エミー・K

SFベイエリアに永住の兼業主婦(IT畑)です。シリコンバレー事情(企業文化や人々)や、日本の老親との関わり、保護犬について等、日々思うことを書いてみたいと思います。どうぞ宜しくお願いします。

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最近の記事

確執のある親との別れ 毒親に手紙を書こう(2)

      下記は私が父が脳梗塞で倒れる一年前に送ったものだ。何か妙な予感がして「今書かないともう(父の頭がはっきりしているうちに読んでもらう)機会はない」と感じたのだ。母は「こんなもの送ったら、お父さんが怒り狂っちゃう。お互い傷つくだけだから、やめなさい」と言ったが、私は断行した(何度も推敲してソフトにはしたが)。 ーーーーーー お父さんへ: これは私からお父さんへ書く最初で最後の手紙になるかもしれません。 これを書くまでは、いろいろな気持ちの逡巡、葛藤がありました。耳

    • 確執のある親との別れ 毒親に手紙を書こう(1)

      心の中で「ケリをつける」ことは重要ー自分の精神のために 2018年の初旬に私の父は亡くなった。8月に脳梗塞で倒れてから半年間にわたる寝たきり生活を経てのことだ。 父はいわゆる「毒親」だった。伝統的な一部上場企業で、夜間大学出身の父はストレスを募らせ、家族をその吐口にしていた。 「お前らがいなければ俺は...」、「(母に対し)お前がバカだから。お前の家族もどうしようもないな」「誰のおかげで生活できると思ってるのか」「ぶちのめしてやる」そんなことをよく言っていた。頭は悪くな

      • 日米「会議 」談義 〜無駄な会議のある日本、(ほぼ)ないシリコンバレー〜

        日本の大手IT企業に勤める、エンジニアの友人Kと「会議」について話に花が咲いた。以下はそのやりとりだ。 筆者(以下”筆”)「ZOOM会議でもいつもカメラクオフ&消音にしてる人いるけど、大人数の時以外はやばいかも…」 K「やばい?」 筆「ここでは、自分が一言も発しないような会議に出てる奴は「なんでここにいるの?」的な扱いになる可能性が…」 K「ぶっちゃけ、どうでもいいことを喋り続けてMTGを無駄に長くする人達に対して、内心激おこぷんぷん丸の私がいるときがたまにある。一言も発し

        • ウクライナにいる同僚達のこと

          私の働いている会社では、海外で働くチームがいくつかある。ウクライナもその一つだ。16人のエンジニアが社内ツールの開発とQAに従事している。私も日常的に何人かの同僚と連絡し合っている。 そのためロシアのウクライナ侵攻からここ1ヶ月、心のざわつきが止まらない。それは社の幹部や同僚も同じことだ。 初期の頃は、ウクライナの同僚達も「なるようにしかならない」という感じで落ち着いていた。”兄弟国”のようなウクライナの人々を傷つけることはない、国内を荒廃させてもロシアには何の得にもなら

        マガジン

        • シリコンバレーは今日も晴れ
          9本
        • 父を看取れば
          11本

        記事

          シリコンバレーで働くのに必要な英語力(2)在住日本人の英語力-4タイプ

          シリコンバレーで20年以上働いて、色々な日本出身者と会う機会があった。彼らの英語について、自分の体験をもとに(独断と偏見で)タイプ分けをしてみたい。 1.真のバイリンガル --- 日英両語の読み書きが完璧な人々。ただできる、というのではなく「知的労働者」としての用に足るという意味だ。極々少数だが、日英両方でメール、プレゼン、会議進行とQ&A、立食パーティー、どの場面でも適切な語彙を使い、アクセントなく話す。一人思い出すのは、高校生まで日本のインターナショナルスクールに通った

          シリコンバレーで働くのに必要な英語力(2)在住日本人の英語力-4タイプ

          シリコンバレーの企業で働くのに必要な英語力(1)

          留学時代と合わせると25年間、米国のカリフォルニア州に住んでいる。シリコンバレーの企業で働き出してから、かれこれ20年以上になる(年がバレますが)。 英語に関しては、やっとここ数年で「楽」になった気がする。「楽になった」という意味は、メールやチャット、会議での発言を苦労してひねり出さなくても、自然に出るようになったということだ。(それでもプレゼン前はリハーサルが必須だし、重要な文書等は夫にチェックしてもらっている。) 「小さい頃に米国に来たんでしょう?」と言われることもあ

          シリコンバレーの企業で働くのに必要な英語力(1)

          仰天!アメリカの介護事情(3)

          介護において一番「苦しい」のは中流の下の層であろう、ということを前回書いた。日本でも同じなのかもしれないが、ここアメリカでは、一つ大きく異なる点がある。 「個の文化」が確立し、尊重されている点だ。これは、まず「親世帯と子供世帯は別個のもので、介護も別個」という意識が強い。この点が、「親の介護は子供がすべき」という言わずもがなの慣習が当たり前の日本とは違う。例えば私の周りでは、「老親の”支援”はするが、下の世話などはやらない」という態度の人々が多数いる。米国の小中学校の掃除と

          仰天!アメリカの介護事情(3)

          仰天!アメリカの介護事情(2)

          米国で20年程暮らしているが、日本より「介護の苦労話」を見聞きすることが少ない気がする。米国社会の高齢化* は着実に進んでいるし、日本のような”皆”介護保険がある訳ではない。貯蓄額も日本より遥かに低いこの国で、介護が必要になった高齢者(特に中・低所得者)は、一体どうしているのだろう。今回はこの点について考えてみた。 まず日本と違う点は、自宅介護の割合が9割* という高率である点だ(日本では施設での介護が8割* )。それも、家族による介護を受けている人々が7割であり、プロのヘ

          仰天!アメリカの介護事情(2)

          仰天!アメリカの介護事情 (1)

          日本で父が亡くなったことを通し、自分自身の介護への関心が高くなった。それは今年一層強まった。近隣の市に住む義両親が「要介護」になったからだ。 齢100歳の義父と93歳の義母が、これまで子供達や他者のヘルプなしに、自宅で暮らして来れたのは奇跡的なことだ(義母に至っては、昨年まで自動車の運転もしていた!)。義父は、70代で心臓の手術を受けたこと、耳が遠いこと以外は至極健康で、認知症はない。義母も70歳まで会社で仕事をしていた人で、今でこそ理解力の衰えは見えるものの、かなりしっか

          仰天!アメリカの介護事情 (1)

          顔出しする?オンライン会議での葛藤

          オンラインミーティングで自分の顔を出すか出さないかは、アメリカでも微妙な問題だ。 私の勤めているスタートアップ企業でも、COVIDの初期の頃は、全てのミーティングで皆基本は「顔出し」をしていた。しかし、次第にそれに不満を漏らす人々が出てきた。曰く、「疲れる」、「鬱陶しい」、「どこを見ていたらいいか分からない」等。すると、ある日CEOが「全体ミーティングでのビデオオン(顔出し出席)は強制しない」と通達を出した。 これにYippee!(やったー!)と心の中で叫んだのは、多くの

          顔出しする?オンライン会議での葛藤

          米国流 "肩たたき"<シリコンバレーは今日も晴れ>

          日本のような「追い出し部屋」こそなかれ、アメリカにも「肩たたき」はある。それはレイオフなどの「カット&ドライ」な方法ではなく、もっとソフトな、ある意味、”真綿で首をしめるような”追い出し方だ。 例えばこんなシチュエーションを想像してほしい。貴方はシリコンバレーの新興企業(社員100人〜200人ほど)のビジネス部門で勤務している。直属の上司との相性もよく、仕事は順調。上司は非常に優秀で、急速に社内の「出世階段を」駆け上がり、数年でシニアVP(上級部長)となった。それに伴い、貴

          米国流 "肩たたき"<シリコンバレーは今日も晴れ>

          8. 帰国後の見舞い& 医師家系の看取り <父を看取れば>

          10時間余の空の旅の後、日本の実家にたどり着いた。体は疲れているものの、なかなか寝付けなかった。次の日の見舞いのことを考えてしまったからだ。 私が恐れていたことは、「父の手が握れるだろうか」ということだった。小さい頃からモラハラ気味の父を恐れ、極力避けてきたので、小学校を卒業する頃から父との接触(肩や手に触れることさえ)は一切なかった。高校生の頃、母方の祖父の葬儀の帰りに電車で隣に座ってしまい、腕が触れ合って”ゾッ”としたことを思い出した。大人になってからは挨拶程度はしてい

          8. 帰国後の見舞い& 医師家系の看取り <父を看取れば>

          7. 帰国して見舞う前の準備 <父を看取れば>

          私の居住国では、11月の後半に4連休となる祝日がある。仕事は忙しかったが、3泊4日の旅程で帰国して、父を見舞うことにした。 一番の課題は、担当医師に「経鼻胃管」の抜管を頼み込むことだった。父は意思疎通はできていて、経鼻のチューブを死ぬ程(?)嫌がっていた。10月に誤嚥肺炎を起こして緊急処置を受けたのだが、その時(治療のために)一時的に抜かれた管は、肺炎の回復とともにまた挿れられてしまった。 勿論母は、その時この医師の方針 ーこのまま経鼻を継続、肺炎になれば積極治療をするー

          7. 帰国して見舞う前の準備 <父を看取れば>

          6. 悪化する状態と父の変化 <父を看取れば>

          N病院に転院して一ヶ月ほどした10月初旬。母から次のようなメールが届いた。「パパは高次機能障害で運動などは思う様に出来ません。 初めの頃に比べれば両手が少し動くし、足は左右動かせますが立って歩く事は不可能です。私やRちゃん(姉)が行くとにっこり笑って嬉しそうです。一応喋れますが、かなり聞きづらい。運動機能はこれ以上に成る事はない。 嚥下(障害)や麻痺・・・この状態が生きている限り続くと思うと辛いです。 少しづつ弱っています。何時まで生きるか分からないけど、お見舞に行って手を握

          6. 悪化する状態と父の変化 <父を看取れば>

          5. 二番目の病院(希望と絶望の間) <父を看取れば>

          N病院への転院は、まだ残暑の厳しい8月の末だった。病院へは無料のシャトルバスがあり、毎日見舞いに通っていた母は「だいぶ楽になった」とホッとした。 倒れてから一ヶ月、父はリハビリを続けてはいたが、その内容はどんど先細りしていた。風船の受け渡しのような簡単なリハビリでも、すぐ疲れてへたり込んでしまう。日中もウトウトとしていることが多くなった。 海外で生活(そして勤務)している私は、すぐ父の見舞いに行くことはできなかった。毎日のようにメールのやりとりしていた母も、「今はまだなん

          5. 二番目の病院(希望と絶望の間) <父を看取れば>

          4. 家に帰りたい!父のリハビリ <父を看取れば>

          最期の時を迎えるまでに父は、3つの病院で時を過ごした。 急性期に1ヶ月居たS病院。その次の3ヶ月を過ごしたN病院。そして看取り介護(1ヶ月)を受けたB病院である。 S病院では、危機を脱した翌日からリハビリが始まった。回復の見込みがないことは、ほぼ明らかだったのだが、多分それが脳梗塞患者への”通常のプロトコル”なのであろう。 療法士はとても親切な男性で、毎日1時間、父を支え励ましながら歩行訓練をしてくれた。毎日病院に通った母もリハビリに立会い、よろける父を助けた。父は持ち前

          4. 家に帰りたい!父のリハビリ <父を看取れば>