【電力小説】発電所巡視
第二話「地下4階の巡視」
「今日は巡視だからな、気合入れていこうか。」
隣の運転席で、先輩の加藤が笑いながら言った。加藤はスズより3歳年上で、理系の大学院を卒業してすぐにこの発電所に配属された。今では頼れるメンターとしてスズを指導している。
「気合は入ってますけど……地下がちょっと怖いです。」
スズが正直に言うと、加藤は苦笑しながら答える。
「最初はみんなそうだよ。暗いし寒いし、何か音がするし。でもそのうち慣れる。巡視は現場を支える大事な仕事だって思えば、怖さより達成感の方が大きくなる。」
その言葉に少しだけ気が楽になったものの、スズはまだ緊張していた。巡視は発電所の異常を早期発見するための重要な業務だ。今回は特に、圧力系や空気系の計器確認、外観検査、そしてコンプレッサーの先行機切り替え操作も含まれている。
地下4階、薄暗い空間
発電所に到着すると、スズと加藤はヘルメットをかぶり、作業着のポケットに巡視用の記録表を詰め込んだ。ふたりは手短に段取りを確認すると、それぞれ別行動で巡視を開始した。
スズの担当は地下4階。重い鉄製の扉を開けると、ひんやりとした冷気が顔に触れた。照明は点いているものの薄暗く、コンクリートの壁が冷たい雰囲気を漂わせている。
「よし……行こう。」
スズは声に出して自分を鼓舞しながら階段を下りていった。
計器確認と初めての迷い
最初に訪れたのは圧油コンプレッサーの機械室だった。目の前にずらりと並ぶ計器を、一つずつチェックしていく。水圧、油圧、空気圧……すべて正常値を示しているように見える。
「これも大丈夫……これは……あれ?」
記録表に記入しながら確認していたスズは、水圧計の一つが基準値を少し外れていることに気づいた。警報は鳴っていないが、このまま放置していいのか悩む。
「えっと……どうしよう。」
スズは無線を手に取り、加藤に連絡を入れた。
「加藤さん、地下4階の水圧計がちょっとだけ基準を外れてます。これってどうしたらいいですか?」
加藤の声がすぐに返ってきた。
「確認してくれてありがとう。今の値ならすぐに問題はないけど、次回点検でチェックするようにメモしておいて。警報が鳴ってないから大丈夫だよ。」
「わかりました!」
スズはほっと胸を撫で下ろした。初めての小さな異常発見に少しだけ自信を持てた気がする。
弱点ピンのトラブル
巡視を続け、次に訪れたのは横軸カプラン水車の機械室だった。巨大な水車がゆっくりと回転しており、その存在感に圧倒される。スズは水車周辺の外観や計器を確認しながら進んでいたが、不意に頭を何かにぶつけた。
「痛っ……何これ?」
手を伸ばしてみると、それは「弱点ピン」と呼ばれる部品だった。触った拍子にピンが外れてしまい、突然警報が鳴り響いた。
「えっ!? 何、何が起こったの!?」
スズは慌てふためき、どうすればいいかわからず立ち尽くす。無線で制御所から怒鳴るような声が聞こえてきた。
「そっちの地下で何をした!? 警報が鳴ってるぞ!」
「す、すみません!わ、わかりません!」
スズが狼狽していると、加藤が地下へ駆けつけてきた。スズの状況をすばやく確認すると、冷静な声で言った。
「大丈夫、スズちゃん。弱点ピンを元に戻すだけだから。慌てなくていい。」
加藤が手際よくピンを戻し、警報を解除する。その動作の一つ一つがスズには神業のように見えた。
帰り道での振り返り
巡視を終えたふたりは車に戻り、発電所を後にする。スズは運転席の加藤に申し訳なさそうに言った。
「すみません……警報を鳴らしちゃって。」
加藤は笑いながら答える。
「気にするな。最初はみんな失敗するもんだ。警報が鳴っても、設備はインターロックで守られてる。スズちゃんがこれから学んでいけばいいだけだよ。」
「でも、もっと気を付けます……!」
「そうだね。でも今日、基準外の値を見つけて報告できたのはすごく良かった。巡視の基本は目、耳、鼻を使って気づくこと。それができれば、大きなトラブルは防げるよ。」
その言葉に少しだけ救われた気がした。スズは自分の未熟さを痛感しながらも、「次はもっと頑張ろう」と心に誓った。
コンクリートの冷たい地下空間を思い出しながら、スズはほんの少しだけ、この仕事が面白いと感じ始めていた。