東京芸術中学に通った話(2)
講義の記録 その1
それぞれの講義をざっくり時系列で記録しておく。内容は公式に公開されている通りだが、街が最も色めく土曜日の午後、渋谷パルコ9階の一室で密やかに執り行われている重大なことを目撃しているような気がしたので、受講者の親目線で少しずつ書き溜めておいた。
groovisionsの伊藤弘さん
春と秋、2度の講義を受講した。春の講義ではキャラクターを三体作るという課題が出た。初めての課題で何から手を付けていいかわからない。発表当日まで、シャワーを浴びながら、歩きながら、寝入る時など頭の中に課題が漂っているようだった。街で見かけるキャラクター達もいちいち気になった。三体の関係性、ルール、それぞれの個性を考え、授業が始まるぎりぎりまで粘り、生み出す苦しみを味わった。世の中のクリエイションへの敬意が深まっただろうし、クリエイター目線でものを見るということを体感した。
秋の講義では好きなものを束ねてZINEを作成する課題が出た。お手上げ状態だったので、まずは世の中のZINEを見に行くことにした。夫が学校と塾の合間を縫って渋谷のユトレヒトに連れて行ってくれたのだが、臨時休業。翌週、歯医者の後に駒沢大学駅の近くのMOUNT ZINEに滑り込んだ。忙しい中学生+共働きのため、時間との勝負である。各々気になるZINEを手に取ってパラパラと見て店を出た。日がとっぷり暮れた住宅街を歩きながら、いつもは「疲れた」くらいの感想しか言わない娘が、珍しく「結構おもしろかった」と言った。その後、今まで作ってきたものを集めて編集し、最終的には写真だけのZINEになっていた。課題の狙いと全然違うが、娘は写真が好きなのかもしれないという自覚を得たようだ。
DOMMUNE主宰の宇川直宏さん
渋谷パルコ9階のGAKUのお隣さんはDOMMUNEである。芸中で学び、19時も近くなってくるとドンドコ爆音が響いてくることもあり、個人的には愉快であった。宇川さんの講義では、なんとそのDOMMUNEに出演し、究極の独自性を持つ個人史を渋谷パルコから世界に向けて配信するという美しく面白い経験をした。宇川さんの講義を聴いたからこそ、中学生達は個性を全開にできたのだと思う。生徒たちのハイレベルな文化度、経験値に驚愕。親としては、どんな環境を提供してきたかがじわりと暴かれた会でもあり、身が縮みつつ大変参考になった。娘は生誕の頃から現在までの自分史を時系列でまとめたが、今の自分たる所以を認識する良き機会になったのではないだろうか。おもしろい人に出会うと、どうやったらこんな人に育つんだろうと思うことが多々ある。みんなの自分史が知りたい。
Chim↑Pom from Smappa!Group の卯城竜太さん
これまでの作品や他アーティストの作品を辿った。卯城さんの言葉によって難解なような現代アートをとても軽やかに感じたと思う。そして課題、「明日の昼の12時までに現代アート作品を作ってきてください」さらりと仰る。締め切りまで24時間もない。その日、家に帰って晩御飯をつまみながら、ゆるゆると製作がスタートした。娘は床に座り込んでペットボトルを紐で束ねはじめ、ぽつりぽつりとアイデアが浮かび、22時過ぎ、マンションの中庭で撮影までやり切った。Chim↑Pomの作品に影響を受けてか、初のパフォーマンスアート風である。私は照明がわりに電気スタンドを持ち、娘はペットボトルを背負い水鉄砲を持っている。近所の誰にも見られてないことを願う。持ち寄った生徒達の作品はそれぞれ気になるものばかりで、今思い返してももう一回並べて鑑賞したい。締め切りが近く、考えている時間があまりないということは、普段何を考えて生きているかが如実に表れるのだ。
記号論学者の石田英敬さん
石器からスマホの登場まで、人間は生まれながらにしてサイボーグであるという内容の講義から、課題はカズオ・イシグロの「クララとおひさま」を読んで印象にのこったイメージをデッサンすること。本を読み終わった時、娘は何の迷いもなくこの場面を描くと決めていた。私の想像と全然違う思いもよらない場面で、アンドロイドが出てこない風景画だった。全く同じ場面を描いていた生徒が一人いて、しかも構図や色使いも酷似していた。課題の主旨とは全然違うけれど、私はそのことが最も興味深かった。また別の場面を選んで同じような構図で描いていた生徒達も居た。何がそうさせるのだろうか。ところで、AIと人間の関係性については考えるべきテーマであり、タイムリーな内容だった。人間の存在意義、これからの仕事、AIに使われるか使うか、AIとともに生きていく未来。のちの渋谷慶一郎さんの講義の時にもアンドロイドに触れることになる。
独立研究者の森田真生さん
事前に著書が紹介されていたため、「数学する身体」と「アリになった数学者」を読んだ。私は娘が読んでない時間を見つけて講義までにそそくさと読むことになる。学校の朝の読書タイム用に持っていかれると、1日読めなくて悲惨である。講義は偶然にも私が通っていた中高の近くから配信、それだけで苦手な数学の話でも親近感が湧く。話は数学から展開していき、自分にとってまだ意味のないものをみつけて遊ぶという課題が出た。課題発表までの数週間、外を歩けば意味のないものを探した。めくれてるアスファルトを持ちあげたらアリが集っていたし、庭につくられるハチの巣は作っても作ってもヒト(夫)によって切り落とされていた。考え、疑い、遊び、普段とは違う思考で世の中に接することができた。
写真家の瀧本幹也さん
写真家になった経緯やこれまでの作品がどのように作られたかを解説してくださった。広告などで目にしたことのある作品ばかり、実は色々な仕掛けや工夫で撮影されていたことを知り、写真に対する興味が深まった。課題は、自分が考えるオリンピックの写真を撮ってくること。普段娘は偶然出会った対象物をスマホで撮っていたが、今回は探して考えて写真を撮るという新しい経験をした。コロナ禍の炎天下、夫と2人で国立競技場など都内を廻り、娘目線で切り取った「今」はなかなかシニカルで面白かった。今回は初めての写真課題、慣れているスマホ撮影でネタを探すことに重きを置いたが、その後の片山真理さんの時には全然違うアプローチでデジタル一眼に挑戦するなど、バラエティ豊かな講師の方々によって世界は広がっていくのである。