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1. その日は突然に(1) <父を看取れば>

それは2018年8月2日(日本時間)のことだった。母からのメールで、父が緊急入院したことを知った。その日の東京は猛暑で、「足がなんだかフラつくんだけど...」と父は母に異常を訴えたという。「救急車なんて大げさだよ」と渋る父に構わず、母はすぐさま救急車を呼んだ。この判断が父の命を救った(母はこういう時に非常に勘がいい。)

県境の救急病院に搬送された父は、そこで緊急手術を受けた。執刀した脳外科医に「今夜が山」と言われ、母は”万が一”を覚悟したという。

私は海外で暮らしているので、身近で父の様子を見ていたわけでわない。しかし、よく考えると「予兆」のようなものを 母から伝え聞いていた。2015年頃から父は、明らかに衰えが目立ってきた。外貌もそうだが、身体能力もかなり落ちていた。歩いていて何度か転倒し、そのうち一度は顔面を打って歯を折ってしまった。倒れる数ヶ月前は、失禁することも何回かあった(隠そうと自分で洗濯をして、収拾がつかなくなり結局母が後始末をしたという)。認知症のような症状はなかったが、繰り返しや物忘れが増え、疲れやすくなっており、入院直数日前には「あれ、俺朝ご飯食べたっけ?」と見当識の低下が見られたという。

8月4日、母は姉、義兄と共に父を見舞った。入院当日より落ち着いた様子だったが言語障害があり、ミトンをはめられていた(点滴の針を引き抜いたらしい)。3人を見てとても家に帰りたそうにしていたという。

電話した私に母は「脳幹がやられちゃったって。お医者さんに”生きているのが奇跡”って言われた...」と心細そうに言った。「脳幹がやられたって、どういうこと?自分で呼吸はしているの?」「うん、呼吸器は今はつけてない」。「脳出血だったの?それとも脳梗塞?どんな緊急手術をしたの?麻痺は起こっているの?」と矢継ぎ早に質問する私に対し、母の答えはどこか要領が得ない。「右半身は麻痺してて、言葉もうまく話せない。とにかく脳幹がやられたの」を繰り返すばかりだった。 (次回に続く)


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