久しぶりだな、メイト
久しぶりだな、メイト。なんだよ。このクソ暑いのにロックフェスでもパーティーでもなくてゴルフだと。おれも嫌いじゃないけど、一発いくか。そらあ引くか。がんにでもなったらそれこそ元も子もないからな。引くぐらいにしとけって。でもなんかと似てねえか。拳に刻んだスカルヘッドを震わせてトイレットペーパーをむしりとってたヘロ中にもならなかったおれと、メイト。三時間前からヒッチハイクしてたらカツアゲぐらったみたいな顔で干上がった血管が虫の息だ。どこからどう見ても、がん確定だな。べとつく再生パルプを糞みたいに盛り上げて、もう治療法の日程まで確定した自覚ぐらは持ってくれたまえ。防寒ペーパーでフュランケンシュタイン巻きになった革ジャン野郎にいつの時代のどこの話か訊くまでもなかった。誰が読むのか読まないのか見当つけといてダブルボギーぐらいじゃはなから論外だろ。用心はしても心配だけはするなよ。貧乏揺すりでテーブルに置いた缶コーヒーがカタカタ揺れる。オロナミンCの瓶がごとごと鳴る。メイト。缶コーヒーまでつかみ損ねたおれが請け負っといてやる。心配ならおまえの小説でもめくれって。
「バンコク、ゴア、テル・アビブ、パリ、ロンドン、プラハ、ベオグラード……最後に行ったのはベルリンだった。百二十五ページ」。
メイト。叫びたいなら大声で叫ぶしかないんだぜ。「ミッテ」と「ツォー駅」のほかに「ミュンヘン」が抜けてんな。がんのことならつべこべ言うぜ。もし仮にだ? 1年後のPETで生検くらったリンパ節が確定する可能性が五十パーセント。喉の奥までカメラ突っ込まれて生検したラズベリー型が確定しない確率が五十パーセント。みろよ。ぜんぜん賭けじゃねえ!
ところで今いくら残ってんだ? 大事なのはそっちだろ。
がんのおれに向かって。がんの相談どころかカネはまだしも散々愚痴ばっか漏らしといて、他人のがんの話ぐらいつまらないものはないですね、とか言いながら、頭蓋骨が割れる音がする。恐怖が前頭葉に忍び込む。おぼえてんだろ。
いつの時代のどこの話だ?
高速道路のサービスエリア。天ぷらうどんすすってるマルコビッチとベンチでアイスクリーム嘗めていきそうになってるケイト・モスみたいな女ライダー。間違いなくグルだ。そうに決まってる。じゃなきゃいちいち偽マルコビッチに偽ケイトが色目使うか? おれとメイトの貧乏揺すりで天国だからな。自分の足どころか活字につまずくってこともよくあるぐらいだ。デッドボール2じゃなくて、ステージ2の間違いだとしても野球で金属バッドは禁止だからな。無理もない話だけど、そしたらどうだ。うどんのどんぶりが割れて偽マルコビッチに似た偽給仕係が走ってくると札束革パン突っ込んでパルプ蹴散らし単車に飛び乗ろうとしたおれとメイトを呼ぶ声がする。
「五分遅刻だ」
そしてやっとふたりして皺だらけのえくぼを作ったスーツ姿の先生と会った。
「あんたらどうやら、おれの患者じゃねえな」
なめまわしてる目つきがびんびん来てる。
「ついてきな」
生け垣の奥のジャンクヤードはどう見ても病院じゃねえ。さらに歩いて雑木林を抜けると行き止まりの金網に鍵がぶっ壊れた抜け道の扉があってどこかへ飛び出した。
メイトが喘ぎながらへたり込む。がんになる前から食事と運動が大事だってあれほど愚痴ってたけど、見ろよ。梅の香が、はいつの季語だ。咲き乱れる田舎道を釣り竿を肩に抱えた先生の後ろ姿を追いかける。砂利道が突きあたったT字路はおれたちいつも苦手な局面だ。ふと見れば、せせらぎが流れる土手に腰掛けた先生は、肩に抱えていた釣り竿を、ひょい、と放り込んだ。先生どころかメイトの親父並みに慣れた手つきにふたりして関心してる場合じゃない。草むらに並んで腰かけてみた。暖かい昼下がり。梅の香の、だから夏じゃないはずだが、干上がった血管がまどろみはじめる。
メイト。待て。ちょっと待て。
いい加減おれたち、だいぶ前からちょっと違うモードにはまってねえか? あたりを見まわしながら肩をすくめる。自転車に乗った制服姿の駐在さんが砂利道でハンドル取られながら突っ込んでくる。がんの首筋からぶち壊れた前頭葉が溢れだす一歩手前で踏みとどまった。先生の耳元で頭蓋骨が割れる音がする。骨壺に詰まった骨を潰す時の音。苦手なんだよ。抜歯も終えた奥歯で銀紙も噛めないでいると、おもむろに振り向いた先生に駐在さんが頭をさげた。
「いやいやいやこりゃどうも、先生。患者さんと釣りですか?」
偽駐在さんの腰には警棒もチャカもねえ。先生のくせに針もケロイドもねえ。ふたりして前頭葉からがんの首筋に汗が滴る。こいつらも間違いなくあいつらのグルだ。泡くって革ジャンに噛みついてるメイトの前で、先生の釣り竿がびくんと引いた。まるくたわんだ竿の先から伸びたテグスの糸が淀みに飲まれてのたうちまわる。
「いやいやいやこりゃ大物ですな」
自転車から降りた偽駐さんと一緒になって竿を引き寄せると、黒々したナマズが浅瀬の小石を引きずりながら迫りあがってきた。
「こらまた地震でも来ちゃたいへんだな。あんたら信達に行けなかったあいつらか」
偽駐在さんが「行ってよし」と呪文を唱えながら自転車を漕いで走り去ると、先生はいい加減釣りなんかしてる振りにも飽きて、キレた。釣り竿をぐいっと引いてせせらぎから飛び出てきたナマズを近くの岩に叩きつけた。慣れてんな。潰れたナマズの内蔵が岩にこびりついてべろっと剥がれた残りカスがせせらぎに落ちる。さすが先生だけのことはある。間違いなくおれたちよりがんには詳しいはずだ。先生はがたがた震える爪の先でちっこい瓶を開けて「救心」の粒を口に放り込んだ。
「早く次行くぞ」
メイト。おまえ「先行くぞ」って書いてあった置き手紙どうしたかおぼえてんだったら救心の粒ぐらい。悪くねえぜ。でもクソ苦くねえか? 干上がったメイトの血管に心臓ポンプが圧をかけるのは、まだだいぶ先の話だから先走るなよ。先生のほうはとたんに若返った顔つきで釣り竿を抱え直した。
「書いたおぼえがあるのは『裸のランチ』じゃなくて編集者に借りっぱなしで宅急便で返却するのに梱包済みの『爆発する切符』だ」
先生が続ける。
「しかしだね。アポというのは根本的な解決法だとは言い難いのだよ。しょせんはまがいもんだ。どうせ三人ともますます欲しくなるのは決まってるし、現状から言えばがん患者が二人増えて地震ナマズがくたばっただけだ」
でも次たって先があんのか。メイト。そろそろぎりぎり。
「あっちだ」
釣り竿で差された砂利道の先に古びた病院のような建物があった。なんだやっぱり先生かと思う間に急ぎ足で病院の中へ駆け込んだ。荒れ放題の病院のガラス窓を釣り竿の柄で叩き割ると薬棚に並んだ試験管とビーカーが音をたてて揺れる。メイト。悪くねえ病院だ。少しはわかりやすい方向に近づいてるかもな。すると先生。瓶に入った試薬にひとつずつ指を突っ込んでは口に運びはじめた。重曹、ヨード、マグネシウム、カリウム、硫黄……でもこんなゴミばっかじゃ確定のしようもないだろ? メイト。ヨウ素反応でマヒした舌が紫に染まる。『ブラック・ダラー』は今時大がかりな組織犯罪だ。関わったらアウトだからな。先生のほうはおかまいないなしにどす黒い痰を吐き出した。メイト。思い出した。おまえが血痰を吐いたのはコンビニで冷やし中華なんか買ったからだ。親父と最後にドライブした6月4日。ほんとは親父が好きだったにぎり寿司ぐらい買って帰ろうと思ってたのはわかるけど、それなら誤嚥も肺がんもなかったかもな。後悔先に立たずって言うんだよ。メイト。同じ日にコンビニに入ってみたら冷やし中華を見たからってだぜ。どうしても食べてみたら見事に誤嚥しても後の祭りだ。がんになってがんにはまってるのががんだとすると、この先おれたちがんのままかよ。先生!
「アルカリはアルカリで反論の余地のない結果だとは思わんかね?」
ふたりして頷いた。
「約束するなら確定してやる」
おれと相棒は目を合わせて頷いた。
「来たまえ」
病院の廊下を歩きながら今でも思い出すガキの頃の話はもう書いたよな。メイト。飛ばすたっていいとこそのへんに転がってるそば屋の出前用の原チャリぐらいだったらまだ見っけもんだぜ。渋谷でパチったエルミネータなんかハナから期待してねえよ。それともアレか。アルカリ漬けのメイト。明日おまえ診察じゃねえの。その前にどこまで書いたかぐらいは読み返しとけよ。
ジャンクヤードに引き返すと、錆びたクズ鉄の塊が転がっていた。ひび割れた真空管やらタイプライターのキーやらぶっ壊れたオシロスコープのメーターがごちゃごちゃくっついた書籍の山からうっすらと青く焼けたクロームメッキのスーパートラップが突き出している。マフラーにはカネをかけるもんだけど。メイト。なんだよこりゃ。おまえのがんのこと訊く前に、クランクケースを這いまわってたオイルが漏れてんじゃねえか。四発仕様のキャブか。今時百万はくだらねえけど、メイト。
先生のほうは、その複雑怪奇な機械などそっちのけでタイプライターを叩きまくっている。慣れた手つきで今からバッテリーをつなごうってところだ。準備が整うとヘルメットが足りないとぶつくさ言いながらジャンクヤードから病院へ引き返して行った。メイト!
どう思うかとかいちいち口にすんなよ。おれもさっきからずっと考えてたとこだ。偽モスと偽マルコビッチに追われて先生と会ったあたりから核心に迫りすぎだろ。そもそおまえが革ジャンの下にトイレットペーパーぐるぐる巻きにしてトイレから出て来たりしたからだよ。それともあれか? メイトの缶コーヒーとオロナミンCを糞パルプの上に落っことした時か。どっちにしても、二十年以上はたつのに、がんになってもまだくたばってない時点でなによりだな。良かったじゃねえか。せいぜいがんばりな。
ところで、メイト、おれのがんはどこまで進んでんだよ。先生は確かバロウズの本の話かなんかしてたよな。言表と言表行為の主体だとかつべこべ言うんじゃない。大事なのは「腑に落ちる」って話、受け売りでかましてたよな。先生が本に埋もれたタイプライターにつないだバッテリーから火花が散る。真空管と本の塊が唸りをあげそうになって、メイト! と叫ぶ声で瓦解しかかった。
「これだけは言っといてやる。がんになったからってがんに騙されんなよ」
じゃあな。なんだよ。今さらちょっと待ってくれだと。相変わらず、ぐらついてんな。そんなんでこの先いろいろ検査とか治療とか転院とかもしかしたら手術とかやっていけんのか。やってかないって手もあるにはあるけど。虫の心臓で救心のおれに構うなよ。行くならとことん行ってみろって。ただし、これだけは請け負ってやる。胃のラズベリー型はたいがい「シロ」だ。その前にPETの結果だったよな。だから、言ってんだろ。
「がんになったからってがんに騙されんなよ」
メイト、わかってんだろうな。まだまだ序の口だ。なにしろおれのがんは偽物だ。生検の結果によると。1年後のリンパ節はシロでもクロでもないグレーってこともあるる。心配山積みだな。メイト。おれたちの今後の計画ぐらい見当つけといてくれよな。いったいいつまでこんなこと。メイト。ここまで来たら正直になってみるもんだぜ。 生きてるうちは派手に行くぞ。