東京芸術中学に通った話(6)
まとめ
身の回りに存在する人工物は手の届かない別世界の何者かが作っているのではなく、目の前に居る人達が頭を絞って生み出している。あの本も、あのテレビコマーシャルも、あの現代アートも。芸中に通い、娘はクリエイティブの世界をぐっと身近に感じたことだろう。一年で網羅する範囲は多岐に渡り、しかも広いのに浅くない。服のデザインについて考える日もあればノンフィクションを書いたりもする。それはそれは色々なことに足を突っ込まなければいけなくて大変だった。だが一年終わった頃には、様々なジャンルを経験できたことで自分の好きなことが何であるかがわかってきたのと同時に、思考の幅が大きく広がった。また、どんな表現領域であれ一貫して必要で大切なことがあるのだと感じた。
改めて芸中に通った日々を辿ると、キラキラしているようで、実際は締切に追われたり思考の泥沼にはまったりでとてもハードだった。そもそもクリエイティブの世界自体そういうものなのだろう。娘は中一になったばかり、まずは中学生活に慣れなければいけない。通う場所、友達、定期テスト、クラブ活動など初めてだらけである。さらに塾などほかの習い事も毎日のようにある多忙な中での芸中の課題、真面目にやろうとするればするほど大変な怪物だ。適当に雑なものを作っていったら容赦なく批評される。学校行事、体調管理、何があっても締め切りは迫ってくる。休んでしまえばそれまでだが、決められた時間で突き詰めて考えてかたちにする、このアウトプットが芸中の真髄であり、講義を聴くだけの受講とは次元が違う。娘は時には難易度に音を上げそうになりながら、プレッシャーとストレスで発狂しかけながらも、何とか全ての課題を提出した生徒の一人だ。厳しい社会で生き抜いていく、甘えのない本番さながらの経験であった。
当初、課題の出来栄えなどを年上の生徒と比べた時に受講は時期尚早だったかと思ったが、月日が経つにつれて気にならなくなった。それは、技術はさておき考え方が鍛えられていることを実感するからだ。思い返してみれば、どんな仕事であれクリエイティブな思考が必要になると思って通い始めたではないか。菅付さんが早期のクリエイティブ教育を強調されていたが、既成概念にとらわれていない中学生達の思考は驚くほど自由で伸びやかなのである。早すぎず遅くない、生徒間で差がつきすぎていない中学生という絶妙な年頃での受講は納得である。
習い事に支出する時、親としては目に見える成果を願うだろう。芸中では点数もないし進級もない。よく観察していないと役に立っているのかどうかもわからないかもしれない。でも私は、ほぼ毎回講義を聴いて娘の様子を観察した結果、通う選択をして良かったと心から思う。夫は、芸中を通して得た経験は留学経験に近いと言っていた。効果がじわじわと続き、今ではなくても人生のどこかで劇的に意味を持つ。将来というより生涯の糧となるのだ。当初高いか妥当かわからなかった学費も、願っても簡単にお金で買えない経験をし、価値ある支出だったと感じている。
芸中も終盤になってきたころ、撮りためている「美の巨人たち」の中からキースへリングの回を何となく再生していた。娘は様々なコメントをする。「踊る二人のフィギュア」という彫刻は蹴っ飛ばしているように見える、「ラディアント・ベイビー」は人の懺悔の姿だと思っていた、ドローイングを見てこれってゲルニカみたいじゃない?などなど、教科書通りではなく自分の視点を持っている。ふと夫がアートとデザインって何が違うの?と聞いた。そこで間髪入れずにさらっと答えた娘、芸中でちゃんと聞いてるのかどうかよくわからなかったけど、どうやら染み込んでいたようだ。1年間の学びの成果は、ふとした時に鮮やかに感じ取れる。偶然にも次の菅付さんの講義でキースヘリングが取り上げられてタイムリーだった。
1年間に渡り、土曜の午後の渋谷パルコで、こんなに濃密で贅沢な時間はないと思いながら過ごした。ただでさえ多忙なクリエイターの方々のスケジュール調整は大変そうだが、コロナ下ということが拍車をかけていたと思う。そんな中で充実した内容を提供し続けてくださったこと、いつも生徒達に高い熱量で真剣に向き合ってくださったことには、感動しっぱなしだった。たまたま娘が中学生で、たまたま家から無理なく通えてとても幸運だったが、運に頼らなくても良くなる未来を願う。最後の日には立派な修了証書を頂き、菅付さんから「そのまま育て」と言われた娘、芸中に通った一年が人生にどんな風に効いてくるのか温かく見守ることにする。
一連のことをまとめてどこかに置いておきたかった欲望が満たされたので、このタイトルでの芸中の話はこれでおしまいです。