加速と身体
AIによる電力の消費量が問題になっているが、対話型AIや言語モデルや画像生成の個人使用は、商用のチャットボットや産業用機器やデータサイエンス、ライフサイエンスや医療の分野にくらべれば、リソース的には少ないのはずだ。
そういえば、通院している病院の廊下にも、AI車椅子が誰かが来るのを待つようにたたずんでいた。案内の看板はあるのだが、廊下の途中で、どこかまごついたようにじっとしているのは、かなりかわいい姿なのだが、最寄り駅の構内まで患者を送迎しているのを見た時には、おまえすごいな、と思わず声をかけてしまった。AI車椅子ができたのは、すでに五類の「コロナ禍」の頃だった。
AIのように、俺は早くできていないのだ。という話はすでに書いた。
超過死亡やレプリコンワクチンが世間を騒がせているが、新しい薬剤や治療法の開発が加速度的に進んでいる。
新型インフルエンザ等対策政府行動計画が改定され、
世田谷区では公費助成で男性向けのHPVワクチン(4価)接種がはじまった。
今年のノーベル物理学賞と生理学・医学賞について書くまでもないが、
2008年のノーベル医学生理学賞は、リュック・モンタニエ(HIV)、フランソワーズ・バレシヌシ、ハラルド・ツア・ハウゼン(HPV)だった。
むろん研究はずっと前から行われていて、
薬剤をめぐる「相反」も、
国際的な治験も、
薬害訴訟も、
今にはじまったことではない。
『ブラック・ダラー』にも書いたが、野口英世の時代からワクチンや病原体をめぐる話は国際的なカネと政治の話でもあった。
何かがきっかけで、ある発見が、一大産業となった例は過去にいくつもあったが、その速度と規模が加速している。
原子力と医療をめぐる問題を想起した。
病気の診断にCTスキャンやPETを使うのは今でこそあたりまえだが、僕が大学生の頃には、CTの機械というのは、どこにでもあるようなものではなかった。
郷里の福島では、福島市にはPETがないのだが、
郡山ではサイクロトロンを使ったBNCT(ホウ素中性子捕捉療法)が再開された。
福島原発にほど近い南相馬市にはアルカリスの工場ができて、
宮城県では女川原発が稼働を再開した。
光免疫治療は咽頭がん以外にも拡大される見通しで、
岐阜県には大規模な陽子線がん治療施設である中部国際医療センターができた。
来年度予算に薬価改定と高額療養費制度見直しが盛り込まれている。
今年の出来事を振り返るようにして書き連ねながら思うのは、やはり加速度的なスピードである。
事は「治療」にとどまらず、予防医学はアンチエイジングとなり、テック企業はヘルスケアに莫大な投資をし、脳にチップを埋め込む未来はもうはじまっている、らしい。免疫治療が進化すれば、個体に合わせたオーダーメイドの薬が開発される日も近いのかもしれない。
これは、あなた専用の薬で、飲めば助かります、と言われたら、と考えてみる。
せめていろいろ説明を聞いて、己で判断したいところだが、そんな余地すらないかもしれぬ。
未来感とサイバー・パンク感はかなりあるのだが、冒頭に書いたように、AIみたいに早く読んだり書いたりするようにはできていない……と思いきや、スマホを使えばそうと気がつかずともAIを使っている時代に生きている。
標準治療の選択肢が増えれば、三ヶ月も入院する必要もなくなるのかもしれないが、あんな貴重な時間がそうそうないのも確かだ。
がんに治癒はあっても完治はない。死に至る病や象徴交換という記号を並べてみても、納得したからといって病が治るわけではない。 『文学と悪』や、『呪われた部分』と書いたところで回収され得ない。
病とは敗北である。
負けるのだ。
「俺が戻ってきた」と原稿用紙に書いたのは、敗血症で死にかけた後だった。
食って寝てクソもできなくなって輸血して治療を続けても、俺はまだこうして生きている。
どこまでいこうが、いかんともし難いこの、身体性だけが、ごろん、ところがっている。
新たな地平が見える。
ひろがっている。
刀の刃にあてた指先から流れる血をじっと眺めていたのは、がんを知った夜だった。
そして今、 年末年始だというのに入院しているあの人や、風邪の治療に追われているあの人のことを思っている。