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変わりやすい空と変わらぬ責任【電力小説第5章第2話】

朝9時、中給のオペレーションルームには特有の緊張感が漂っていた。巨大なモニターには送電網が映し出され、青いラインがエリア全体の電力潮流を示している。指令卓に座るスズも、他のメンバーと同様に忙しく手元のデータを確認していた。

「需要予測の締め切りまであと20分か……」
スズは画面に映る膨大な情報に集中しながら、小さくつぶやいた。需要予測は毎日行われる重要な業務であり、翌日のエリア全体の需給計画を左右する基礎となる。そのため、短時間での正確な判断力が求められた。

中給では業務が分単位で進行するため、需要予測にかけられる時間は限られていた。午前中には需給計画の作成や他の連携業務も控えており、予測作業に割ける時間はせいぜい20分程度。それでも、AIが提示する需要カーブや気象予報、本日の実績データ、過去の類似条件を参考に、精度の高い予測を作り上げる必要がある。

「明日は午後まで雨が続く予報か……」
AIが提示したカーブは雨を考慮したものとなっており、暖房需要がやや高めに見積もられていた。スズはそのままこの予測を採用しようとしたが、ふと手を止めた。

「もし、雨が早く止んだらどうなる?」
エリア全体の電力需要は天候の変化に敏感だ。雨が続けば暖房需要が高めに出る可能性がある一方、晴れると日射量の増加で室温が上昇し、暖房需要が減少する。しかし、予測にかけられる時間は限られている。スズは気象予報にわずかな不確定要素があることを感じつつも、最終的にAI予測を基準にデータを補正し、提出することにした。

お昼前、スズの作成した需要予測が所長代理の荒木に共有された。データを一瞥した荒木はスズに目を向ける。

「佐藤、この需要カーブ、どうしてこうなると思ったんだ?」
その問いかけに、スズは一瞬言葉を詰まらせた。自分なりにデータを確認したつもりだったが、根拠を明確に説明できるほど整理できていなかった。

「えっと……AIが雨の影響を考慮して、この形になると出していて……」
「AIが出したから、じゃ話にならん。」荒木の声は穏やかだが、重みがあった。
「雨が需要にどう影響するのか、自分で考えて説明しなきゃ意味がないだろう。天候や日射量、本日の実績、それから過去の傾向……それらがどう作用してこの数字になるのかを考えるのが、ここでの仕事だ」

スズは胸の奥にじわりとした痛みを覚えた。AIの出力を鵜呑みにしていた自分が恥ずかしくなり、また、説明する力の不足を痛感した。

午後、スズは需要予測業務から離れ、前日分の実績評価に取り組んでいた。前日の予測と実績を照らし合わせ、どれだけズレがあったかを確認し、その原因を分析するのも重要な仕事の一つだ。

「予測は概ね当たってたけど……午前中の需要が予測より高めに出ているな」
スズは、前日の気象データを確認した。予報では曇天が続くはずだったが、実際には早朝に雨が止み、日中は晴天となっていたことがわかった。移動性高気圧が予想より早く通過した影響だった。

「雨が早く止んで、日射量が増えたせいで室温が上昇し、暖房需要が予想より早く減少したのか。それにしても、こんな些細な天候変化でこれだけ需要が動くとは……」
スズは気象データや実績データを再確認しながら、春特有の気象の難しさを改めて感じていた。

夕方、スズはその日の業務を終え、検証結果を所長代理の荒木に報告した。
「昨日の実績を確認した結果、雨が早く止んで晴れたことで日射量が増え、暖房需要が予想より早く減少したことがズレの原因でした。また、気温が安定していたこともエリア全体の需要を抑えた要因だと思います」
荒木は報告を聞きながら頷いた。
「いいな。ちゃんと整理できてるじゃないか。春は天気が変わりやすいから予測が外れるのは仕方ない。ただ、その理由を説明できないと意味がない。お前の仕事は、ズレがなぜ起きたかを考え、次にどう活かすかだ」

スズはその言葉を胸に刻んだ。同時に、自分の判断力や説明力がまだ未熟であることを痛感した。データを自分の言葉で整理し、他者に伝える力。それが、これから彼女が身につけるべきスキルだった。

帰り道、スズは今日の出来事を振り返りながら歩いていた。
「天気が変わりやすい春に完璧な予測を出すのは無理。でも、その理由を説明する力を磨けば、それを次に活かせる……」

スズは静かに息を吐き、夜風を感じながら歩き出した。次回の予測に向けて、一歩ずつ前進するために。

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天乃零(あまの れい)
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