葛藤と諦観 9/14~9/17
9/14
昨日は朝からカフェでモーニングを食べて本を読んで買い物に行って、いい一日を始めた。
午後からは急にドライブに憧れて、彼と一緒にお出かけすることにした。
1時間半ほどかけて有名な神社に行き、ご神水を水筒いっぱいに汲んだ。
その境内からは町を一望でき、田んぼの黄緑とぼんやりと青い海が見えた。
そして渓谷に行って、川のはじまりを見た。
そこは地面が一枚岩みたいになっていて、水質のせいか水が流れているところが少し茶色っぽくなっていた。
水を触ってその冷たさと勢いを感じた。
そして帰路につき、さっき触れた水とともに山を下って行った。
ここで私は初めて水と一体化するという感触を得た。
さっき私が触れてその生を感じた水の粒子が、この川の水の一部となって確実にあるということ。
そしてそれは今見えている、勢いよく流れていく白い水かもしれないし、行き場を失って溜まっている水かもしれないし、穏やかにみんなと同じスピードで流れている水かもしれない。
でもさっき触って感動を得た水がそれらのどれかにあるとするならば、その可能性のあるすべての水が自分の水のように愛おしく思えた。
上流で見たときは細く薄かった水の集まりも、下流に流れるにつれて仲間を増やし、下りきるころには立派な川となっていた。
9/15
最近、音とか光がしんどい。
テレビはBGMに多くの人の声に効果音にといろんな音が混じって、主張の強い色も多いため疲れる。
音楽もにぎやかなのは少し疲れてしまう時がある。
こんなんで東京で暮らせるのか心配になってきた。
それに最近、よく寝ているのだが昼間も眠くなるし、夜にはまたしっかり眠くなる。
ここ1週間以上、毎日のように9時間近く寝ている。
それでも眠いのはなんなんだろうか。寝れるのは幸せなことだけど。
もっと感性を磨きたいと思う。
そしてそれをうまくアウトプットできるようになりたい。
9/16
生きる意味が分からなくなった。
前も陥ったけれど、どうせいつかは別れる人、どうせいつかは終わる幸せ、わざわざつらい思いをしてまで、これらを追い求めるべきなんだろうか。
死なないでと泣きついて死を止めた彼が、怒れば、死ね、消えろと言い首を絞める。
私はなにを信じればいいのだろうか。
生きることに疲れて、なにが楽しいんだろうこういうの、と思い涙を流した時でさえ、彼は自分が寝るのに必死だ。
私のせいで寝られないと怒り狂う影を、私は暗い部屋でぼんやり見ながら、また涙を流すことしかできないのだった。
助けてほしいと思った。
初めて助けてほしいと思った。
でも助けを求められる人がいなかった。
仲良くしてくれる人はいる。でも、その人たちの平穏で豊かな生活に、少しも黒い水を垂らしたくないのだ。
それほどに大切だから。
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