短編小説「はじめての人」
今日は、この業界の仕事がはじめての人が面接にやってくる。
敷地内にある一番遠い鶏舎からようやく帰ってきた瀬川康夫(せがわ やすお)は、ちらりと時計を見つめる。約束の時間の10分前の14時50分だった。
暫く経って、事務所入り口の呼び鈴が鳴る。ソファからよたよたと入口へ向かい、面接に来たという男を招き入れる。
「はじめまして。電話で連絡していた江藤(えとう)です」
180センチメートルはありそうな長身に、浅黒く焼けた肌、筋肉質な体はこの業界にもってこいという感じだった。
「江藤さん、はじめまして。私は瀬川といいます。突然ですが、なんでこんな田舎にある養鶏場で働こうとしたのですか?」
「私は以前、ホームセンターで働いていました。私の勤務するホームセンターにはインコやハムスターといった動物の取り扱いもありました。最初は匂いになれなくて辛かったのですが、次第に動物に対して愛着が湧くようになりました。ある日、商店街を歩いていたら、ここのアルバイト募集の張り紙を見つけました。ここで働きたいと直感で感じたので面接を受けに来ました」
張り紙ってあの張り紙か?と私は2カ月ほど前に5枚くらい貼った張り紙の事を思い出す。
パソコンでチラシを作る能力なんてないから、知り合いでブティックの店長をやっている庸子さんにイラストや色塗りを手伝ってもらった手作りの求人だ。
求人と呼ぶのさえ恥ずかしくなるようなチラシを庸子さんの店や、知り合いの喫茶店の窓等に貼ってもらった。私自身もこんなポスターなんかで人が集まる訳がないと思っていたが、世の中には物好きな人間もいるものだ。
「江藤さん・・・でしたっけ。養鶏の仕事ははじめてだそうですが、糞の処理とか綺麗なものだけではない部分も多くあります。また、基本的に週3日で朝の4時から夕方の4時までの仕事になっていますが大丈夫ですか」
江藤は私からの問いかけに二つ返事で
「大丈夫です。体力はホームセンターで築き上げたものがあるので自信があります」
と答えた。
私も若くはない。
一番遠い鶏舎からここまで来るのに、時間がかなりかかったし、年々体力の衰えを感じる。
二人の子どもはとうの昔に県外へ出てしまった。
娘は子育ても大分落ち着いたようだが、都会の生活からここへ戻るのは嫌らしい。
息子は会社でも役職付きとの事だから、こんな田舎には戻れないらしい。
私の代わりに働く人は喉から手が出る程欲しい。
はじめての人であっても。
「こっちはすぐにでも働いてくれると助かる。江藤さん、来週の月曜かららでもどうかね?」
「はい。養鶏場で働くのは初めてなので、色々と至らない点が多いかもしれないですが、これからもよろしくお願いします。瀬川さん」
こうして、江藤と一緒になって働く生活がスタートした。
彼と一緒になって働き始めて二週間、お昼のニュースを見ながら私が買ってきた弁当を事務所で一緒に食べる生活にも慣れてきた。
---本日のニュースです。昨夜21時頃、東京都***区の住宅街にて大量の蛇の死骸が見つかる事件が発生しました。警察は付近の防犯カメラを確認するとともに、近隣住民への・・・---
「なんだか物騒なニュースがあったもんだなぁ」
お昼のニュースは会話のネタになる。私はガツガツと弁当を食べる江藤へ声を掛けた。
「ホント、このご時世、色んな人がいますね。蛇の頭を切り落として住宅街に放置するなんて」
こんな他愛のない会話も、これまでずっと一人で養鶏業をやってきた私には新鮮だった。
背格好は違うが、江藤は私の息子の年に近い。息子が返ってきたような感覚に私は安心感に近い感情を抱いていた。
それから三か月後、江藤も養鶏場での仕事に慣れ、朝の給餌を江藤一人に任せるようになっていた。
---本日のニュースです。昨日14時頃神奈川県***の牧場にて、飼育している乳牛12頭の頭が鋭利な刃物のようなもので切り落とされるという事件が発生しました。車で5分程度の所に小学校もあり、警察は注意喚起を・・・----
「なんだか物騒な事件があったもんだなぁ」
「ホントですね。動物の首を切り落としたら次は人の首も切り落としてきそうで、近くの住民からしたら気が気じゃないですよね」
最近は物騒な事件が多い。お昼のニュースを見ながら江藤と会話するのも、すっかり私の日常に溶け込んでいた。
それから三か月後、朝の給餌と集卵、夕方の鶏舎の掃除まで出来るになってきた江藤を私は本気で後継ぎにしたいと考えていた頃だった。
面接に応募してきた頃はどんな人間が来るのかと思ったが、江藤の働きぶりは素晴らしく、私の飼っている鶏への熱意も十分なものだった。
普段は江藤に給餌を任せている時間だが、この日は事務所から一番遠い鶏舎へ重い足を引きずりながら向かっていた。
昨日の夕方の掃除中、久しぶりに息子から電話がかかってきて、電話を切った後そのまま鶏舎の荷物置き場に携帯を忘れてしまっていた。
鶏舎から草刈機の様な音が聞こえてきて止んだ。
なんとなく普段と違う雰囲気を感じながら鶏舎へ足を踏み入れる。静まり返る鶏舎の奥の荷物置き場へと重たい足を引きずる。
鶏の頭が鶏舎の奥の通路に雑多に置かれていた。15匹くらいはいるだろうか。
「江藤・・・!!」
江藤を呼ぼうとしたら鶏舎の入口の方にある掃除用具入れの物陰に江藤が立っていた。
手に持っているチェーンソーのエンジンをかけていた。
逃げようにも江藤のいる側以外の出口が無い。思わず私はその場にすくんでしまった。
「瀬川さんの牧場にくる前の日の午の刻に、勤めていたハムスター全部の頭を切って殺しました。その2週間後の亥の刻には蛇の頭を。その3か月後の未の刻には牛の頭を。そして、その三ヶ月後の今日、卯の刻には鶏の頭を12頭切って殺しました。」
話しながら一歩ずつ江藤は近寄ってくる。チェーンソーの音が徐々に大きくなる。
「今まで3回動物を殺しました。頭を切り落とした瞬間、私はその生き物より優れた生物になったような晴れやかな気持ちになれます。でも、今日は動物とは違います。はじめての人です」
そう言って、私の目の前まで来た江藤はチェーンソーを天に掲げた。