3. 「経管栄養」の決断を迫られた母 <父を看取れば>
脳幹梗塞は、脳幹部の血管が詰まることにより、周辺部の脳細胞が壊死して症状がでる病気だ。この診断を受けた父には、すぐに色々な障害が出てきた。手足(特に右側)と顔が麻痺する。ろれつが回らず、飲み込みができない(嚥下障害)等...。
入院の準備をバタバタとし睡眠もあまり取れなかった母は、すぐに難しい決断を迫られた。
「栄養補給について」だ。「飲み込む力がないので、体にチューブを入れて直接栄養を入れるしかありません。胃ろうか、鼻から管を入れて胃に栄養を送る方法がありますが....」
常日頃から、「胃ろうは避けたほうがいい。無理な延命治療も」という筆者の持論に同意していた母は、「胃ろうはしません」と答えた。「じゃぁ経鼻経管栄養ですね」と医師は当然のように言い、看護師に指示を出した。
間もなくして、挿管のために現れた看護師に母はきいた。「どうしても...、それをしなくてはいけませんか?」実は母は、筆者が昔入院した時に「経鼻経管」でどれだけ苦しんだかを知っていたのだ。すると、気色ばんだ看護師が言い放った。「それもしたくないっていうことですか?あなた、旦那さんを餓死させるつもりですかっ?」母は言葉に詰まり、同意するしかなかったという。「あの言葉は本当に冷たく響いて、辛かった」と、後に母は語った。
今でも、この時の決定のことを考えてしまう。父の意向は全く問わずに「経鼻経管栄養」が決められたことは、良かったのかどうかと。
脳幹梗塞で生き残り、かつ意識がはっきりしていた父のことを「奇跡的だ」と、 どの病院でも医師が口を揃えて言った。前途が絶望的でも、意識が鮮明な患者を目の前にして、「はい、チューブでの栄養補給はせずに、すぐ看取りに入りましょう」と言える医療者は少ないだろう。
しかし、結果的に父はその後四ヶ月余り、看取り段階で「抜管」する時まで、このチューブに苦しみ続けた。医師や看護師は「一度入れたら最後、おいそれと抜くことは誰にもできない」とは、一言も言わなかったのだ。
自ら管を二度も引き抜いたために、ミトンで拘束された哀れな父を見て、母と私は「お願いですから管を抜いてください」と複数の病院で訴え続けた。その度に「そんなことをしたら殺人罪になってしまいます。できませんよ」と軽く断られ続けたのだ。
この時ほど、「リビング・ウィル(終末医療の 事前指示書)」の重要性を痛感したことはなかった。ちなみに筆者の場合なら、リビング・ウィルに「回復の見込みがない場合は、経管栄養はしません」と明記しているので、すぐ「看取り」に入れるだろう。(経鼻経管の経験者として個人的に、人生の末期にこの”拷問”を数ヶ月受ける気持ちは全くない!)
もちろん、父には「リビング・ウィル」はなかった。両親の世代特有の考え方なのかもしれないが「終活なんて不吉なことは口に出すのも嫌」だったのであろう。
また、80代の初期まで健康だった父は、「自分だけは、ピンピンコロリで逝ける」という自分本位な希望的観測を持っていたようだ。91才で亡くなった祖父(父の父)について「何の準備もしないで死んでしまい、大変だった!」とブーブー言っていたにも関わらず、本人は「もしもの時にどうするか」ということを全く準備しておらず、自分の意向を伝えてもいなかった。母も父の機嫌を損ねないよう、そのような「不吉な話」はして来なかった。
そのツケが一気にやってきて、無力な父と老いた母(当時80才)に突きつけられ、ほぼ病院側の方針に従う形で初期の看護方針が決められたのであった。
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