萩尾望都さんの『トーマの心臓』が、森博嗣さんによって小説となっていたことを今さらながらに知り、手に取りました。
萩尾さんの作品はどれも重厚で、純文学を読んだような読後感を抱かせてくれるのですが、私にとって『トーマの心臓』は、『銀河鉄道の夜』の
というジョバンニのセリフを彷彿とさせる物語でした。森さんの作品については、ロジカルな思考と、形而上的な思想との配合が絶妙面白いな、と思っていたので、萩尾コミックがどのように料理されるのか楽しみに読み始めました。
小説は、舞台を日本にうつしてオスカーの一人称で進行していく物語となっていましたが、萩尾作品にあった、トーマの自己犠牲的自殺はそのまま踏襲されていました。
そして、トーマの死の真意を受け止め、聖職者になることを決めるユーリ、という筋書きも変わらないのですが、森さんならではの青年期の葛藤も随所に描かれていました。
オスカーにとっては「失われた家庭、あるいは友情というものを、無意識のうちに、唯一彼に求めていたかもしれない」存在であるユーリ。ユーリの心の傷には、誰もが経験する青年期の傷が重ねられていきます。
そしてオスカーは、学校を去るユーリの選択を、「現世に決別して、この世と天国の中間に位置するような、そんな世界へ行こうとしている」と理解していくのです。
「綺麗なものが、だんだん失われていくことは少し寂しい」と思いながらも、「乗り越えなければならないもの」や「自分が進む未来を見」ようとするオスカーに、清々しさを感じた森博嗣解釈の小説『トーマの心臓』でした。(八塚秀美)