二次創作でオリジナリティを出したいという矛盾
・この記事では問題点について分析し、明確に批判します。
・ただし同人文化そのものに対して侮辱したりそれを楽しむ個人に対する批判が目的ではなく、あくまで問題点を浮き彫りにして改善やその環境で傷ついた人の心理的な回復を願うものであり、同時に迷っている方への参考になることを意識したものです。
・著作権的な視点から批判するものではありません。
無理である
これは分かりきった話なので結論を先に出しておく。そんなことは不可能である。
何故なら、二次創作自体が原作という設定や物語ありきとして作られるからだ。原作がある以上は、キャラクターの性格やストーリーが出来上がっている。そこから一個人が妄想や独自の解釈で作品を作り上げていくのが二次創作だが、それにも限界がある。つまり、二次創作は、元の作品の枠組みを大きく超えることができない。
例えば、キャラクターAとキャラクターBの恋愛関係を描こうとする場合、設定や性格が既に固定されているため、どうしても展開や描写が他の作品と似通う可能性が高くなる。同じキャラクターを使っている以上、完全に独自のストーリーを作り上げることは難しい。
さらに、二次創作の「オリジナリティ」とは、多くの場合、独自の解釈やアイデアをどれだけ盛り込めるかにかかっている。しかし、ここで矛盾が生じる。原作のキャラクター性や世界観を尊重しないと「原作崩壊」として批判される一方で、設定に忠実すぎると「どこかで見た話」にしかならない。この両立の困難さが、二次創作でオリジナリティを出すことの限界を浮き彫りにしている。
その結果、多くの二次創作作品は以下のようなループに陥る。
「王道」展開の繰り返し
恋愛ものならば告白から両想いになるまで、バトルものなら強敵との戦いに勝利するまで、といった定番の流れに収束しがちである。王道は受け入れられやすいが、既視感も避けられない。「個人の色」を求めすぎた結果の迷走
他との差別化を図ろうとして、キャラクターの性格や行動が原作とかけ離れすぎることもある。これが「オリジナリティ」として評価される場合もあるが、反発を招く可能性も高い。「似て非なるもの」の増殖
同じテーマや設定の中で微妙に異なる解釈が次々と生まれるため、結果的に「違うけれど似ている」作品が大量生産される状況になる。
結局、二次創作においてオリジナリティを追求することは、その行為自体が矛盾を内包している。原作の枠を超えた瞬間、それはもはや「二次創作」ではなく、独立した一次創作になってしまうからだ。
オリジナリティを求める人へ
一次創作をしてみることをおすすめする。だだし、ここで言うオリジナリティとは「まったく新しいもの」を1から生み出すことではなく、自分が今まで影響を受けてきた様々なことをかき集め、それをもとに自分ならではの視点や感情を込めた世界を作ることである。
実際、数多くの有名な漫画家も影響を受けた映画や漫画があるとインタビューなどで答えている。影響自体を受けることはなんら問題がないのだ。そこから自分に向き合い、自分なりのものを確立していくのもまた大切なオリジナリティだと思われる。
二次創作の魅力とは
二次創作の魅力は必ずしも「オリジナリティ」によるものではない。むしろ、多くのファンが共有する「原作への愛」や「解釈の広がり」、さらには「共感」を生み出す力こそが本質である。また、そこには「原作にはない展開」を見たいという願望もあるだろう。つまり、キャラクターや原作への独占欲や競争心は本来二次創作が持つ魅力を損なうことになる。オリジナリティを求めるよりも、原作への愛や、独自の感情や視点を盛り込み、それを共有して楽しむスタンスと寛容さが二次創作を楽しむ上で重要ではないだろうか。
二次創作の本質と加速する競争社会
二次創作の魅力は"多くのファンが共有する「原作への愛」や「解釈の広がり」、さらには「共感」を生み出す力こそが本質"と述べたが、しかしこれは同時にオタクが持つ掘り下げて内に籠る性質と相反する部分があることに加えて、近年のSNSの発達による評価の可視化が二次創作の本質を歪めていると推測する。
つまり、評価が数値化されることで、二次創作の目的が「原作への愛や萌えや解釈を共有すること」から、「いいね」やリツイート、コメントといった"外部からの承認を得ること"へと変質しつつあるのだ。
以下、具体的な例を挙げながら問題を分類して明記する。
1. 競争がもたらすプレッシャー
SNS上では多くのクリエイターが作品を公開し、評価される場が生まれている。しかし、これが結果的に「評価されるための創作」を促しやすくなる。
・トレンドに乗ったテーマやキャラクターを選ぶ傾向
・評価されやすいフォーマットやジャンルの固定化
・独自の解釈よりも、受け入れられやすい内容への妥協
2. 自己表現から競争への変化
本来、二次創作は自分自身の感情や解釈を表現する行為であり、他者と比較される必要はない。しかし、SNS上では作品が「いいね」の数やフォロワーの多さといった具体的な数値で評価されるため、承認欲求や競争心が創作動機の中心になりやすい。これが、以下のような負のサイクルを生むことになる。
・「評価されない」ことへの焦りや挫折感
・評価されるための創作スタイルへの迎合
・評価が得られない創作者が離脱し、作品の質と多様性の低下
3. 「内に籠る性質」との矛盾
オタク文化の本質的な性質である「自分の好きなものを掘り下げ、深く追求する」という行為は、本来は他者の評価を前提としない自己満足的な行動だ。しかし、SNSでの評価の可視化は、この内向的な性質を外部評価という軸で揺さぶり、創作者に矛盾したプレッシャーを与える結果になってしまった。
・他人に見せるための創作が増加し、純粋な自己表現が減少
・ 評価されないことを恐れるあまり、自己否定したり創作を控える人の増加
本質を取り戻すためには
二次創作の魅力が「共有」や「共感」にある以上、競争社会的な要素に飲み込まれないため、本来の意図を見失わないためには創作者自身が以下を意識することが重要ではないだろうか。
・自分が「何を表現したいのか」を軸に創作を行う。
・評価の数値に依存しすぎず、楽しみや愛情を創作の中心に据える。
・他者と比較するのではなく、共通の愛好心でつながることを目的とする 。
・他者とオリジナリティを競いたい場合は好きな作品の二次創作ではなくオリジナルでプロを目指す。
また、コミュニティとしても、「評価」を過剰に重視するのではなく、創作そのものを楽しむ雰囲気を作ることが重要だ。例えば、SNS上での「いいね」やシェアだけでなく、コメントや感想といった直接的な交流を増やすことが、純粋な共有の場を取り戻す助けとなるだろう。
結論
個人的な見解としては、二次創作でオリジナリティを出しそれを独占したいと思うことは二次創作では満たせない願望であり、SNSの評価システムこそが昨今の二次創作でオリジナリティを出したい風潮を助長したと考えている。SNSは二次創作に新しい可能性をもたらす一方で、その本質を歪めるリスクを伴っている。しかし、創作の目的を「他者との比較」ではなく「原作への愛の表現」「同好の志との妄想の共有」に戻すことで、この歪みを少しずつ修正することは可能だ。評価という数値に囚われず、個人が純粋に楽しみながらこっそりと創作を続けることが、二次創作界隈の暴走を改善する鍵となるのではないだろうか。