マガジンのカバー画像

父を看取れば

11
2018年の夏に日本にいる父が脳梗塞で倒れました。そこから約半年の家族のドタバタを通して、日本の「看取りと介護」について考えてみました。
運営しているクリエイター

2021年3月の記事一覧

8. 帰国後の見舞い& 医師家系の看取り <父を看取れば>

10時間余の空の旅の後、日本の実家にたどり着いた。体は疲れているものの、なかなか寝付けなかった。次の日の見舞いのことを考えてしまったからだ。 私が恐れていたことは、「父の手が握れるだろうか」ということだった。小さい頃からモラハラ気味の父を恐れ、極力避けてきたので、小学校を卒業する頃から父との接触(肩や手に触れることさえ)は一切なかった。高校生の頃、母方の祖父の葬儀の帰りに電車で隣に座ってしまい、腕が触れ合って”ゾッ”としたことを思い出した。大人になってからは挨拶程度はしてい

7. 帰国して見舞う前の準備 <父を看取れば>

私の居住国では、11月の後半に4連休となる祝日がある。仕事は忙しかったが、3泊4日の旅程で帰国して、父を見舞うことにした。 一番の課題は、担当医師に「経鼻胃管」の抜管を頼み込むことだった。父は意思疎通はできていて、経鼻のチューブを死ぬ程(?)嫌がっていた。10月に誤嚥肺炎を起こして緊急処置を受けたのだが、その時(治療のために)一時的に抜かれた管は、肺炎の回復とともにまた挿れられてしまった。 勿論母は、その時この医師の方針 ーこのまま経鼻を継続、肺炎になれば積極治療をするー

6. 悪化する状態と父の変化 <父を看取れば>

N病院に転院して一ヶ月ほどした10月初旬。母から次のようなメールが届いた。「パパは高次機能障害で運動などは思う様に出来ません。 初めの頃に比べれば両手が少し動くし、足は左右動かせますが立って歩く事は不可能です。私やRちゃん(姉)が行くとにっこり笑って嬉しそうです。一応喋れますが、かなり聞きづらい。運動機能はこれ以上に成る事はない。 嚥下(障害)や麻痺・・・この状態が生きている限り続くと思うと辛いです。 少しづつ弱っています。何時まで生きるか分からないけど、お見舞に行って手を握

5. 二番目の病院(希望と絶望の間) <父を看取れば>

N病院への転院は、まだ残暑の厳しい8月の末だった。病院へは無料のシャトルバスがあり、毎日見舞いに通っていた母は「だいぶ楽になった」とホッとした。 倒れてから一ヶ月、父はリハビリを続けてはいたが、その内容はどんど先細りしていた。風船の受け渡しのような簡単なリハビリでも、すぐ疲れてへたり込んでしまう。日中もウトウトとしていることが多くなった。 海外で生活(そして勤務)している私は、すぐ父の見舞いに行くことはできなかった。毎日のようにメールのやりとりしていた母も、「今はまだなん