わたしの物語④〜向き合ってきたこと〜
数秘の考え方を知り、『自分』という存在の輪郭がわかってきたわたし。
何が好きで、何が苦手か。
何が得意なのか。
より明確になったことで、自分のことを褒めることが苦手だったわたしが、
「よく頑張ってるねぇ☺️」
と自分に声をかけることもできるようになってきました。
だけどやっぱり、何か挑戦しようとするとき、
一歩踏み出そうとするとき、
『自己否定する自分』
が足を引っ張ります。
このもやもや、なんとかしたい!
何度も向き合いたくない!そう思って、がっつり自分と向き合うことに決めました。
自己否定はどこからくるの?
新しいことに挑戦するとき。
ドキドキしたり、不安になったりしますよね?
当時のわたしは、そのドキドキに加えて、
「わたしなんかができるはずない」
「失敗するに違いない」
そんな暗示を自分にかけてしまっていました。
(例えば、学年集会で話す時とか。笑
よく教員やってたね。と今では思うけど。)
でも、一度立ち止まって自分の思考を考えてみると、
それって本当にそうなの?
(そもそもまだやってないのに、失敗するってわからなくない?
できるはずない?いやいや、今までも何度もやってきてるよ!できるよー!と、今は声を大にして言いたい!)
そうなんです。
過去に失敗したこと、傷ついたこと
と、
自分が今感じている不安
を勝手に結びつけて、「できるはずない」と思い込んでるだけ!
自分で自分のことを「できない」って思い込ませてるだけ!
だったんです。
例えば、小学生のとき。
突然友だちに無視されて、悲しくて泣いて帰ったこと。
当時は、親を悲しませたくなくて、他の友達にも、自分が無視されたってこと言いたくなくて、
1人で我慢していました。泣き顔も見せたくなかった。
そのときの経験を思い出すと、小学生のわたしなりに、生き抜く術を考えていて、
「目立ったらだめ。」
「自分を表現したら(周りとちがうことをしたら)みんなに嫌われる。」
と、自分に言い聞かせ、
その傷が癒やされる前に、その傷をなかったことにして過ごしていました。
残ったのは、
自分を表現するのは危険なこと
=これをやったら自分がまた傷つくぞ🥲
という思い込み。
また、「親に認められたい!」という一心から、
頑張らないと認められない
=頑張らないわたしには価値がない。
こんな思い込みにつながっていました。
大人になっていく過程で、
いろんな経験と小さな思い込みをを結びつけていった結果。
はじめは小さな思い込みだったのが、
まるで雪だるまみたいに、思い込みがどんどん大きくなっていきました。
自己表現するのがこわかったし、失敗して目立つのは嫌われることだと思ってた。
なにより、そのままの自分には価値がないって思ってたんです。
傷ついた自分を癒すこと
思考の癖の根っこの出来事と、ひとつひとつ向き合っていくこと。
それは、自分を守るために、あえて見て見ぬふりをしてきたことに向き合うことでした。
はじめは向き合うのが怖かったし、もう一度傷つくのが嫌でしょうがなかったけど、
今のわたしが、過去のわたしに寄り添うことは、想像以上に「癒し」でした。
小学生の頃、1人泣きながら帰る当時のわたし。
「悲しいこと1人で我慢させてごめんね。」
「大人になったわたしは自分を表現しても大丈夫って思ってるよ!」
「悲しかったね。」
そのときの悲しかった自分の気持ちに寄り添ってあげること。
また、頑張ってもなかなか結果が出せなかった過去の自分に
「悔しかったよね。でもよくがんばったよ!」
「頑張りは伝わってるよ!頑張ったことは無駄じゃないよ!」
って頑張りを認める声をかけてあげること。
傷ついた当時の自分に寄り添って、認めてあげることが、自己否定の思考癖を矯正していく、大きな一歩だったように感じます。
当時のことを思い出すのは一見、辛いことに思うかもしれないけど、
悲しかったことにちゃんと浸って(漏れなく号泣して😭)
向き合ったあとは、自然と気持ちも軽くなっていました。
ここで学んだことは、
自己否定を手放すためには、思考癖の根っこの出来事と向き合い、そのときの気持ちを浄化すること。
(自分がこれ以上傷つきたくないがために、自分を守るために、
見て見ぬふりしてきたことと向き合い、その思い込みは違うよー!って矯正してあげる☺️)
そして、傷ついた自分に気づいたのなら、ちゃんと寄り添ってあげること。
それはもう手放すことにつながっていること。
思い込みをひとつひとつ手放していったら、途端に現実化のスピードも速くなっていきました。
自分のこれからの生き方について考え始めたのはこのあたりからです☺️✨
はあ、今日も長々とごめんなさい。
温めすぎて、長くなってしまいしました。笑
ではまた🌷✨
今日もみなさんに幸あれ🤍🩵