触覚の事
手術の事、と、術後の事、を書こうと思い書斎の机に座っている。
あきらかに体調が悪いのか。何かがおかしい。身体がじっとり汗ばんでいる。エアコンの温度を確かめる。息をしてみる。深呼吸をしてみる。原稿用紙を一瞥する。
「血痕の事」
首筋の血管をのばしてみる。
「右側にできた右側の事」
左右にねじって振り返ってみる。
「尿道の事」
立ちあがって握り締めてみる。
「傷口とドレーンの事」
顎を引いて傷口ごと縮めてみる。
「刃の切っ先。NAKEDLUNCHに在る首筋の傷。耳の後ろで浅く切れあがっている刃の跡は、耳下腺と静脈をかすめる寸前で皮膚を切り裂いて、顎の真下でぐいっと曲がり、右の筋肉をまわりこみながら喉元の手前で深く切り込んで見えた」
一週間後の首筋の写真を撮ってみる。パソコンで拡大した傷口を観察する。皮膚がめくれて腫れている。傷の中央近くの少し離れたところにドレーンを抜いた穴の跡がある。傷は癒えぬがしっかり閉じているのを確かめた。メガネをかけ直しながら自覚した。
耳が痛いのだ。
慌ててメガネを外してまたかけ直した。一週間前の手術の後からずっと感覚がなかった右の耳に違和感がある。メガネの蔓が耳にひかかっている感覚が戻りはじめている。
昨晩までは痛さで堪えきれずに夜中に目を覚ましては痛み止めを飲んでいた。寝返りを打っても痛くない右の耳のせいで首筋が痛いとばかり思っていた。
半信半疑でメガネではなく耳たぶをつまんでみた。
痛い上に火照っている。
耳を引っ張り折り曲げた。今度は手術した傷口が痛い。触っていなくても痛いのは痛いのだ。じっとしていると、かつてない種類の痛さがこみあげてくる。
傷口がうずいている。
首筋の血管と神経をそっとなでてみようとした。
入院中はずっとテープを貼っていた傷口を見たのも直に触ったのも退院して自宅に戻ったつい先日だった。毎日が新しい出来事と新鮮な驚きに満ちているのはいいのだが、いつまで続くのかと考えると気が遠くなりそうになってメガネをかけ直した。
手術で切れた感覚が戻ってきたのだろうか。傷がくっつくほどますます痛くなるのかもしれないぞ。しばらくそっとしたまま寝てしまおうとして寝返りをうった。
痛い傷口が動いた。
首筋に痙攣が走り、耳が震えている。微細な神経が通いはじめている。戻りつつある耳の感触が、痛さとなって伝わってくる。傷口がくっつくというのは文字通りの意味だけではない。感覚や血流が戻ることでもあるのだとすれば、むしろいい兆候のはずだ。
傷口の細胞同士が会話している。シナプスが結合して触覚が蘇ってきた。
皮膚にシナプスがあるのかどうかしらないが、枕が耳に触れ、首筋に触れる触覚は、全身にひろがるまぎれもない五感のひとつなのだ。
微細で繊細に関連しあっている調和が壊れ、せめぎ合う拮抗が崩れた時、がんを患っていた。
根治して、書かねばならない。