仰天!アメリカの介護事情 (1)
日本で父が亡くなったことを通し、自分自身の介護への関心が高くなった。それは今年一層強まった。近隣の市に住む義両親が「要介護」になったからだ。
齢100歳の義父と93歳の義母が、これまで子供達や他者のヘルプなしに、自宅で暮らして来れたのは奇跡的なことだ(義母に至っては、昨年まで自動車の運転もしていた!)。義父は、70代で心臓の手術を受けたこと、耳が遠いこと以外は至極健康で、認知症はない。義母も70歳まで会社で仕事をしていた人で、今でこそ理解力の衰えは見えるものの、かなりしっかりしている。
私の夫は長らく、二人の様子にすっかり楽観していて「このまま最後まで元気でコロリと逝くんじゃないの」などと言っていた。(私はこれまでの経験から「殆どの人は、最後の3ヶ月から6ヶ月は介護が必要な状態になる」と密かに思っていたが‥。)
転機は、義父が家で転倒して入院した時に訪れた。腰の骨を折った義父は、手術を受け入院。続いてリハビリ施設に20日間滞在した(米国の保険では、リハビリが20日間越えると1日4万円もの費用がかかってくる)。その後義父は、義姉が選んだ比較的高級な介護施設に入所した。その施設では、1. 全面的な介護、2. 補足的な介護と見守り、3. 自立 の3種類のサービスを提供しており、義父は2の棟に入った。高齢で非力な義母は、自宅で義父の介護をできないということも、この入所理由の一つだ。
その部屋は、明るく綺麗な1LDKで、低層住宅の1階であったため、専用の庭もついていた。食事は素敵なカフェテリアで、シェフの作るメニューから選べる。集会室や図書室も洒落ており、施設内でのイベントも豊富だ。気になる料金は安くない。ハウスキーピングや、見守り、簡単な日常介助も含め、月々約90万円かかる。(また、日本と違い家具付きではなく、冷蔵庫やキチネット以外の家具は自分たちで用意しなくてはいけない。)
結果から言えば、義父はこの施設が気に入らず4か月ほどで自宅に戻って来てしまった。非常にゆっくりではあるが義父は歩いたり、着替えたりできるのだが、仕事が忙しいへルパーさんが手伝おうとするのが嫌だったようだ。(日本の実父もそうだったが、高齢者にとっては結局「自宅が一番」らしい。)
色々な面でサポートが必要な義父が家に戻ってきたことで、義母は徐々に疲弊していった。些細なことで義父と言い争う姿も見られるようになった。
ある夕方、義姉から「お母さんが倒れて意識不明になった。救急車を今呼んだ所」という慌てた電話がかかってきた。義父ではなく、なぜ義姉(同居ではない)が救急車を呼んだのかなと不思議に思ったのだが、その理由はすぐ判った。体が不自由な義父は、義母を助け起こすこともできず、また耳が遠いため、救急センターと話ができなかったのである。
この出来事をきっかけに、「他人が家に入ること」」を頑なに拒否してきた義両親は、子供達が勧めていた「通いの介助の人々」をついに受け入れることに承諾した。
24時間体制の介助が必要ということで、3交代、8時間シフトのヘルパーさんを紹介所を通じて雇うことになった。政府主導の介護保険のないアメリカでは、ヘルパーさんを雇うことは非常に高くつく。
一人月額1万ドル(約110万円!)。4人(3人では休日を取れないので)で合計月額にして4万ドル(約440万円)がかかる(幸い、義両親はそれを賄うだけの資産がある)。まさに「介護の沙汰も金次第」だ。これだけの金額を払わなければいけないのは、アメリカでは基本的に介護は「自分たちの負担」でやる事だからだ。この事を見れば、日本は天国のようだ。
それにしても、資金的な余裕がないアメリカの高齢者は一体どうしているのだろう?次回は、この辺の事情を描いてみたいと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?