「時代の集合意識」 と「非連続的な変化を生み出す人たち」への関心
明けましておめでとございます。本年も宜しくお願いいたします。
久しぶりにnoteを書いてみました。
年末年始は、ウォルター・アイザックソン著『イノベーターズ』と、ニーアル・ファガーソン著『スクエア・アンド・タワー』の読了を試みています。
『イノベーターズ』
『イノベーターズ』は、デジタル革命の初源から歴史を紐解く内容で、エイダ・ラブレス伯爵夫人の「詩」と「数学」による想像力から壮大なコンピューターの歴史が始まります。今まで知らなかった人物や様々なエピソードが興味深く、発見の多い内容です。また、数々の思考や発明、そして進化は一人でなし得るものではなく、人と人との交流(=チーム)による産物であることを本著は語っています(語られていくようです *読み途中のため)。
『スクエア・アンド・タワー』
『スクエア・アンド・タワー』は、これまでの歴史が、君主を中心とする垂直的な階層性の権力(=塔・タワー)で描かれることが多かったのに対して、人々を中心とする水平的なネットワークの影響力(=広場・スクエア)についてさほど描かれてこなかったことを補完しながら社会的ネットワークの重要性について語られているそうです。(*これから読みます)
両著を読む背景には、「時代の集合意識」と「非連続的な変化を生み出す人たち」への関心があります。
"印象派"の存在
その関心は、いくつかの経験が重なり合ってできたものですが、その一つに「印象派」の存在があります。
1870年代のフランスで当時の画家達の"権威”であったサロン(審査性の展覧会)に対して生まれた「印象派」の画家達にいつの頃からか興味を持ち始めました。
当時のサロンは言わば「常識」、それに対して当時の「非常識」を、1874年の第一回印象派展で提示し、"特にモネの「印象・日の出」については「はじめて描いた小学生の絵のようだ」「これは未完成だ、製作途中の壁紙のほうがまだましだ、単なる印象に過ぎない」などと美術誌に書く批評家もいた。(*Gallery Aoki WEBサイトより引用 )"ほどに、酷評されたそうですが、その斬新な筆致や作品はやがて人々の見方を変えていくことになります。
印象派たちの行動に対する関心は大学生時代の頃より、18-19世紀に当時の才能が集ったパリのカフェ文化へと向かいました。
* 当時の私は、友人と大学を超えた有志の学生らによるデザイン団体「ACBD!(Anything Could Be Designed!の略)を創立し、活動をしていたので、社会に対する問題意識やムーブメントに対する関心が強くありました(同時期に、デザインによる問題解決をする集団「IDEO」や、イギリスのブレア首相の国家ブランド戦略を支えた20-30代中心のシンクタンク「DEMOS」の存在を知り、とても大きな刺激を受けていました)。当時の友人たちとよく言っていたキーワードは、「アタリマエを疑え」。若い才能が「"大人"の社会」によって制約されることに強い違和感を覚えていました。
才能が集うパリのカフェ文化
18世紀中頃には、パリ市内に500軒ほどあったというカフェに、時代の最先端を行く画家や音楽家、詩人、哲学者などが集い、才能と才能がぶつかりあうことで新しい作品や思想が次々と生まれていきました。
例えば、モンマルトルの「カフェ・ゲルボア」では、印象派理論を固めたマネ、モネ、ドガ、ルノワール、セザンヌ。
1885年創業の「ドゥ・マゴ」には、ル・コルビュジェ、フェルナン・レジェ、ピカソ、ヘミングウェイ。
1897年創業の「ル・ドーム」には、アンドレ・ブルトン、ピカソ、モディリアーニ、藤田嗣治。
1927年に開店した使用人150人80席を抱える巨大店「ラ・クーポール」では、ピカソ、ジョルジュ・ブラック、アンドレ・ブルトン、ダリ、ヘミングウェイ、マン・レイ、キキ(アリス・プラン)、シャガール、サルトル、ボーヴォワールなどが通ったと言われます。(私のカフェ文化の系譜メモより)
時代の集合意識が集う場所
パリだけでなく、才能が集うことで生まれた場所や集団がその他にもたくさんあります。
2008年2月1日の私のブログに、サントリー美術館で開催された「ロートレック展 パリ、美しき時代を生きて」を見た感想とともに、このように書いてありました。
音楽のクラブカルチャーで言えば、マンチェスターの伝説のクラブ「ハシエンダ」(ここでニュー・オーダーが生まれ、大学在学中のケミカル・ブラザーズがDJ活動を本格化)。アンディー・ウォーホルや当時のセレブレティが通い詰めたアメリカのクラブ「54」。
アートで言えば、もちろんアンディー・ウォーホルの「FACTORY」。
デザインで言えば、ウォルター・グロピウスの「バウハウス」、名取洋之助の「日本工房」。
写真で言えば、ロバート・キャパの「マグナム」。
そのほかにも、ボブ・ディランらが出入りしアーサー・C・クラークが『2001年宇宙の旅』を書き上げた「チェルシー・ホテル」、洋画家の黒田清輝ら・作家の森鴎外・永井荷風・谷崎潤一郎ら・歌舞伎役者の市川左團次ら当時の文化人達が集まった銀座の「カフェー・プランタン」、川端康成ら文豪が愛した銀座のbar「ルパン」、クリエータやミュージシャンの集まった原宿の伝説の喫茶店「レオン」や「カル・デ・サック」、そして川添浩史・梶子の飯倉の「キャンティ」…。
(中略)
時代の集合意識が、活発な人間交流を生み出し、その熱を肌で経験してしまった人たちが、それぞれの分野における表現活動をもって社会に次々と突出し、あらたな一時代を創ってゆく。この「場」のもつ凝縮性と集約性から生み出される爆発力(それはもはや「狂気」)は、何なのだろうか。
熱狂あるところに、時代は創られていくような気がしています。いや、創られていくよりもむしろ「残っていく」と言うべきか。
才能はつながってゆく。
才能は個々にあるけれども、それを増幅させるのはやはり仲間であり、それを共有させるのは日常を逸脱した高質かつ高密な空間ではないだろうか。
そこでは、「会話」は触媒となり、個性と個性が出会うことの化学反応の速度を急速に高めていく。
via. 見た:「ロートレック展 パリ、美しき時代を生きて」@サントリー美術館|めのうら, 2008.2.1
そして、for Startupsへの期待
私は、2年前の2018年1月1日が、 for Startupsの入社日であるため、今日から3年目が始まります。(本年の始業日は1月6日)
入社してすぐに旧社名からの社名変更・ブランド変更・オフィス移転のプロジェクトに入り、デザイナーとしてメンバーと共にビジョンの具現化に取り組んできました。
当時から「世界で勝負できる産業、企業、サービス、人を創出し、日本の成⻑を支えていくこと」を志し、社会課題の解決や新領域の創造に向かって取り組む挑戦者を支援する"成⻑産業⽀援プラットフォーム"としてのfor Startupsの役割は、近年ますます重要になっていると感じます。
2019年は、for Startups全体では、起業家・投資家の皆様とは社内勉強会や定期的に開催される感謝祭などで1,000名以上、また成長産業に関わる、または関わろうと挑戦する多くの方々と日々お会いしてきました。
2年前は、当時30名ほどだったメンバーも、ビジョンと共に歩む仲間は70名を超えるまでになりました(契約社員やインターン含む)。
ところで、2年前にfor Startupsのシンボルマーク(ロゴ)は、以下の想いを込めてデザインしました。
シンボルマークは、旗(フラッグ)をモチーフにしています。新しく旗を掲げ、事業を起こし、世界に挑戦する起業家およびスタートアップの姿を表現し、また、for Startups, Inc.が旗振り役として⽇本の成⻑産業のイノベーションを推し進められる存在として価値認識されること、そして、スタートアップおよびその産業⽀援をするために私たち⾃⾝も挑戦していく意思を込めています。
via. フォースタートアップス社プレスリリースより, 2018.02.16
"for Startups"という誰のために在るのかが明快な社名でありビジョン。そして、自らも進化を生み出す挑戦者。これからもfor Startupsが「挑戦者達が集う場」として在り続けるべく取り組んでいきたいと思います。
そして、「時代の集合意識」が集まるこの場から「非連続的な変化を生み出す人たち」が現れると確信しています。
2020年も楽しみです。
https://forstartups.com
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