池田晶子『勝っても負けても 41歳からの哲学』
前回の『41歳からの哲学』の続編。『週刊新潮』での連載コラム「死に方上手」あらため「人間自身」を内容毎に収録した1冊。時代が変わろうとも、世の中が変わろうとも、「人間であるところの自分」、「人間そのもの」「人間自身」は全く同じだ、というところから切り口。
「哲学とは、どこの誰にも納得できるはずのことを考えること」「生きているとはどういうことか、自分であるとはどういうことか、誰にも共通の当たり前のことを考える」ことだと池田さんは言います。そして、「当たり前のことを考える」=「自分がそうだと思い込んでいることを疑うこと」で、そこが哲学が難しいと言われる点だ、といわれると納得です。
「思い込み」という観点から眺めていく「政治」「国家」「社会」「個人」、そして、「自分」。近現代人としての私たちが、当たり前と思っている「自分」が、いかに不明瞭な観念にすぎないかということが、分かりやすく説かれていきます。
そして、一番興味深かったのが「言葉」の定義です。「言葉で語るということは、言葉で語らなければ何事でもないことを、何事かであるかのように語ること」だそう。人は、「人生は何事でもないという自由に耐えられない」から、言葉によって「人生に物語を求める」。「人間とは虚構を現実として生きている生物なのだ」「人は言葉によって規定されたい」のだ、との展開にハッとさせられました。
「日常に風穴を開ける唐突な思考」である哲学に気付くことのできる続編です。