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家族のお話し・6


皆さん こんにちは


数あるnote記事の中から
選んでいただき
ありがとうございます


『家族のお話し1〜5』で
ごく一部のエピソードを交えながら
簡単に家族の事を記事にする際
色んな『その時』を
思い出しながらの作業となり
必然的に『その時の感情、気持ち』を
再び思い出すことにもなりました


悲しくもあり、苦しくもあり…
こんな内容で大丈夫か?
何か役立つ情報の方が?などなど
記事にするのを躊躇う気持ちと
葛藤しながらでしたので
分かりにくい部分もある中
読んでいただけた事、本当に感謝しています


今の私は、人生の半分以上を過ぎていて
実家族との生活であった
様々なトラブル期から
随分と年数を重ねてきました。
もちろん、年数だけではなく
実家族と生活していた頃とは別の
『私の』経験、体験も。


幼い頃は『家族だから』と捉えて
その時出来る協力はしてきたと
私は思っています。


子供だった頃は
とにかく、問題を起こさず良い子でいる
実母が落ち込んでいる時はお手伝いをする
自分の事は自分でする
(アイロン掛け、雑巾作りなど…)
勉強も自分で頑張る
(実家族全員、勉強に無関心なので…)


社会人になってからは
毎月のお給料から生活費を渡す
実母からお金が…と言われお金を渡す
家のローンが足りない…と相談され
数百万のローンを私名義で組む
尚且つ、実母が疎かにしている家事を
働きながらもこなす


結構、協力してきました。

私なりに、してきたと思うのですが
実母と実姉にとっては
まだまだ足りない…のか?
要求はお金に限らず、今も時々あります。


が、やっと最近になって
要求を断る事が出来るようになりました


ここまでくるには…かなりの葛藤と
『家族だから』と言う言葉の呪縛に苦しみ
それは今でも時々、グッと
心臓を掴まれる感じで襲ってきます。


だって、これまでの経緯や
私の体験してきた内容を全く知らない人や
そもそも家族が仲良し!な方々からしたら
『何で家族なのに?』と思いますよね…


でもある時、本の一文か何かに


『例えば問題が起きた時、それは
 その問題を起こした人の問題であって
 あなたの問題ではない…』


というような言葉がスッと心に入り
あ〜…なるほどな…と腑に落ちたんです。


私の身に起きている事に当てはめるなら

実母、実姉の起こした問題は
2人それぞれの問題であって
私の問題ではない…
だから私がその問題を解決する事も
対応する事も、率先して行わなくていい
という解釈も出来るな…と。


ただ、頭で理解していても
実践するとなると…
これこそ葛藤との戦い。

家族としての過去だったり
どこからともなくやってくる罪悪感だったり
でも相手はそんな私の葛藤や
罪悪感との戦いも知らず
『家族だから』『家族でしょ?』
の言葉をわかって使っているのか?
私の心にグサッと…


ドラマや映画のように
問題を抱えていても、克服したり
考えを改めて、解決したり
前向きに生きていく…エンドロール…
であったらなぁと思いますし
記事としても
最後は幸せになりました…
の方が読んでいる側としても
『良かった、良かった!』で
スッキリした気分で終われます。

ですが
『私の家族のお話し』には
残念ながら…無理かなぁと。


変われる人、変わろうとする人もいれば
変わらない人、変えようとしない人も
いる現実を…

そして、様々なトラブルを目の前で
体現して見せてくれる『反面教師』
として『私の家族』は
私に教えてくれた、教えてくれている…
そう思って(捉えて)います。


予告通り『家族のお話し』シリーズは
今回で終わります。
まだたくさんのエピソードがあって
記事にしたい気持ちもありますが
内容がかなり際どい💦
でも、その内容から考える
私が思うことは色々あるので
その視点から記事にしていけたらと
考えていますので
お時間よろしければ
記事を読んでいただけると嬉しいです☺️


最後まで読んでいただき
本当にありがとうございました😊

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