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老子 第15章 道を修めた者

老子の教えから、今、私の見ているこの世界のことを捉え直していこうと思います。

本日は第15章🌟
道を修めた者について書いてあります。
 
 

いにしえからの道を修めた者は、奥深くあらゆる方面に通じており、奥深いゆえに計り知ることができない。
計り知ることはできないのだが、あえてその姿を説明してみよう。
氷の張った冬の川を渡るように慎重で、周囲を警戒するように用心深く、
厳かな客人のようであり、溶けていく氷のようであり、伐ったばかりの荒木のようであり、広々としている谷のようであり、混じり合って濁った水のようである。
一体、誰がこの濁った水を澄ませ、鎮められるのだろうか。
一体、誰が安定して動かないものを成長させるのだろうか。
道に沿った生き方をしている人は、満ち足りようとは望まない。
満ち足りようとしないから、たとえ壊れても何度でも再生するのだ。


道を修めた者が、
いかに謙虚で厳格で、心が広く純粋なことか。が分かりますね。



老子って、「自然」とか「ありのまま」を説いているというイメージがあるとは思うんですけど、正直にいうとなかなか掴みにくいです。

どの教えにおいても、一発で理解できる!って本当にないですね🙄
身に染みて分かります。。。(泣)


心を磨いて理解の純度を高めたり、
直感的に受けとることだったり、
日常を通して実践し、深めていくプロセスが大切ですね。
行き着くところ。


考えると気が遠くなりそうですが、明日、一ヶ月後、一年後、と続けていくと自然と分かることが増えていくような気がします。
 
☯️
 
 

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