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「リアル・ペイン〜心の旅〜」痛みを抱え、旅は続く
(あらすじ)
ニューヨークに住むユダヤ人のデヴィッド(ジェシー・アイゼンバーグ)とベンジー(キーラン・カルキン)は、亡くなった最愛の祖母の遺言で、ポーランドでのツアー旅行に参加する。従兄弟同士でありながら正反対の性格な二人は、時に騒動を起こしながらも、ツアーに参加したユニークな人々との交流、そして祖母に縁あるポーランドの地を巡る中で、40代を迎えた彼ら自身の“生きるシンドさ”に向き合う力を得ていく。
監督・脚本・出演・制作はジェシー・アイゼンバーグ。
頭は切れるが根は気弱なオタク青年がハマる人。今回もそんなイメージだと思った。相棒はキーラン・カルキンである。マコーレ・カルキンの弟、という以上のことを知らなかったが彼の演技が素晴らしい。
https://www.searchlightpictures.jp/movies/realpain
※以下ネタバレ。あしからず。
喜怒哀楽をストレートに表現するベンジーと、感情を理性で抑え周囲とのバランスをとるデヴィットの対比が終始くっきりと出ている。
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デヴィットのおかげでツアーの空気はなんとか保たれているが、美味しいところはベンジーが持っていく。
偏見かもしれないが、日本人はデヴィットの方に感情移入しやすいのような気がする。
美しいポーランドの街並みとショパン
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二人が待ち合わせたのはショパン空港。
全編にわたってショパンの曲があてられているが、流れるタイミングと尺がとても自然で、街並みと一緒にきれいに流れていく。
それぞれの抱えた心の傷を少しずつ開放していくような旅。
90分なのでテンポも割と速い。軽やかな曲もうまくはまっていた。
ゲットーの英雄記念碑、ワルシャワ蜂起記念碑から、南東の街ルブリンを訪れる。
一番印象的だったのはツアー参加者がレストランで夕食をとる場面。
デヴィットのセリフが良く心情を表していた。
「あいつのことが大好きで、あいつのことが大嫌いで、たまに殺してやりたいと思うこともあって、でも、あいつみたいになりたい。」
REAL PAIN = REAL LIFE ?
結局のところ人間の痛み、苦しみとは何なのだろう?
突き詰めていけば、「自分以外のものにはなれない」という苦しみなのかもしれないと感じた。
デヴィットは酒を飲もうがハッパを吸おうが、ベンジーのようにはなれない。
ベンジーもハッパをやめたからといってデヴィットにはなれない。
これが近年よく言われる「生きづらさ」であり、それぞれが抱えて生きていくしかないものなのだろう。
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ツアーの終着点はマイダネク(ルブリン強制収容所)。主人公二人だけは祖母の家が終点だが、この収容所のシーンでは登場人物も映画の観客も同じ感情を呼び起こされると思う。
この場所が持つ歴史のすさまじさを目の当たりにした時、誰もがツアー参加
者のように言葉を失うのではないだろうか。
言葉に表せないような感情が湧き、誰もが沈黙してしまう。
参加者の一人、エロージュの言葉に共感した。
「でも何も感じないよりは良い。」
アイゼンバーグが訴えたかったもの。
「メンタルヘルスに苦しむ僕の個人的な痛みは、客観的に見てもっと恐ろしい先祖の痛みと比べてどうなのか?僕の痛みは語るに値するものなのか?」
あの収容所で犠牲になった人たちは、「生きづらさ」さえ味わうことを許されなかったのだ。
映画を観てもこの問いかけに答えは出せなかった。
というより、この疑問に答えることよりも問い続けることの方に意味がある気がする。
あいつの苦しみには価値がある、こいつの苦しみには価値がない。そんな風に人の苦しみに線をひけるタイプの人達が、あの収容所をつくったのかもしれない、とも思った。
他人には預けられない痛みを抱えたまま、彼らの旅も、私たちの旅も続いていくのだ。