絶技巧だけではなく、リストの深く内面的な表現も含まれ、さまざまな音楽的エピソードが登場し、ファンタジーの要素もある特殊な曲ですから、じっくり取り組みたかった。エリザベート・コンクールのときも、前日にまた新たな発見をしました。中間のゆっくりした箇所で、それまで探していた連結性に新たな視点が見えたのです。そうした発見は貴重で、この曲は一生かかっても新しい発見があるということに気づきました。
引き続き、この作品がソナタであるにも関わらず、幻想曲の要素を持っていることについて。
聴き手の印象としてはさまざまな場面転換があり、しかも感情の起伏の幅が激しいですよね。これまでのピアノ・ソナタのなかには括れない作品だと思っています。ピアノ・ソナタという名前がついていながら、幻想曲的な要素を内包していると感じます。その正反対の作品は《巡礼の年第2年》の「ダンテを読んで」で、「ソナタ風幻想曲」と名前がついています。《ピアノ・ソナタ》は、記されてはいませんが「幻想曲ソナタ」であると。シューベルトの《さすらい人幻想曲》を下地にしているのではないかとも言われており、幻想曲的な要素を多分に含んでいる曲と捉えられています。
「幻想」のイメージが強くなったこの日の演奏は、今まで聴いたものとは少し違い、興味深いものがありました。素人目線では、前半のメロディはどこか掴みどころのない現代曲のような非現実性を感じることもあり、今日のテーマを意識してみると「幻想的」で想像の世界にいるようなものとも捉えられます。
そして前述のとおり、このソナタはシューマンへの返礼として献呈されています。ちなみにシューマンの妻のクララはトップ・ピアニストでした。ピアノの演奏についてはリストを賞賛していながらも、作曲についてはボロクソに酷評していた(笑)というエピソードもあるので(リストは前進的、クララは保守的な古典派だったのだそう)その夫のシューマンとリストがどんな会話をして、どう付き合っていたのか、筆者は興味津々です。(リスト、あの作品は最悪だな、アハハ!いつもシューマンのツッコミはきついな、アハハ!と陽気に笑い話にしたりしていたのでしょうか(笑))そんな交友関係にあったふたり。有名なトロイメライを含むシューマンの「子供の情景」について、リストがシューマンに宛てた手紙にその素晴らしさを語ったという微笑ましいエピソードを最後に。
この曲のおかげで私は生涯最大の喜びを味わうことができた。週に2、3回は娘のために弾いている。この曲は娘を夢中にさせますし、またそれ以上に私もこの曲に夢中なのです。というわけで私は、しばしば第1曲を20回も弾かされて、ちっとも前に進みません。
リスト:「リゴレット」による演奏会用 パラフレーズ S. 434 / R. 267
エリザベート王妃国際音楽コンクールでも演奏され、阪田さんのCDにも収録されているお馴染みの作品。生で聴くことができるのをとても楽しみにして当日を迎えました。
ところが阪田さんが弾き始めたのは聴き覚えのないメロディ。もしかしてアンコールを先に?など混乱しながら周りをキョロキョロと見てみると、プログラムを開いている方が続出。やはりみなさん演目を確認していらっしゃる!
しばらく頭にクエスチョンマークを浮かべていると、馴染みのあるメロディが聴こえてひと安心。後日、これについて即興演奏であったとツイートされた阪田さん。筆者はよく作品について知らないため、本来この作品はこういう始まりで、CDのものは抜粋なのかと思ってしまいました(笑)近々ご自身のYouTube番組「Scottの部屋」で解説してくださるようなので楽しみです!
生演奏を聴いて、改めてこれは歌曲(オペラ)なのだと実感させられました。その間の取り方など歌詞を乗せているようで、いかにも阪田さんがピアノで歌っているようです。
阪田さんはこのリゴレット・パラフレーズについて、インタビューで”オペラにもとづくファンタジーと言える”と解説されています。最後までファンタジーは続いていたのですね!
筆者は阪田さんが演奏するこの作品の美しく響いていく低音と、木製とは思えないキラキラの高音の両方がバランスよく堪能できるところが大好きで、この瞬間が最高!と次の瞬間、さらに次の瞬間、さらに…と結局最後まで大好きな瞬間が休みなく続きます。(阪田さんが弾くピアノの鍵盤はクリスタルでできていると信じています 笑)
<アンコール>シューマン=リスト:献呈 S.566 / R.253
ピアノが鳴り始めたとき、「わー!」と叫びました(心の中で)。ずっと阪田さんの演奏で聴いてみたいと思っていた作品を、遂に聴くことができて感動です。「献呈」も歌曲ですし、阪田さんらしいと言っていいのか、とても”歌って”いました。
筆者はまだ「幻想」の世界から抜けられておらず、この曲もどこか幻想的に思えていて、それは「月光」よりもシューマンの「幻想曲」よりもさらに具体的なイメージが浮かぶものでした。シューマンは妻のクララとの結婚をクララの父に猛反対され、裁判沙汰になるほどの厳しい状況を乗り越えて結婚を実現させた人。この「献呈」で感じた幻想は、その結婚までの長い道のりで何度夢見たであろうクララとの結婚生活への夢想と、情熱的に盛り上がる部分で”このつらい状況の中、これまでどれだけ憧れの世界を妄想してきたか!”と熱っぽく語っているかのように聴こえていました。
<アンコール>J.S.バッハ=阪田知樹:アダージョ BWV.564
筆者は勉強不足で知らない作品だったのですが、まさかバッハだとは思いませんでした。バッハはとてもシンプルで、宗教的な要素以外にドラマ的なものはあまり感じられなかったりするのですが、何か物語性があるように思えたのは、阪田さんの編曲だったからでしょうか。
・・・そんな曲だったと思います。というのも、コンサートが終わってすぐ忘れないうちにと感想をnoteに下書きしたものが消えてしまい、記憶が…(ガッカリ)。
最後に
そして、リサイタルの最後は、”今日、弦ひとつなしで最後までがんばってくれたピアノさんはこちらです”とでも言わんばかりにピアノをねぎらうジェスチャーヾ(*´∀`*)で会場を沸かせながら、終演となりました。
note記事に絵文字を使うことになるとは思いませんでしたが(笑)、この場においでになることができなかったファンの方にうまく伝わればと祈っています。
ちなみに、2週間ほど前にテレビ番組「題名のない音楽会」で阪田さんの超絶技巧が特集され、だいぶ話題になったようです。その記憶が新しいこの日、ホールに贈られたお花の贈り先に“超絶技巧のピアニスト 阪田知樹様”という枕詞がついていて、ふふっと楽しませていただきました。超絶技巧と書いて“さかたともき”と読む日が来るかもしれませんね(笑)
最後に、音楽とは直接関係がないのですが、今回のプログラムのデザインがとてもおしゃれで嬉しくなったので、画像を入れてみました。クラシックもどんどんイメージが変わっていってワクワクしますね!(筆者の中だけのイメージかもしれませんが)会場にいた阪田さんの所属事務所のキャラクター「たぬ~ん」と一緒に。
出典
プログラム ジャパン・アーツ(当日配られたもの)
「クラシック名曲全史 ビジネスに効く世界の教養」松田亜有子 著 ダイヤモンド社