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老子 第16章 もとの道へ帰る

老子の教えから、今、私の見ているこの世界のことを捉え直していこうと思います。

本日は第16章🌟
もとの道へ帰るについて書いてあります。

心を空っぽにし静けさを守っていると、万物はどんどん生み出され変化し続けるが、やがて元の姿へ戻っていく。
万物というのは、生み出されては元の道へ帰るのだ。
元の道に帰ることを静といい、これを命に帰るという。
命に帰ることを常といい、常を知ることを明という。
常を知らなければ、あれこれ行動しても凶となる。
常はどんなことも包容する。
全てを包容すれば、全てが公平である。
公平はすなわち、王である。
王はすなわち、天である。
天はすなわち、道である。
道はすなわち、永遠である。
一生涯、おびやかされることはないだろう。

「常」は、「変わることのないもの」という意味合い。
「凶」は、この場合「実がならない」と訳すと良さそうな感じがしました。



もとの道へ帰る。自然の摂理ですね。


常はどんなことも包容する。
これも真理だと思います。



もし、自分の気分がドーンと落ちているときに、
老子が目の前に居たとしたら、私になんて言葉をかけるのだろう。

きっと、本来の私に戻してくれる、ハッとする言葉をかけてくれるような気がします。


私たちの本来の姿ってなんでしょうね。

傷ついている自分?
優越感に浸っている自分?嫉妬している自分?
誰かを咎めている自分?自分を責めている自分?


それも私の姿と言えるんだけど、「本来の」が付くと違う。



公平で、王で、天で、道で、永遠で、
一生涯、おびやかされることがない。

どうやらこれが本来の私たちの姿。




一歩一歩、元の道を帰っていけますように。☯️


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