歴史を学ぶ #2 スペイン編

Hola! あすぱれです。
まだまだ続く、スペインの歴史の話。さっそく始めます。

8世紀初頭、イベリア半島にイスラーム勢力が上陸します!アラビア半島から北アフリカをずっと西に進み、はるばるイベリア半島までやってきたのです。西ゴート王国は内部でのいざこざで安定した国家とは言いがたかったわけですが、イスラーム勢力の侵入という外的要因により、滅亡いたします。

イスラーム勢力は勢いに乗って、フランク王国まで侵入。いけいけどんどんな感じでしたが、732年、トゥール=ポワティエ間の戦いで負けて、それ以上ヨーロッパに侵入することができませんでした。

756年、ウマイヤ朝の残党たちが、コルドバを首都に後ウマイヤ朝を建国します。一方で西ゴート王国の残党たちはアストゥリアス王国を建国し、のちにレオン王国と合同して勢力を拡大します。

10世紀にはカスティーリャ王国が、11世紀にはアラゴン王国が建国され、12世紀にはカスティーリャ王国からポルトガル王国が独立しました。これらは全てカトリックの国で、レコンキスタ(=国土回復運動、国土再征服運動)を主導していきます。

レコンキスタとは、一言で言うとイベリア半島からイスラームを追い出そうとするカトリック側の動きのこと。かなりの長期戦でした。

一方イスラームの国はどうなっていたかと言うと11世紀から北アフリカのベルベル人がイスラーム王朝を建て、イベリア半島を支配していました。しかし、キリスト教国に敗れてじりじりと撤退していきます。

1230年ごろ、グラナダを首都にナスル朝が建国されます。すでに支配範囲は非常に小さく、現在のスペインの南の地域であるアンダルシア地方のみでした。巧みな外交で国を維持し、壮麗な宮殿であるアルハンブラ宮殿を造営しました。

しかし、次第にレコンキスタが強まっていき、アラゴン王国とカスティーリャ王国が合同してできたスペイン王国によりグラナダを落とされ、イベリア半島におけるイスラーム最後の王朝・ナスル朝は滅亡しました。また、1492年のグラナダ陥落はレコンキスタ完了を意味し、1492年という年号はコロンブスの”新大陸”発見と相まって非常に有名です。

中世のところが非常に複雑で、簡単な説明になってしまったので、??という人もいるかもしれない。力不足で、、

私が言いたかったのは、アラビア半島で誕生したイスラム教が、国を作り、北アフリカを伝ってイベリア半島まで来て、王朝を建て、数世紀もの間勢力を維持した後、宗教熱が高まったキリスト教勢力に駆逐されていったというこのダイナミックさです。

この数世紀のおかげで、スペインは文化が混ざり合い、ヨーロッパの中で非常にユニークな雰囲気を作り上げています。特にアンダルシア地方は闘牛、フラメンコなどザ・スペインといった情緒からアルハンブラ宮殿、コルドバのメスキータ(大モスク)といったカトリック以外の情緒まで味わうことができます。私はまだ行ったことがありませんが、マラガに移った後は週末を使ってたくさんの都市を訪れたいです。

スペインのカンタン通史をすぐ見られるようにしたくて書き始めたこちらのnoteですが、一国の歴史となるとさすがに長いですね。特にスペインは歴史が長いです。我々は紀元前の歴史が縄文時代、弥生時代なわけですけども、スペインは紀元前から戦争をしているわけですから。そりゃ長いです。

最後まで書きたいと思いますので、#3に続きます。
読んでいただき、ありがとうございました。

Hasta luego!


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