「モモ」を読み、「時間を盗まれること」について考える
子どもと図書館に行ったときに目について読み始めた「モモ」。有名なので知ってはいたけど、読むのは初めてだった。児童文学といえども長い話なので何となく「難しそうだな」と読まずにいたのだ。読んでみたら面白くて隙間時間にずっと読んでた。(こういうことができるから電子書籍はありがたい。)
時間を節約しようとする大人たち。経済活動という視点から無駄だと思われる「世間話」や「子ども、家族とゆっくりする時間」などはどんどんなくなってしまう…という「これ、私のことやん…」と思わずには入れない1冊だった。
この本の中で、ずっと思っていたこと。「時間を盗まれるってどんなことだろう」「時間を盗まれないためには何をすれば良いんだろう」という問い。読後、随分の時間、考えた。
「時間を盗まれた」状態とは
本の中で印象的な場面がある。時間泥棒は主人公モモの時間を盗もうと、モモに1つのおもちゃをプレゼントする。それはスイッチを押すとセリフを話す人形。しかし、モモは今まで1度も感じたことのないような気持ちになる。それは「退屈」という気持ちだった。そんなモモに時間泥棒は言う。「退屈になったら新しいおもちゃを買えば良いんだよ」と。そして、人形に似合う服や家、ボーイフレンドなどを次々とプレゼントする。
物を集めることは快感だ。手に入った時は嬉しく何ともいえない気持ちになる。しかしその気持ちの昂りはどんどん降下する。「退屈」になってしまうのだ。また何かを手に入れたいと思い、購入する。すると今度は物が多いことがストレスになってくる。
また、このような消費型の遊びをしていくと、作る側も多くのものを世に出さなくてはいけなくなり、1つ1つに思いを込めることができなくなる。忙しくなり、1つ1つ壊れやすいものになるかもしれない。
以上のことから「物を片付ける」「物の総量を見直す」「物が壊れて“あぁ、何とかしなきゃ”と思う」ことに時間がかかっているように感じる。それが「時間が盗まれている」状態なのではないだろうか。
時間を盗まれないために
買わずに済む方法を考える
とにかく、買わずに済む方法を考えてみることだ。買えば楽だし時間もかからないが、買わないで済む方法を考えて実行するのも、意外と面白い。先日、子どもに、室内で使うボールが欲しいと言われた時に、新聞紙で紙風船を作り代用した。全然とばないボールだったが、作る過程が面白かったようで満足してくれた。安くクオリティが高いものが買える時代ではあるが、作ってみると愛着が湧くものだ。
手入れして愛着をもつ
先日、自転車のチェーンが錆びてしまったのでオイルを差した。そのまま自転車を磨くと何となく愛着が湧いてくるものだ。思わず夫を呼び、自転車に乗ってみるよう勧めた。大量消費時代なので画一的なものが多いのだが、修理すると自分のオリジナルのような気がしてくる。すると少しずつ、自分のものに愛着が湧いてくる。
コンテンツの取捨選択をする
今は手軽に何でも手に入る。しかも無料だったり、一定金額を払うと〇〇し放題が多い。次から次に消費できる環境にいるのだ。だからこそ、立ち止まって味わう時間が必要だ。私も本やドラマ、ポッドキャストを次から次に消費してしまっていた。しかし、本書を読んでから、この記事を書くまでの1週間、他の本を読まずに本のことを考えていた。そんな風に、インプットもアウトプットもせずに熟成する時間が必要なのだろうと思う。
今回は、家族との生活の中で時間を盗まれないために意識することを考えた。物を取捨選択したり、手入れしたりすることが時間を豊かにしてくれるのだろう。しかし、「これが正解だ!」とスッキリした感じもないので、しばらくこのテーマについては考えていきたい。